キャンプ・シュワブの加藤登紀子と山城議長を考察する




第1章 日本・沖縄の米軍基地はアジアの民主主義国家の平和に貢献している 第2章 戦後沖縄の非合法共産党・米民政府 第3章 辺野古移設の真実 第4章 辺野古埋め立ての真実 第5章 辺野古の真実を捻じ曲げた者たち 第6章 辺野古の真実を捻じ曲げた沖縄タイムス・琉球新報 第7章 辺野古の真実を捻じ曲げた翁長知事 第8章 辺野古の真実を捻じ曲げた落合恵子 第9章 辺野古の真実を捻じ曲げた宮崎駿 第10章 自民党県連批判 

本土取次店 (株)地方・小出版流通センター
http://neil.chips.jp/chihosho/ TEL.03-3260-0355 
chihosho@mxj.mesh.ne.jp
県内取次店 株式会社 沖縄教販
電話番号098-868-4170
shopping@o-kyohan.co.jp

本が展示されていない時は書店で注文できます。

みなさんの意見・感想は
ヒジャイ掲示板へ

ヒジャイ掲示板


クリックお願いします
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村

キャンプ・シュワブの加藤登紀子と山城議長を考察する

 キャンプ・シャワブに加藤登紀子と古謝美佐子が来て、山城議長と歌と弁舌で感動な場面が展開された。二人の一流の歌手がキャンプシュワブに集まった人々を励ましたのである。感動的な情景である。私は大衆運動が好きであるし、純粋な大衆運動であれば私も感動しただろう。その時の感動的な展開の様子を批判するというのはケチつけのようであり、本当はやりたくない。しかし、歪んだ運動を批判するためにはやらなければならない。

 辺野古基地建設は普天間飛行場を移転するのが目的であり、新基地建設ではない。米軍基地の拡張ではないし、基地強化でもない。基地強化なら普天間飛行場でもできることである。辺野古基地が建設できなければ普天間飛行場が固定化してしまう。普天間飛行場を固定化しないための辺野古飛行場建設である。
 埋め立ては辺野古崎の沿岸部だけであり、大浦湾や辺野古の海を埋めるのではない。そして、ジュゴンは大浦湾に棲んでいないし、サンゴが破壊されることもない。辺野古基地建設は宜野湾市民の命の危険を救い、騒音被害をなくすものである。その事実を無視した上でキャンプ・シュワブで三人の美しく感動的な歌や弁舌が展開されたのである。

 山城さんは「ゲート前に二人お揃いです。こんなに嬉しいことはありませんっ」と喜びを爆発させ、カチャーシーを踊って歓迎の意を表した。
 登紀子さんはまず、ゲート前に来る前に5年ぶりに辺野古の浜のテント村を訪問した感慨を皆に告げた。
 「今日で座り込みが4242日目だという数字を確認してきました。長い年月、地道に毎日毎日、この海を守ってきた人たちがいる、ということに胸を打たれました」(沖縄タイムス)

 辺野古の浜ではない。コンクリートの突堤である。辺野古区民の散歩する場所であり、突堤に違法にテントを立てて、座り込みをしているのがテント村である。テント村といってもテントがひとつあるだけであり村ではない。また、座り込みといっても、椅子に座って読書をしたり会話をしている。座り込みというより暇つぶしをしていると言った方がいい。
 辺野古区民の賛成多数の可決でテントの撤去を決め、稲嶺名護市長に要請したが、稲嶺市長は「表現の自由」を理由に辺野古区民の要請を拒否した。辺野古区民の民意を押しつぶしたのが辺野古の突堤のテント村である。
 テントは辺野古区の南側にある。建設予定の辺野古崎は東北の方にあり、テントからは見えない。辺野古崎が見える海岸はテントから数百メートルも離れている。辺野古基地反対のテントとしてはあらぬ場所にある。誰が見ても辺野古基地建設反対のテントとは思わないだろう。コンクリートの上は土の上にテントをつくるより頑丈であるし、土よりも平らなコンクリートの方が机や椅子が安定する理由でテントを張ったのだ。辺野古基地反対のためのテントを立てるような場所ではない。
 テントに居る人間は辺野古区の人ではないし漁民でもない。テントの人間と「長い年月、地道に毎日毎日、この海を守ってきた人たち」とは関係がない。テントの人を見れば分かることである。加藤登紀子は作り話をしているのである。

 
 それから登紀子さんはベトナム戦争以来、国同士が戦争では何一つ問題を解決できてない現状を指摘した。空爆が大問題になっている現在のシリアでもそうである、と。 (沖縄タイムス)

