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サンデル思想のためではなくリベラリズム成立の歴史書として

2011-06-08 12:41:21 | 読書ノート
マイケル・J. サンデル『民主政の不満:公共哲学を求めるアメリカ〈下〉/ 公民性の政治経済』小林正弥監訳, 勁草書房, 2011.

  上巻(参考)の続き。上巻は米国の憲法解釈の変化を詳述していたが、下巻は米国の政治経済における目標の変化について扱っている。

  著者の見立ては次のようなものである。19世紀から20世紀はじめまで、米国の政治において、「見識ある市民」の育成は重要なトピックだった。共和主義的伝統では、賃労働は従属的行為であり独立心を涵養しないと解釈された。ところが産業化が進み、大企業体によって自営農民や小商店主が駆逐されて、人々の多くが雇用者として働くようになる。理想と産業の実情が乖離するようになり、20世紀半ばには、生産者としてではなく、消費者としての選択に人民の主体性が現れるとみなす主張も現れた。この考えは社会の各グループを政治的に分裂させずに一まとめにしておけるというメリットがあり、第二次大戦後にはケインズ主義の普及によって消費者重視の政治がコンセンサスとなった。

  ケインズ主義の「総需要は問題にするが、個々人が何を消費すべきかは指定しない」という態度は、「手続きの公正さを追及するが何に価値があるかを判断しない」というリベラリズムと同根であるという。1960年代に登場したフリードマンといったリバタリアンらも、価値相対主義である点では福祉国家を支援するリべラルと同じである。そうした思想が20世紀後半に支配的になる一方で、米国で自己統治の政治的必要性は忘れ去られ、地域的な共同体は衰退し、人々は企業体にコントロールされる存在に堕した。1970年代後半以降、価値判断を政治に投影させられないことに不満が蔓延しつつある。レーガンの登場や現在の宗教原理主義の興生は、政治における価値の空白を埋めようとする試みであるという。

  ページの大部分で、上のような「自己統治の衰退と消費者性のクローズアップ」という変化を追っており、著者自身の代案についてはあまり詳しく書かれていない。最終章で、グローバル、国、州、都市、区、より細かい地域共同体といったさまざまなレベルで政治に関与するできる仕組みをつくるべきだという主張を行っているが、事例を挙げるにとどまり、未完成という印象を与える。

  とはいえ、政治哲学の領域だけではなく、実際の政治・経済・社会において採り入れられて、現在の社会を律しているリベラリズムの、その成立の経緯と現在に占める位置を理解できる良書だろう。サンデルの思想というより、リベラリズム理解の書籍として評価したい。訳文もわかりやすく、読みやすい。
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