キャンプ・シュワブの古謝美佐子を考察する



第1章 日本・沖縄の米軍基地はアジアの民主主義国家の平和に貢献している 第2章 戦後沖縄の非合法共産党・米民政府 第3章 辺野古移設の真実 第4章 辺野古埋め立ての真実 第5章 辺野古の真実を捻じ曲げた者たち 第6章 辺野古の真実を捻じ曲げた沖縄タイムス・琉球新報 第7章 辺野古の真実を捻じ曲げた翁長知事 第8章 辺野古の真実を捻じ曲げた落合恵子 第9章 辺野古の真実を捻じ曲げた宮崎駿 第10章 自民党県連批判 

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キャンプ・シュワブと古謝美佐子を考察する
ノンフィクションライターの渡瀬 夏彦氏が「辺野古ゲート前、加藤登紀子・古謝美佐子・山城博治の3人が繰り広げた『魂の交流』」で加藤登紀子と古謝美佐子のことを詳しく書いている。彼の文章を参考にして古謝美佐子について考察する。

古謝美佐子は嘉手納町で育っている。物心ついたころから米軍基地フェンスを前にして育ち、B52が機体後部を周辺の集落に向けてエンジン調整をするので、その爆音が凄まじく、家族の会話もままならなかったことを話しているが、私は読谷村の嘉手納町寄りに住んでいたから、彼女が体験した嘉手納飛行場の爆音は私も体験した。
爆音がひどかったのはベトナム戦争時代である。重爆撃機B52は毎日嘉手納飛行場から飛び立ちベトナムに爆弾を落として帰って来た。離発着の爆音は数十秒であるが、エンジン調整の爆音は長時間だ。それも昼はベトナムに出撃するので夜から朝にかけてジェット機のエンジン調整をした。しかも、ジェット機の尻は住民の住む嘉手納町に向けられた。爆音は凄まじく声を大きくしないと会話はできないし、テレビの音も聞こえないくらいだった。爆音の影響で難聴になった人や不眠症、神経症になった人が多かったはずである。
古謝美佐子は基地から井戸にオイルが流れ込み発火して大騒ぎになった話もしている.嘉手納飛行場のオイルが大量に地下水に流れ、井戸水が使えなくなった。オイルが井戸に流入することは信じられないことであった。嘉手納飛行場が軍事基地であり、私たちの予想できない何かをしている恐ろしい存在であることを知らしめたのが地下水へのオイル流入であった。
その頃は水道が普及していて井戸水は使わなくなっていたが、大量に水を使うふろ屋などは地下水を使っていて非常に困っていた。
ジェット機の爆音、地下水へのオイル流入、重爆撃機B52の墜落炎上など嘉手納飛行場の被害は大きく、嘉手納飛行場はないほうがいいと思う市民は多かっただろう。古謝美佐子もその中の一人であった。
 古謝美佐子は子供の時にもっとつらい体験をした。軍雇用員であった彼女の父は30歳の時に軍嘉手納基地の中を自転車で移動中にトラックにはねられて即死したのである。28歳で未亡人になった母は子供たちを育てるために、夫が殺された基地内で仕事をした。そのような情況で育った古謝美佐子が基地はないほうがいいと思うことは当然である。
「どんなに基地はないほうがいいと思っても、口にフタをしていました。公には言っちゃいけないと思っていたんです。でも、歌を通じて沖縄の歴史を知ることになり、おじぃ、おばぁの話を聞くことになり、自分に孫ができて、そうして、これでいいのかなと思うようになったんです」
古謝美佐子は米軍基地反対を口にするようになった。
 