 戦争は侵略から始まる。侵略された国の軍隊が弱ければ植民地にされて戦争は終わる。チベットとウイグルは人民解放軍に侵略された。軍隊が弱かったから人民解放軍に支配され中国の植民地になったのだ。南朝鮮は北朝鮮軍に侵略されて95%占領された。南朝鮮は北朝鮮に支配される運命であったが、米軍を中心とした連合軍が参戦して北朝鮮軍を押し返して、38度線を境に北朝鮮と韓国に分かれている。湾岸戦争は、イラク軍がクウェートに侵略しを開始して始まった。軍隊が弱かったクウェートは負けてイラクに併合された。そのままだったらクウェートはイラクの植民地になっていた。アメリカ軍が多くを占める連合軍がイラク軍を攻撃し、クウェートを解放した。
 タリバンに支配されたアフガンだったが米軍がタリバンをやっつけてアフガンを議会制民主主義国家にした。タリバンの武力勢力はテロ行為を今も繰り返している。フセイン軍事独裁国家イラクを米軍が倒し、イラクを議会制民主主義国家にした。しかし、イラクは過激集団ISISに侵略されて、国家の存続危機に陥った。米国などの応援でISISとの戦争を続けている。
 このように戦争はそれぞ事情が違う。戦争は侵略が原因である。戦争は問題を解決するものではない。むしろ問題を発生させるものである。戦争について真剣に考えたことがない加藤登紀子だから「国同士が戦争では何一つ問題を解決できてない」というのである。

 アフガニスタンで井戸を掘り、水路を引き、大地に緑を広げる活動をし続けている日本人医師・中村哲さんの「戦争の中ではっきりした根源の問題は、人々が土から、生命から切り離されてしまっていること。土と緑を取り戻せば、ここに平和が訪れるのではないか」という考え方と功績を紹介し、「わたしたちの生き方そのものが問われているのだと思います」と語った。(沖縄タイムス)
中村氏はタリバンの政治を認める人間である。アフガニスタンの民主化を無視している人間である。井戸を掘り、水路を引き、大地に緑を広げてもタリバンが支配するアフガンに幸せはやってこない。戦争さえなければ奴隷生活でもいいと思っているのが中村氏である。

 「戦争で町や農地が破壊されて、政治的・宗教的な難民だけでなく、生活難民が生み出され、飢えと貧困の中でテロリストが生まれています。だからこそ、土を守る、共同体を守る、家族を守ることが大切で、そのシンボルとしてここ(辺野古)があると思います。もうどこにも基地を造らせてはいけないし、もうどこにも空爆してはいけない。頑張りましょう」(沖縄タイムス)
 米軍を中心とする連合軍が空爆をしないと過激集団ISISのイラク・シリア占領が拡大し、多くの人々が殺され、女は奴隷にされていただろう。イラク・シリアの人々を救っているのが米軍である。嘉手納飛行場ではイラク空爆のための爆撃機や戦闘機の訓練をしている。沖縄の米軍基地はアジアの民主主義国家の平和を守り、イラク・シリアのISISを攻撃している。
 朝鮮戦争、アフガン戦争、イラク戦争、湾岸戦争を見れば「土を守る、共同体を守る、家族を守る」には強い軍隊が必要であることが分かる。イラク軍が弱かったからイラクはISISに侵略された。もし、米軍が爆撃しなければイラクはISISに占領さ;れていただろう。そうなれば子供たちは軍事訓練を強制されテロリストになっていただろう。空爆はテロリストをやっつけている。空爆は子供たちがテロリストになるのを防いでいる方だ。

 
 博治さんは「このお二人の前でわたしが歌えると思いますか、皆さんっ」と照れつつ、登紀子さんの歌を許可もなく替え歌にしたことを詫び、「大いに結構」と歌うことを許してくれた登紀子さんへ礼を述べた。
 登紀子さんはその事実を笑顔で受け止め、自ら訳詞した「美しい五月のパリ」が、1968年フランス五月革命(ドゴール政権の時代に、民主化を求める学生と一般大衆が一体化した大きな運動)のなかで歌われた作者不詳の歌であること、もっと前から歌われていた可能性もあることなどを語った。
 そして、次のような言葉を、博治さんとそしてゲート前に集う仲間たちに贈った。
 「世界の人たちが、何度も何度もあげてきた、二度と戦争で問題を解決するような世界にしちゃいけないという声を、わたしたちはもう一度束にして、さらに大きな声にしていかなきゃいけないと思います。だから、この歌を沖縄の歌に変えて、受け継いでいってほしいと思います」
 山城博治さんは、こう答えた。
 「平和を発信するシンボルのような加藤登紀子さんの声援を受けてこの歌をうたえるなんて、望外の喜びです」
 歌い始める前に、自らのメッセージを発することを忘れなかった。
 「全国の皆さんの中には、自分が辺野古へ来ることがおこがましい気がする、と言われる方があります。それに対してわたしは再三こう申し上げています。全国の皆さん、どうぞ遠慮しないで、ぜひ辺野古に来てください。全国から仲間が来るからこそ、この運動は広がっています。全国の皆さんの理解と声援がなければ、(沖縄が日米政府と闘うのは)難しいことです」 (沖縄タイムス)
フランスの五月革命ついては「捻じ曲げられた辺野古の真実」で述べている。

