加藤登紀子、坂本龍一、古謝美佐子、石川真央批判 2



第1章 日本・沖縄の米軍基地はアジアの民主主義国家の平和に貢献している 第2章 戦後沖縄の非合法共産党・米民政府 第3章 辺野古移設の真実 第4章 辺野古埋め立ての真実 第5章 辺野古の真実を捻じ曲げた者たち 第6章 辺野古の真実を捻じ曲げた沖縄タイムス・琉球新報 第7章 辺野古の真実を捻じ曲げた翁長知事 第8章 辺野古の真実を捻じ曲げた落合恵子 第9章 辺野古の真実を捻じ曲げた宮崎駿 第10章 自民党県連批判 

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加藤登紀子、坂本龍一、古謝美佐子、石川真央批判 2

 「この夏に注目を集めた安保法制にしても、民意が反映されない民主主義というか疑似民主主義がこのところ目立っていますよね。だけども少なくとも沖縄に関して言えば選挙結果と民意は一致しているわけですね。しかしそれを中央政府は認めない。中央と地方の問題ということになりますが、翻って中央の安保法制を見ると、政府寄りと言われる新聞まで安保法制に反対という民意の方が大きいのに採決を強行してしまった。完全に民意と国会や政府がねじれて、反映されていないという状態です。今の日本の民主主義に疑問を抱かざるを得ない状況が続いていますね」
 坂本氏の指摘はもっともであるように見えるが、しかし、そうではない。坂本氏は「民意が反映されない民主主義」を問題にする前に、なぜ日本は民意がストレートに反映する直接民主主義ではなく、議員を選挙で選ぶ間接民主主義の議会制民主主義であるかを考えるべきである。
政治は複雑で奥が深い。今日明日のことだけでなく将来のことも考えなければならない。専門家でなければ日本社会を運営することはできない。もし、直接民主主義であれば国民は日本や世界の政治や経済を勉強しなければならないし、どのような政策をしなければならないかを研究しなければならない。仕事をしながら政治をするのは無理である。だから、国民の代わりに政治を行う政治家を選挙で選び、政治家に国の運営を任すのである。それが議会制民主主義である。
議会制民主主義の利点も考えなければならない。もし、直接民主主義であったならば賛成反対が拮抗している場合は、今日はA案が賛成過半数であるが、明日はB案が賛成過半数になり、明々後日は再びA案が賛成過半数になるということが起こるだろう。それでは政治がめちゃくちゃになる。それ比べると政治の専門家である議員が賛成多数で決めたほうがいい。もし、安保法制に国民が反対であったなら、次の選挙で安保法制反対の候補者を当選させて安保法制を廃棄すればいい。
政治の専門家がつくった安保法案が国民のためになるかならないかは後になって分かることだ。与党の主張が正しいかそれとも野党の主張が正しいかを国民が判断するのは困難な場合もある。国民が後で判断して、それを選挙に反映させるというのも議会制民主主義には必要である。

「少なくとも沖縄に関して言えば選挙結果と民意は一致している」と坂本氏は述べているが、坂本氏は2010年の辺野古区。名護市、県の三者が辺野古移設に同意したから辺野古移設に決まったことを知らない。翁長知事は一度決まった辺野古移設をしかも県は埋め立て申請を承認したにも関わらず中止にしようとしているのである。違法行為である。それに辺野古移設は宜野湾市民の生命の安全を守るためである。辺野古に移設できなければ普天間飛行場は固定化して宜野湾市民を苦しめる。その事実を坂本氏は知らない。