 民謡歌手である古謝美佐子が米軍基地反対を主張するのは覚悟と勇気が必要であっただろう。
「そうすると、音楽仲間からは、後ろから刃で刺されたりします(笑)。でも刺されようがピストルで撃たれようが(=どんなに妨害を受けようが、の意)、わたしはやれることはやって死にたい。わたし、孫たちからはミーコって呼ばれているんですが、『ミーコは生きてるとき、歌ばかりうたって、沖縄のこと、何もやってないんだよなぁ』と言われたくないので、皆さんと一緒に頑張らせてください」
古謝美佐子の孫への愛、沖縄の将来への思いは強い。でも、古謝美佐子は政治の知識が低い。彼女の思いは素晴らしいけれど彼女の思想が素晴らしいとは言えない。
 彼女と同じように嘉手納飛行場の近くに住み、古謝美佐子と同じ体験をしたが、私は米軍基地に反対をしないし、辺野古に飛行場をつくるのに賛成である。例え、私の父が古謝美佐子と同じように基地内で米軍の車に轢かれて死んだとしても古謝美佐子と同じように基地反対の思想にはならなかった。なぜ。私と彼女とは考えが違うか。その原因は子供の頃の世の中への関心の違いがあるだろう。
 私はリンカーンの「人民の人民による人民のための政治」宣言に感動した。リンカーンの宣言で米国は民主主義国家であるという信頼が私にはあった。沖縄の米軍基地による被害や米兵による婦女暴行などがあったが、それは事故・事件であり、それを理由に米軍基地撤去を主張する考えにはならなかった。
 私は映画が好きだったが、高校生になると日本映画よりアメリカ映画やフランス映画を多く見るようになった。シドニー・ポワチェやポール・ニューマンのファンだった。日本映画は正義が悪を滅ぼすという前近代的な映画が多く、日本映画に比べて外国の映画は人間の自由や人権を問題にする映画が多かった。
 中・高校生の私にはアメリカは民主主義国家であり自由があるというイメージが強かった。だから、沖縄の米軍基地を否定することはなかった。
 世界の歴史は戦争の歴史である。だから、ベトナム戦争に対しても否定も肯定もしなかった。戦争をするにはそれなりの理由があるのだろうとしか考えなかったし、民主主義国家である米国が戦争をしているのだから戦争をするちゃんとした理由があるだろうと思っていた。

 中国は不気味な存在だった。学校の先生は社会主義国家は国が計画的に生産するからアメリカのような恐慌は起こらないと言い、中国は素晴らしい国であると言っていたが、アメリカの情報は多く入ってくるのに、中国の情報は一切入ってこなかった。情報を一切封鎖している国が素晴らしいはずはないと私は疑っていた。社会主義に疑いを持つというより、情報を一切長さない中国に私は疑問を持っていた。

 中学2年生の時「キューバ危機」が起こった。ソ連がキューバにミサイルを持ち込み、それの撤去を求めるケネディ大統領はミサイルを撤去しなければソ連との戦争も辞さないと言った。親子ラジオでそのニュースを聞いた私は第三次世界大戦が起きるかもしれないと恐怖した。第三次世界大戦が起こった時、核爆弾を装備している沖縄が真っ先に核ミサイルで攻撃されると信じていたからである。嘉手納弾薬庫には核爆弾が貯蔵されているという噂を小学生の頃から聞いていた。だから、核ミサイルは嘉手納弾薬庫を狙ってくるはずである。「キューバ危機」から世界大戦になることを私は本当に心配した。「キューバ危機」が回避された時はほっとした。
 中学三年生の時、私は弁論大会に参加した。弁論は、核戦争が起こったという設定のSF小説では核シェルターに入って生き延びた人たちが戦争が終わって地上に出て周囲を見ると、一帯は草一つ生えていない荒廃した土地になっていた。私は荒廃した土地で生活してもちっとも楽しくなく、生きていくのに大変であるだろう。だから第三次世界大戦が起こったら生き残りたくないというような内容だった。
 私が恐れていたのは第三次世界大戦の勃発であったから、世界大戦に発展しないはずであるベトナム戦争は恐れる対象ではなかった。嘉手納飛行場の爆音がひどいのはベトナム戦争と関係があるということを知っていたから、爆音に怒り、米軍にも怒ったが、仕方がないというあきらめの気持ちもあった。