フランスの五月革命
事件の発端は1966年に起こったストラスブール大学の学生運動で、教授独占の位階体制に対する民主化要求からはじまった。短編小説「一九七一Mの死」で書いてあるように私が琉球大学の学生運動に参加していた時、琉大の自治会を握っていた革マルが家族闘争の模範としたのがストラスブール大学の学生運動から始まった「フランスの五月革命」であった。「フランスの五月革命」は民主化運動であったが、革マルは革命を目指した運動である。学生の頃は民主化運動と革命運動の狭間で私は悩んだ。

ストラスブール大学の民主化運動はナンテールに波及し、1968年3月22日にはベトナム戦争反対を唱える国民委員会5人の検挙に反対する学生運動に発展、ソルボンヌ(パリ大学)の学生の自治と民主化の運動に継承された。アナーキストのダニエル・コーン=ベンディットと統一社会党のジャック・ソヴァジョ、毛沢東主義者のアラン・ジェスマル、トロッキストのアラン・クリヴィンネが指導し、フランス全体の労働者も同趣旨から民主化に賛同し、運動は拡大した。その頃から民主化運動の枠を超えて政治運動に転換していった。
ベトナム戦争反対は民主化運動ではないが、しかし、国民委員会5人の検挙は表現の自由への弾圧であり、彼らの逮捕に反対する運動は民主化運動である。
5月2日から3日にかけて、カルチエ・ラタンを含むパリ中心部で大規模な学生デモがおこなわれた。5月21日にはベトナム戦争、プラハの春事件等の国境を越えた国家権力の抑圧に反対し、自由と平等と自治を掲げた約1千万人の労働者・学生がパリでゼネストを行った。これに対して、機動隊がこの参加者を殴打したため、抗議した民衆によって工場はストライキに突入し、フランスの交通システムはすべて麻痺状態に陥った。「中央委員会」は間接的に援助、各大学もストライキに突入し、このゼネストは第二次世界大戦以来のフランス政府の危機をもたらした。
運動は民主化を越えた反政府運動へと発展していった。

シャルル・ド・ゴール大統領は、軍隊を出動させて鎮圧に動くと共に、国民議会を解散し、総選挙を行って圧勝した。ド・ゴール大統領が選挙に圧勝したことは注目すべきである。つまりフランス国民は民主化運動には賛成したが、民主化運動に乗じたアナーキーやトロッキストたちの反政府運動=革命運動には反対したのである。
五月革命によって、労働者の団結権、特に高等教育機関の位階制度の見直しと民主化、大学の学生による自治権の承認、大学の主体は学生にあることを法的に確定し、教育制度の民主化が大幅に拡大された。民主化運動の勝利である。五月革命は20年後の東欧の民主化革命に大きな影響を与えただろう。
              「捻じ曲げられた辺野古の真実」
 五月革命は民主化運動であった。その結果ドゴール大統領が圧勝した。議会制民主主義の勝利である。辺野古のキャンプシュワブの闘いは民主化運動ではない。五月革命に便乗したアナーキーやトロッキストたちの反政府運動と同じである。山城議長は平和運動をしているのではなく、宜野湾市民の人権を無下にし。反米反米軍基地運動をしている。違法行為をし、暴力で辺野古基地建設を阻止しようとしているのである。反戦平和は山城議長の隠れ蓑である。

美しき五月のパリ

【作詞】不明
【作曲】不明
【訳詞】加藤登紀子

1.赤い血を流し 泥にまみれながら
  この五月のパリに 人は生きてゆく
  ※オ ル ジョリ モァ ドゥ メ ア パリ
   オ ル ジョリ モァ ドゥ メ ア パリ
2.風よ吹いておくれ もっと激しく吹け
  青空の彼方へ 我等を連れゆけ
  ※繰り返し
3.年老いた過去は いま醜く脅え
  自由の叫びの中で 何かが始まる
  ※繰り返し
4.ほこりをかぶった 古い銃を取り
  パリの街は今 再び生まれる
  ※繰り返し
5.歌え 自由の歌を 届け 空の彼方へ
  この五月のパリに 人は生きてゆく
  ※2回繰り返し
 詞を読めば、「美しき五月のパリ 」が古い歌であることが推理できる。五月革命は銃を持つ闘いではなくデモとストの平和的な闘いだったからだ。
違法行為を繰り返している山城議長は民主主義思想はないのに、
 「わたしたちは、民主主義のため、戦争と抑圧のない社会をつくるため、みんな奮闘してるんじゃないですか!」と叫ぶのである。沖縄の民主主義を歪めているのが山城議長である。
山城議長が歌った替え歌の詞を紹介する。