坂本氏は安保法制に国民の多くが反対したのに国会で決議したことを民意が反映されていない疑似民主主義と言い、本当の民主主義ではないと主張している。坂本氏の考えは正しくない。
政治家にしろ国民にしろ政治判断をするには情報が必要である。情報量が多ければ多いほど正確な判断ができる。国民の得る情報は政治家に比べると非常に少ない。国民が正確な判断をするのは困難である。それに、このことが最も重要であるが、国民が得る情報は報道からである。嘘の報道があり、それを国民が信じるのであれば国民は間違った判断をしてしまう。
安保法案を戦争法案であると報道すれば多くの国民は安保法案は戦争をやるための法案だと信じてしまう。事実、民主党、共産党、社民党、評論家などは安保法案を戦争法案であると主張し、そのような報道が圧倒的に多かった。安保法案を正確に理解する国民は少なかった。むしろ戦争法案だと信じている国民が多かった。果たして、それを民意と言えるだろうか。
安倍首相は南沙諸島に侵略している中国に対して国際法を守るように忠告をしている。安倍首相は国際法の遵守を主張しているのであり、安保関連法案も国際法を守る法律であり、戦争法案ではない。
もし、安保関連法案が戦争法案であり、野党が主張しているように自衛隊が米軍と一緒に前線に出て戦争をしたなら、国民は安倍政権に反対し、選挙によって自民党は与党の座から引きずり落とされるだろう。そして、新しい政権によって安保関連法案は廃案になるだろう。
坂本氏は日本の議会制民主主義のシステムを考慮しないで、国民の過半数が安保関連法案に反対しているのに自民党が法案を成立させたことに対して日本の民主主義は疑似であると述べている。それは坂本氏が現実的な議会制民主主義を理解していないからである。

沖縄では辺野古移設反対派の翁長氏が知事になった。だから辺野古移設反対が民意であると選挙結果が示しているのに中央政府は認めないことを坂本氏は批判している。しかし、辺野古移設は2010年に政府、県、名護市、辺野古区4者がV字型滑走路飛行場建設で合意した。建設合意ができたから沖縄防衛局は辺野古埋め立て申請書を出したのである。坂本氏はこの情報を把握していない。そのことが坂本氏に間違った判断をさせている。
4者が合意し、埋め立て申請は県が承認したのに翁長氏は辺野古移設に反対して知事選に立候補したのである。しかも、普天間飛行場の県外移設の翁長陣営と閉鎖・撤去の革新が主張を変えないで、辺野古移設反対を選挙公約にして一緒に選挙戦を闘ったのである。
辺野古移設は普天間飛行場の固定化を解決するのが目的である。辺野古移設反対は普天間飛行場問題を解決するものではない。県外移設、閉鎖・撤去は普天間飛行場問題を解決する方法であるが、県外移設と閉鎖・撤去は違う解決の方法であり、県外移設派と閉鎖・撤去派が手を組むことはできない。二派が手を組むにはどちらか一つに選挙公約を絞らなければならない。ところが翁長知事派と革新は主張が違うのをそのままにして辺野古移設反対を選挙公約にして手を組んだのである。それは普天間飛行場問題を放棄したことになる。政治家として選挙公約にしてはいけないのを選挙公約にしたのが翁長知事であり革新であった。
辺野古移設を阻止することは普天間飛行場を固定化することである。翁長知事と革新の裏選挙公約は普天飛行場固定化であった。
坂本氏は音楽家である。政治家ではないし、沖縄の政治について詳しくはない。だから、翁長知事の辺野古移設反対の選挙公約が普天間飛行場固定化になることに気付くのは難しいかもしれない。

 「辺野古で続く市民の抗議集会やデモなどの意思表示について」という新報記者の質問に、坂本氏は、
 「政府がきちんと法律に基づき、民意に基づいて行動してくれるならばそういうことはする必要はないんでしょうけども。先方がそうしないもんだから。選挙結果もきちんと出している、世論調査のアンケートでも結果もはっきりしているのにそれを無視するんだから、それ以外の他の方法を取らざるを得ないというのは当然のことです。民主主義というのは何年に1回ある選挙の1票だけというのは全く間違った考えです。民主というのは国民が主権であるということです。『デモクラシー』の語源をたどれば『デモス』(民衆)の『クラシー』(政治を統べる)ということですから、本来なら『民衆が政治をやる』という意味なんですよ。ですが1億人が寄ってたかってワーワー言っても収拾がつかないので代表制ということになっているわけです。でも、それは現実的にそうせざるを得ないからというあくまで仮の姿であって、本来は民衆一人一人が自分の意見を述べることが本来の民主主義です。だから1人でも10人でも100人でも、意見があれば堂々と言うということは当たり前のことなんです」
と述べている。
坂本氏は政府を理解していない。政府は法律を守っているし、辺野古移設は法律に則って進めた。法律を守っていないとは言えないが議会制民主主義国家における政治家としての倫理を守っていないのは翁長知事である。そして、キャンブシュワブの人間たちは辺野古移設に徹底して反対し続けているだけであり、彼らにとって法律は関係がない。なにがなんでも辺野古移設を阻止するという思想に染まっているだけである。もし、辺野古移設賛成の知事が当選しても、彼らは同じ行動をしていただろう。
 代表制である議会制民主主義については坂本氏のいう通りであるが、それは議会制民主主義の基本について述べているものであり、現実の政治については坂本氏は見誤っている。
 キャンプシュワブでの深刻な問題は抗議集会やデモなどをやっている市民がゲート前で座り込み、基地内に入ろうとする車やトラックの進入を実力で止めていることである。それは業務妨害の違法行為である。坂本氏のいう本来の民主主義ならば違法行為を認めることはないだろう。民主主義は意見があれば堂々と言うのは許されるが、自分の主張と違う者を暴力的に押さえつけるのは許さない。キャンプシュワブの違法行為を本来の民主主義は許さないのだ。残念ながら坂本氏はキャンプシュワブで毎日繰り返されている違法行為については知らない。機動隊が横暴であり、キャンプシュワブの市民を弾圧しているという報道だけが流され、それからしか情報を得ることができない坂本氏は政府が法治主義に徹していることもキャンプシュワブの人たちの違法行為のことも知らないのだ。残念なことである。
 
 タイムス記者の「ご自身もこれまで原発や安保法制の反対集会に参加するなど、積極的に社会的な発言を繰り返されています。現在の日本で『平和』や『言論の自由』はどのような状況にあると思いますか」 という質問に、

 「非常に危機的な状況にあると思います。昨今、急にそういう記事を目にしますけど、例えば憲法9条の『9』と書かれたTシャツを着ていたら警官に呼び止められたとか、学校で『平和』とか『peace』というタグをかばんに付けていたら先生に注意されたとか。まるで平和とか自由とかいう言葉が悪いかのように。戦前は『社会主義』じゃなくて、ただ『社会』という言葉の付いた本を持っているだけで特別警察とか憲兵が来て捕まえていくというひどい状態だったわけですけど。そんなことにもなりかねないような兆しがもう既に始まっています。これがどこに向かうのか、非常に不安だし、良くない」
と坂本氏は述べた。
 どこからの情報だろうか。嘘くさい話である。憲法9条と書かれているなら少しは現実性があるが「9」だけの数字なら、単なる数であり、憲法と関係がない。警官が呼び止めることはあり得ない。「憲法9条」と書いてあるだけで呼び止めることもあり得ないだろう。もし、呼び止める警官がいたとしたらその警官が異常である。そんな警官がいたとしても一人か二人くらいだろう。ほとんどの警官はそんなことをしない。学校は日教組が牛耳っている。「平和」とか「peace」は日教組好みである。デモや集会でプラカードを掲げているくらいだ。「平和」とか「peace」はむしろ先生の方が生徒たちに広めている。先生に注意されたということはかばんにタグをつけるのを学校で禁じていたからだろう。
「9」のことといい「タグ」のことといい、あり得ない話である。それが事実だとしても極一部の話である。それが社会全体に広がることはあり得ない。戦前であっても、「社会」という言葉の付いた本を持っていたら特別警察が呼び止めて本を調べることはあっても、社会主義と関係のない本だったなら捕まえていくということはあり得ない。坂本氏が作り話に近い話を信じるのはおかしい。しかし、坂本氏は信じている。そして、不安を感じている。そして、警官や先生の行為は彼らの意思ではなく、
 「しかもそれは、誰かが命令してそうさせたのかっていうと、なんとなくなんですよね。安倍首相が一つ一つ命令したわけではないのになんとなくそういう空気が広がっていく」と思い込んでいる。
坂本氏は妄想の中に入ってしまって異常な心理状態になっているとしか思えない。