 子供の頃から琉球民謡を集中的に勉強していた古謝美佐子は私のように嘉手納飛行場をはじめ沖縄の米軍基地がソ連や中国の社会主義国家と米国の対立が原因で存在しているということを知るための勉強をする時間はなかっただろう。自分の体験から生まれた反米軍基地の思想になったのは当然といえば当然である。

 プロの民謡歌手は食うために腕を磨かなければならないし、毎日の仕事や客やスポンサーとの付き合いなどで忙しく基地問題を考える暇はない。琉球民謡は男と女の掛け合いが多く、恋歌が中心である。社会問題や基地問題をテーマにした民謡はないと言ったほうがいいくらいである。民謡歌手は民謡に打ち込めば打ち込むほど基地問題からは離れていく。彼らの基地に関する知識は新聞やテレビなどの報道から得るだけである。基地問題に興味のある民謡歌手は非常に少ないだろう。それに経営者は保守系が多く、生活のことを考えれば基地反対などを主張しない方がいい。
古謝美佐子が基地反対を主張することはプロの民謡歌手としては勇気のあることである。しかし、古謝美佐子は自分の体験からつくり上げた反基地思想であり、アメリカ大統領であったリンカーンが「人民の人民による人民のための政治」と民主主義政治の本質を主張し、アメリカが自由、人権を重視している国であり、沖縄の米軍はシビリアンコントロールされていることなどを考慮した上で反基地思想ではない。

米軍はジェット機のエンジン調整の時、嘉手納町に尻を向けているが、土を高く盛り上げ被害を軽減するようになった。オイルが地下水に流れ出た時も処置を施し、オイルが漏れないようにした。婦女暴行を起こさないように米軍は徹底して兵士を教育している。現在三年間婦女暴行は起きていない。それは軍の教育があるからである。事件・事故は起きたが、米軍は改善の努力をしている。日本も米国も議会制民主主義国家である。国民のための政治をやっていることを理解する必要があるが、そのためにはかなりの量の勉強を自分でしなければならない。誰も教えてくれないから。それはプロの民謡歌手である古謝美佐子には困難なことである。沖縄には古謝美佐子の心を理解した上で、彼女の米軍に対する考えが間違っていることを適切に教えてくれる識者が沖縄にはいない。残念なことである。
キャンプシュワブで古謝美佐子は人気稼業の歌手という職業に就きながらも、なぜ明確に「辺野古に新しい基地を造らせてはいけない」と表明するようになったかを語ったが、古謝美佐子は大きな間違いをしている。辺野古の基地は普天間飛行場の移設が目的であり、新基地建設ではない。だから、米軍基地反対だけでは片づけることができない問題がある。それは宜野湾市民の人権である。

2004年8月13日にアメリカ海兵隊のヘリコプターが沖縄国際大学に墜落した。死者が出なかったのが奇跡であった。次に墜落すれば確実に死者が出るだろう。
普天間基地周辺の住民約2200人が、米軍機の騒音で日常生活や睡眠を妨害され、精神的苦痛を受けたなどとして、国に計約10億円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、那覇地裁沖縄支部は計約7億5400万円の支払いを命じた。普天間飛行場は命の危険性と騒音で宜野湾市民の人権を奪っていることが裁判で実証されたのである。辺野古への移設は宜野湾市民の人権を取り戻すことである。