     *
 『沖縄の未来(みち)は沖縄が拓く』(作曲・不詳 作詞・山城博治)

 沖縄の未来(みち)は沖縄が拓く
 戦世(いくさゆ)を拒み、平和に生きるため
 今こそ立ち上がろう 今こそ奮い立とう

 辺野古の海を守り抜くために  圧政迫るが、立ち止まりはしない
 今こそ立ち上がろう 今こそ奮い立とう

 高江の森を守り抜くために
 力を合わせて、スクラム固めよう
 今こそ立ち上がろう 今こそ奮い立とう

 島々の暮らしを守り抜くために
 思いを巡らせて、心を通わそう
 今こそ立ち上がろう 今こそ奮い立とう

 「沖縄の未来(みち)は沖縄が拓く」とは沖縄が議会制民主守護国家日本の地方自治体として存在することを拒否することである。独立思想であって民主主義思想ではない。
 辺野古飛行場は辺野古崎の沿岸を埋めるだけであり、辺野古の海の自然はそのままである。議会制民主主義を破壊する思想家の山城議長だから、法を守り民主的に進めてきた辺野古飛行場建設が「圧政」に見えるのである。
 民主主義国家である米国と日本国家の指導と援助で沖縄は政治も経済も順調に発展してきた。発展の足を引っ張っているのが山城議長である。

山城議長は「島々の暮らしを守り抜くために」の意味を、
 「自分はいつも辺野古にいて、与那国や宮古や石垣の人たちに申し訳ないという気持ちがある。政府は、辺野古の米軍基地の建設だけでなく、島々に自衛隊新基地の建設を強行しようとしている。その場に行けなくてごめんなさい、しかし心を繋いで頑張りましょう、というメッセージを込めたんだよ」
とゲート前の仲間にこう語ったという。
 山城議長の「島々の暮らしを守り抜く」というのは民主主義国家である米国と日本国のシビリアンコントロールされた米軍と自衛隊を沖縄から撤去することである。「暮らしを守る」というのは本当は他国に侵略されないで、しかも民主的な政治と経済が発展して生活を豊かにすることである。ところが島々の人たちが他国に侵略されない、平和で自由・平等で豊かな生活を送ることを山城議長の念頭にはない。米軍と自衛隊を撤去させることしか彼の念頭にはない。
 フィリピンとベトナムは軍隊が弱いから中国に侵略された。イラクも軍隊が弱かったからISISに侵略された。沖縄は強い米軍と自衛隊に守られているから侵略されなかった。沖縄から米軍と自衛隊を撤去すれば中国やテロ組織に侵略されて島々の暮らしは破壊されてしまうだろう。
 山城議長の思想は議会制民主主義を破壊し、島々の暮らしを破壊する思想である。
 残念ながら加藤登紀子は辺野古問題も山城議長の思想も正確には理解していない。有名歌手でありながら日本、世界の平和を願い、大衆運動に参加するのは素晴らしいことである。
しかし、議会制民主主義国家は真の平和主義であり自国の平和、世界の平和を求めた政治をやっている。シビリアンコントロールされた軍隊は世界の民主化と平和のために戦っている。その事実を加藤登紀子は理解していない。
 キャンプシュワブの辺野古飛行場建設反対の運動は加藤登紀子が期待している民主化の運動ではない。平和と民主主義を破壊する運動である。
 残念であるが加藤登紀子がこの事実を知るのは無理だろう。


2015年は今日で終わり。今年は「沖縄内なる民主主義」を出版できなかった。順調なら7、8,、9、10号の4冊を出版していたのだが、取次店とのトラブル、「沖縄内なる民主主義」が売れていないことなどが原因で、色々悩んで出版することができなかった。悩んでいる内に半年が過ぎ、新たなやり方で、しかも、60ページから148ページの本にすることを決心して、本づくりをして12月に出版しようとしたが、これもまたちょっとしたトラブルがあり1月発売となった。
 私にとって2016年は勝負の年になる。「沖縄内なる民主主義」4冊、評論2冊、小説2冊を出版する積もりだからだ。それに全力を尽くす。
 「沖縄内なる民主主義」を売れるようにするのも大きな課題である。どのような内容にすればいいのか。試行錯誤をしていくしかない。
 
 来年もよろしく。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )