田原総一郎に反論する


田原総一朗です。

7月5日午前、関西電力は
安全基準をクリアしたとして、
大飯原発3号機の
発電を開始した。

日本全国の原発が
停止しているなか、
昨年3月の福島原発事故以来、
定期検査で止まっていた国内の原発が
再稼働するのは
これが初めてになる。

この大飯原発の再稼働に抗議し、
原発のある、おおい町では、
役場周辺でデモ行進をするなど、
全国から集まった市民が
再稼働に抗議した。
大飯原発につながる道路は
市民グループによって封鎖された。

東京でも永田町の首相官邸前で
大規模なデモが何度も
おこなわれている。
6月29日のデモでは
主催者発表で20万人もの
人が集まった。


僕も原発はなくなったほうが
よいと思っている。
これほど危険なものはない。
3・11の福島原発の事故をみても、
とても人類が制御できるものではない、
ということは明らかである。
将来的には全廃すべきだろう。

ただ、原発再稼働は
これとは別の問題ではないだろうか。
今年の夏という
すぐ目の前の問題だからだ。

例えば関西電力が数字を出している。
もし大飯原発が再稼働しなければ、
今年の夏は、15パーセントの
節電が必要になるという。
このままでは電力が
不足することを政府も認めている。


橋下徹・大阪市長は、
原発再稼働に断固反対だった。
しかし、その橋下さんが
今夏に限って再稼働容認に転じた。
なぜか。

大阪には中小企業がたくさんある。
彼らが大阪の経済を支えていると
言ってよい。
その中小企業の経営者たちが
橋下さんにお願いしたのだ。
「再稼働をせずに夏を迎えれば
停電が起きるだろう。
停電が起きても、大企業は
自家発電機があるから大丈夫だ。
しかし自分たち中小企業は
そんな設備はとても持てない。
停電の被害をもろに被るのは
われわれなんだ」
これで橋下さんは、再稼働を
容認せざるを得なくなった。
「原発事故の危険性より、
目の前のリスクに腰が引けた」
という橋下さんの発言には、
こういう背景もあった。
だが、これをメディアは
きちんと報じていない。

先日、僕は大阪の新聞記者と話をした。
20年以上のキャリアを持つベテラン記者だ。
彼は再稼働に反対だ。
僕は彼に尋ねた。
「東京の新聞は、なぜ橋下さんが
反対から再稼働に転じたのかを、
ちゃんと報道しない。どうしてなんだ」
ベテラン記者は、大阪では
ちゃんと報じていると答えた。
東京にも記事を渡しているが、
東京本社が受け付けないのだ、と。
どういうことかというと、
地方は地方でやっていろ、
東京は別だという
意識なんだそうだ。
そして、これは
どの新聞も同じなのだ。


先ほど、東京でのデモの話をした。
この原発反対運動の中心は、
ツイッターだった。
チュニジアやエジプトで次々に革命が起き、
独裁政権が倒されていった。
ジャスミン革命である。
このとき、ツイッターや
フェイスブックが原動力になった。
マスコミは買収され、
政権の意のままの報道しか
しなかったからだ。
しかし、国民はツイッターや
フェイスブックで情報を分け合い、
互いに声をかけて、
デモがどんどん広がっていった。

これと同じ動きが
日本でも起きている。
とてもおもしろいことだと
僕は思う。
メディアが報じないことも
ツイッターで広がっていく。
さらに、ツイッターなどのネットで、
「脱原発派」と「推進・必要派」が
議論をしている。
なかには、かみ合わない
やりとりもあるだろう。
だが、続けていけば
議論は必ず深まっていくものだ。
僕は、ここに新たなジャーナリズムの
可能性を感じるのである。

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田原総一郎への反論

田原総一郎氏は「僕も原発はなくなったほうがよいと思っている。これほど危険なものはない。3・11の福島原発の事故をみても、とても人類が制御できるものではない、ということは明らかである。将来的には全廃すべきだろう」と述べている。

3・11の福島原発の事故の前に深刻な問題として問われ続けてきたのは地球の温暖化問題であった。
今年も日本は異常気象に襲われている。竜巻、豪雨、早すぎる猛暑は地球温暖化の性だと考えられる。ところが原発反対が起こると日本の異常気象に対するコメントが一切なくなった。原発反対を正義の旗印にするために地球温暖化問題は隅に追いやったのだ。
あんなに大問題にしていた地球温暖化問題に蓋をするのなら反原発を主張しやすい。しかし、地球温暖化もまったなしの問題であり目を背けることはできない。

地球温暖化問題を無視すれば原発反対は簡単に主張することができる。原発事故が起きれば広範囲の人たちが被害を受ける。処理できない核燃料棒は永遠に増え続ける。それを考えると原発はないほうがいいと考えるのが当然である。
しかし、原発問題はそんな単純な問題ではない。原発を廃止すれば化石燃料の発電所だらけになってしまい地球温暖化に拍車をかける。自然エネルギーを利用した発電はまだまだ時間がかかる。それに自然エネルギーは電気料が高い。自然エネルギーが増えれば増えるほどに産業の国際競争力が落ちる。

田原氏のようなベテランジャーナリストは日本の複雑な電気エネルギー問題を常に念頭に置いて原発問題を追及するべきであって、「「僕も原発はなくなったほうがよいと思っている。これほど危険なものはない」と単純に考えるのは避けてもらいたい。