「あぁこうやってファシズムって広がっていくんだなと感じます。しかもそれは恐ろしい勢いで短時間に進んでいく。副総理が『ナチスに学べ』と言ったらしいですけども、ナチスがやったことと非常に似ていることが今起きていて、ナチスが全権を取るまでに非常に短期間で、1年以内にやっている。その前段として徐々にだんだん党員を増やしたりということはあるんですけど、いざ始まったらすべての反対意見はシャットアウトする、というファシズム体制が1年以内に築き上げられた。今から来年というのがそうなりかねない状況なので、私は非常に大きな危機感を持っています」
坂本氏は音楽家であり、音楽の世界に入り込んでいる。音楽は観念世界である。坂本氏は観念の世界に埋没し、現実の観察を疎かにしているために、妄想が広がり、妄想がまるで現実のように思えてくるのだろう。坂本氏に不足しているのは現実世界を客観的に観察することである。
坂本氏は「今から来年というのがそうなりかねない状況」と述べているが、日本社会がそんな短時間で変わることはあり得ない。ひどい妄想である。
音楽にしろ文学にしろ観念世界で創作する性質のものである。観念世界は現実と違って自由にまた短絡的に世界を描いてしまう。観念世界では世界大戦も思い描くことができる。「ファシズム体制が1年以内に築き上げられた」から日本がそうなりかねいと坂本氏は危機感を持っているが、それはわずかな事実をネタにして坂本氏の観念世界で作り上げた妄想である。日本の現実を客観的に観察すれば坂本氏の考えは荒唐無稽であることが分かる。
彼は音楽家であって政治家ではない。政治について話すなら、音楽家としての立場から離れ、現実を冷静な政治の視点から見るべきである。そして、見た現実を分析し、判断しなければならい。しかし、坂本氏は音楽家の視点から政治を見て、判断をしている。それゆえに非現実的な政治論を述べてしまう。百田問題についてもそれが露骨に表れている。

6月に自民党の若手勉強会であった一連の報道圧力や百田発言などについて、
 「政府に反対する意見を述べるメディアや個人は全部しょっぴく、あるいは潰(つぶ)してしまうという体制は全体主義ですよね。明確に自民党の人たちがそういう意識を持っているということがはっきりしている。面と向かってそういう体制が好きですか? そうなってほしいですか? と聞けばまだほとんどの人は嫌だ、困ると言うでしょう。ただ、そう単刀直入には聞いてこないで、じわじわと自主規制させるような空気がすでに気が付かないうちに始まっている。自分たちが明確な意識を持たないうちに自主規制が広がっているのは非常に大きな問題です。敏感にそういうことに目を向けてできるだけ明確に反対意見を言わないと、全体主義体制になってしまうでしょうね」
と坂本氏は述べている。坂本氏が自由、人権、民主主義にこだわっているからこのような主張になる。だから、坂本氏の思想は素晴らしいものである。ただ、事実を正確に把握していないから百田氏や自民党に対して歪んだ目で見てしまう。
「政府に反対する意見を述べるメディアや個人は全部しょっぴく、あるいは潰(つぶ)してしまうという体制は全体主義ですよね」
百田氏も自民党議員もそんなことは言っていない。
 坂本氏の理念は立派であるが現実認識に問題がある。