初めて辺野古を訪れた本村恵玲奈さん(18・普天間高3年)は「騒音で授業が途切れることもあり、普天間飛行場がなくなるのはいいことだ。でも移設先が県内となると話は別だ。基地が沖縄に押し付けられているとしか思えない」とキャンプシュワブで話しているが、県外移設も国外移設も現実的には実現不可能である。もし、辺野古移設ができなければ普天間が固定化する可能性が高い。それでも辺野古移設に反対するのだろうか。彼女は県外移設、国外移設が可能であるかどうかを真剣に考えていない。だから、「でも移設先が県内となると話は別だ」と無責任なことが言えるのだ。政治は感情で解決できるものではない。事実を正確に把握し、シビアに判断しなければならない。高校生にできるものではない。
大人である古謝美佐子なら宜野湾市民の人権を考えるべきである。古謝美佐子に孫がいるが、宜野湾市にも古謝美佐子の孫のような子供がたくさんいる。その子たちの未来も考えるべきである。
辺野古飛行場の周囲は海と山である。滑走路はV字型にしてあるから離着陸の時には住宅の上を飛ぶことはない。それに比べて普天間飛行場の周囲は住宅が密集している。市民の人権を守る考えなら辺野古移設をしたほうがいい。逆にジュゴンやサンゴなどを守る考えなら辺野古移設をしない方がいい。人の命を選ぶかそれとも自然維持を選ぶかの二者択一が辺野古移設問題である。辺野古基地建設問題の根本は米軍基地問題ではない。宜野湾市民の人権問題である。
もし、古謝美佐子が辺野古基地建設に反対であるなら、自分の孫だけの将来を案じて宜野湾市の「孫たち」の将来はどうでもいいと考えていることになる。
古謝美佐子が米軍基地に反対している理由は沖縄県民の人権を奪っていると考えているからであり、人権を守ることが米軍基地反対の根拠になっている。だから、辺野古基地建設は県民の人権を奪うという思いから反対しているが、辺野古基地建設は違う。基地問題ではない。人権問題である。古謝美佐子は大きな勘違いをしているのだ。民謡歌手であり、歌手活動に専念している古謝美佐子が辺野古移設問題について多くの情報を集めて詳しく検討することは無理であるから、辺野古移設が人権問題であると知るのは難しいだろう。

古謝美佐子は島袋文子さん(86歳)が機動隊に退去させられる様子に、
「(政府が)理不尽なことばかりやるので、テレビのニュースを見ては、いつも辺野古のことを思いだしていたんです。椅子ごと持っていかれるところを見て、涙が出ていたんですよ」 と涙声で話したという。
機動隊は違法に座り込みをしている島袋さんを怪我をさせないために椅子ごと移動したのである。違法行為を取り締まるのが機動隊の仕事であり、それを理不尽な行為に見えるのは古謝美佐子が米軍基地は悪であると信じ込み、感情的になっているからである。

「日本国のなかで沖縄県民はわずかしかいません。大きな日本国政府と闘うには、沖縄を愛する人たちといろいろ一緒にやっていきたいと思います。ハワイにも琉球アイデンティティーを大切にして頑張っている人たちがいます。その人たちともつながりができたので、来年はハワイでも歌をうたうと思います。今日ここに来るお登紀さんもそうですが、本当に沖縄を愛している人じゃないと一緒にはできませんからね。わたしはコンサートのときも、辺野古のこと、戦争のことを、織り込んで話しています」
孫への深い愛情から「童神」の詞をつくった古謝美佐子であり沖縄を愛している古謝美佐子であるから翁長知事の沖縄アイデンティティ論に感銘しただろう。そして、反米軍基地への思いもより強くなっていっただろう。キャンプシュワブに集ってくる人たちも古謝美佐子と同じ気持ちの人が多いはずである。
でも、アイデンティティで政治はできない。保守の翁長知事派は県外移設を主張しているが共産党を中心とした革新は閉鎖・撤去を主張している。もし、辺野古移設が中止して、県外移設をやろうとした時、革新は猛烈な反対運動をする。
辺野古移設が中止になった途端に翁長知事派と革新は対立してしまい、普天間飛行場は県外移設もできないし閉鎖・撤去もできないで固定化してしまう。そのことを古謝美佐子は知らない。知らないから翁長知事のアイデンティティ論を信じ、辺野古基地建設反対運動をすることにやりがいを感じているのだ。

古謝美佐子の沖縄を愛する心は翁長知事や革新に政治的に利用されている。そして、彼女の心を受け止めることが自民党県連にはできない。唯一彼女の心を受け止め真剣に話し合うことができるのは翁長知事の承認取消しを訴えた「宜野湾市民の安全な生活を守る会」であろう。辺野古移設賛成、反対と主張は違っているが子や孫を愛し沖縄を愛しているのは同じであるからだ。
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