もし、反原発運動の圧力で原発が全廃されたら、数年後には電気料金の高騰、地球温暖化問題が深刻な問題になって、原発再開運動が起こるだろう。それに原発発電所のある地帯の過疎化も深刻な問題になる。

私たちは複雑な問題を念頭に置きながら原発廃止問題を考えていかなければならない。
ところが、学者やマスコミは下記のような記事で国民の不安をあおる。
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「南海トラフ地震死者40万人、関西大教授が試算
読売新聞 7月6日(金)21時5分配信
 東海、東南海、南海地震などが同時発生する「南海トラフの巨大地震」で想定される死者数は、静岡県から高知県の太平洋沿岸を中心に最大で約40万人に上るという試算を、河田恵昭・関西大教授が6日、大阪市で開かれた講演会で明らかにした。

 河田教授は、同地震による人的被害の想定をまとめる内閣府の作業部会の代表で、8月下旬に公表される予定の被害想定の死者数も同規模になるとの見通しを示した。

 東海・東南海・南海の三連動地震(マグニチュード=M8・7)による最大の死者数に関する従来の推計は、国の中央防災会議が2003年にまとめた約2万5000人だった。東日本大震災を機に内閣府は、南海トラフで起きる地震の規模をM9・0に引き上げ、今年3月に最大震度と津波の高さの予測を公表。現在、死者数など新たな被害想定の策定も進めている。」
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学者やマスコミがおかしいのは東日本が大津波に襲われたのをきっかけにして、今までの地震予測を大幅に変更して、日本が巨大地震、巨大津波に襲われる予測を出し、明日にでも第二の東日本大震災がやってくるような話をして国民に恐怖を植え付けていることである。
過去のデータを調べれば次に大津波がやってくる確率は出せる。恐らく次に大津波に襲われるのは数百年から千年後ではないか。自然のことだから予測はできなくても過去のデータからある程度の予測はできる。
ところが日本のマスコミと学者は過去のデータから次に大津波がやってくる可能性は発表しないで、まるで明日にでも大津波や大地震がやってくるような予測を次々と発表して国民を恐怖させている。

学者やマスコミが群集の恐怖連鎖をかきたてる発表をしているために、一部の国民は大地震への恐怖、大津波への恐怖がいっそう高まり、激しい反原発運動に走っている。
原発をすべて廃止して化石燃料の発電でいいのか。地球温暖化の問題は放置していいのかを客観的なデータのもとに討論するべきであるのにマスコミも学者も恐怖をあおるだけである。

原発再開に賛成しているのは、原発が事故を起こしたら直接被害を受ける原発のある地域の人々である。原発は過疎の村人に仕事を与えて地域経済の活性化の推進役を担っているからだ。原発は都市の富を地域に還元するシステムでもあるのだ。
原発に反対しているのは原発のない都市部の人々であるが、彼らは停電や電気料金値上がりを体験していないから正義ぶることができる。停電が起こっても原発反対を主張し続けるか疑問である。

地球温暖化、地域経済、中小企業、電気料金の価格などの多くの問題を原発問題は抱えている。すべての問題を見つめながら原発問題は考えていくべきだ。

私は原発に賛成である。しかし、核燃料棒を最終処理できないから原発の数はできるだけ限定するべきだ。そして、核燃料棒を処理できないのなら将来は廃止するべきであるが、それは将来の人々の判断にゆだねる問題である。
自然エネルギーの電力化はどんどん進めるべきである。しかし、自然エネルギーは出力を調整できないので、原発で自然エネルギーの調整をすればいい。
地球温暖化を防ぐために火力発電を減らしていくのは人類の重要な課題である。3.11で福島原発が大事故を起こしたから原発反対するのは単純すぎる発想だ。


田原氏は、東京に原発反対運動のデモがツイッターの呼びかけで20万人もの人たちが集まったことを、「チュニジアやエジプトで次々に革命が起き、
独裁政権が倒されていった。ジャスミン革命である。このとき、ツイッターやフェイスブックが原動力になった」とジャスミン革命重ね合わせて高く評価しているが、それは田原氏のかいかぶりすぎだ。

ジャスミン革命は「民主化」運動であり、人間の生存をかけた戦いだった。しかし、日本はすでに民主化されている。情報は自由に報道されているし政治運動も自由にできる。ツイッターで軽い気持ちで呼びかけて、軽い気持ちで参加したのが今度の東京デモであり、お祭りのようなものだ。

「ツイッターなどのネットで、『脱原発派』と『推進・必要派』が議論をしている。なかには、かみ合わないやりとりもあるだろう。だが、続けていけば
議論は必ず深まっていくものだ。僕は、ここに新たなジャーナリズムの
可能性を感じるのである」
と田原氏は述べている。ベテランジャーナリストとしては無責任な発言である。そのまま放置していたら、大地震は起こらなくなり、大津波もやってこないと思うようになると原発問題への興味は次第にしぼんでいき、別の社会問題が起こればそっちのほうに話題が移っていって、いつの間にか反原発を話題にしなくなっていく。それが日本ツイッタージャーナリストだろう。

ジャーナリストには原発問題を一般大衆より深く観察し、一般大衆が気付かない問題を提供しして、一般大衆の考えを深めていく使命がある。

田原氏はそうあってほしい。
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