 29日に米軍キャンプ・シュワブゲート前で歌をうたったのは加藤登紀子ともう一人古謝美佐子であった。古謝美佐子と言えば「童神」である。作詞は古謝美佐子で、作曲は彼女の夫である佐原一哉である。
 古謝美佐子は1954年5月11日生まれで、6歳より歌と三線を習い、9歳でレコードデビューした。週末に民謡クラブに出演するようになった中学時代以降、沖縄のラジオ・テレビ出演を含む演奏活動や、前川守賢ら若手の民謡歌手とのレコード録音を行なう。
1986年から我如古頼子、玉城和美とともに坂本龍一のネオ・塩(1987年)、ビューティ(1989年)のレコーディングやコンサートに出演、後者では「オキナワチャンズ」としてフィーチャーされ、1988年のアメリカツアーと1990年のワールドツアーにも同行した。このうち「沈査具の花」は1999年のオペラ「LIFE A ryuichi sakamoto opera に組み込まれ、東京・大阪での公演に旧オキナワチャンズが出演した。
1990年には知名定男のプロデュースにより、吉田康子、宮里奈美子、比屋根幸乃とネーネーズを結成してリーダーとなる。ネーネーズは1991年にメジャーデビューし、ポップス感覚の沖縄民謡グループとして全国的な知名度をあげ、1995年に大阪城野音で復活した琉球フェスティバルの大看板の一つとなった。1994年には知名のレーベル、ディスク・アカバナーからソロアルバム『島美らさ』(しまじゅらさ)をリリースしている。1994年8月21日発売の「 黄金の花」は今でも人気は高い。

1995年12月にネーネーズを脱退、41歳の時である。脱退した理由の一つにに八重山民謡を習いたかったからと古謝美佐子は言っている。1986年から坂本龍一と組み、1990年からは知名定男のプロデュースによるネーネーズで活躍したが、本土の音楽家、ポップス感覚の共通語民謡は本来の民謡から離れている。古謝美佐子は本来の琉球民謡をもう一度学ぼうと言う気持ちが強くてネーネーズを辞めたと言っている。
「童神」は坂本龍一、知名定男という現代的な音楽家の影響と琉球民謡の原点にこだわった古謝美佐子の心がつくった最高傑作だと私は思う。沖縄の民謡の多くは男女の掛け合いになっているし、曲は短い。しかし、「童神」は掛け合いの歌ではなく、我が子への愛を歌っている。曲は長い。ウチナー口で長い曲になっているのは、私の知る限り「童神」だけである。それは坂本龍一、知名定男の影響だろう。
沖縄の歌が本土でヒットしたもので喜納昌吉の「花」がある。また、ピギンズの「島んちゅぬ宝」「涙そうそう」などもあるが、ヒットした曲はすべて詞は共通語である。ウチナー口で全国的にヒットしたのは「童神」だけである。その意味では「童神」は戦後のウチナー口民謡の最高傑作である。
「童神」は多くの女性歌手に愛されている。「童神」を歌う女性歌手は多い。また、古謝美佐子とデュエットした歌手も多い。ユーチューブで一番感動したのは城南海とのデュエットである。若干20歳の城南海がウチナー口で歌っている。
城南海は堺正章が司会している『THEカラオケ★バトル』で計8冠を達成してカラオケ★バトルの女王と称されているほどの抜群の歌唱力がある歌手である。それだけではない。今年の12月11日放送のフジテレビ系『第5回ものまね王座決定戦』では、浜崎あゆみ、Superfly、元ちとせのものまねで、全28組の中からものまね専門のタレントらをも抑えて優勝を果たした。
古謝美佐子も歌唱力抜群の歌手である。城南海との「童神」は最高である。
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     つづく
2015/12/11 に公開
平成27年12月10日木曜日に放送された『沖縄の声』。本日は、キャスターの又吉康­隆が「ミャンマー問題」、「TPPと農業改革」、「普天間飛行場の危険性レーザー照射­」、コラムコーナー”又吉康隆のこれだけは言いたい”では「宜野湾市民の安全な生活を­守る会」のテーマについて解説いただきます。
※ネット生放送配信:平成27年月12月10日、19:00~
出演:
 又吉 康隆(沖縄支局担当キャスター)
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