元県知事大田氏の基地返還論は沖縄県破産論である

 無名人が短期間で有名人になるには有名人にかみつくのが一番てっとりばやぃ方法である。
私は無名人である。私は有名人になりたい。だから沖縄の有名にかみつくことにした。最初に誰にかみつくかあれこれと考えた末に、一番最初にかみつくのは太田昌秀氏にした。

なにしろ太田昌秀氏は沖縄で超がつく有名人だ。太田昌秀氏にかみつけば私は有名になれるだろう。
こんな私の思いつきを、安直なやり方だと笑う者がいるだろう。なんと身の程知らずの人間だとあきれる者がいるだろう。えげつないやり方だと軽蔑する者がいるだろう。勇気のある人間だと感心する人間がいるかどうかは知らないが、とにかく、無名な人間が有名人になるには有名人にかみつくのが一番てっとりばやいのは確かなのだ。

 太田昌秀氏をはじめ多くの沖縄の有名人にかみつけば、いつかは私も有名人になれる。
そう信じている。
 そう信じて、最初にかみつくことにしたのが太田昌秀氏だ。
なにしろ、太田昌秀氏は元琉大教授であり、元沖縄県知事であり、元国会議員である。沖縄では最高に地位の高いお人なのだ。

沖縄の三冠王とか沖縄の天皇と呼ばれているという噂を聞いたことがあるような気がするくらい太田昌秀氏は沖縄の最高の権威者であり有名な人間なのだ。
いや、天皇と呼ばれた人は初代沖縄県知事の屋良朝苗だったかな。どっちだったかな。はっきりとは覚えていない。まあ、そんなことはどうでもいい。とにかく、最初にかみつくのは大田昌秀氏が最適だと私は考えた。

さて、かみつくにはどうすればいいか。
それは決まっている。
太田昌秀氏の書いた本を買って読むことだ。読みながら、本の中からかみつくことができそうな文章を探すのだ。
 さて、大田氏のどの本を買おうか。ネットで調べるとなんと大田氏の書いた本は70冊以上もある。こんなにたくさんの本を書いているのかと私は驚いた。

沖縄健児隊(共)、「血であがなったもの沖縄の民衆意識現代の差別と偏見(共) 、近代沖縄の政治構造沖縄健児隊(共)、「血であがなったもの、伊波普猷-人と思想-(共)、「伊波普猷の思想とその時代」、沖縄崩壊、沖縄人とは何か、日高六郎編「軍備は民衆を守りうるか」、『憲法改悪反対運動入門』(共)、沖縄-戦争と平和、「人間が人間でなくなるとき」ジェノサイド、留魂の碑-鉄血勤皇師範隊はいかに戦塵をくぐったか、沖縄の決断、沖縄差別と平和憲法―日本国憲法が死ねば、「戦後日本」も死ぬ、死者たちは、未だ眠れ・・・・・・・・・

ふう、みんな難しそうな本だ。どの本を買えばいいのか私は困った。
どの本がかみつきやすいのかは本の題名からはわからない。全部の本を読めば分かるのだが、70冊もの本を読むなんて読書嫌いの私には無理な話だ。
それに70冊もの本を買うと本代が10万円は超すだろう。貧乏人の私には10万円は大金だ。とてもじゃないが70冊もの本を買うのは無理だ。お金がもったいないし全部読むのは私には不可能だ。
私が買うのは一冊にしよう。三冊も四冊も買えば読むのが大変だ。

どの本を買うか。私は考えた。私は悩んだ。
本の題名を見比べてもどれがかみつきやすい本か見当がつかない。
悩んだ末に私が決断したのは一番新しい本を買うことだった。一番新しい本を買うことに特に理由はない。
 
一番新しい本の題名は「こんな沖縄に誰がした」だった。え、どこかで聞いたような題名だ。
ああ、わかった。歌に「こんな女に誰がした」という歌があった。いや違う。歌の題名は「星の流れに」だ。ずい分昔の歌であるがなかなかいい歌なのでスナックのカラオケで時々歌う。

星の流れに
作詞:清水みのる 作曲:利根一郎

星の流れに 身を占って
どこをねぐらの 今日の宿
すさむ心で いるのじゃないが
泣いて涙も枯れはてた
こんな女に 誰がした

煙草ふかして 口笛ふいて
あてもない夜の さすらいに
人は見返る わが身は細る
町の灯影の わびしさよ
こんな女に 誰がした

飢えて今ごろ 妹はどこに
一目逢いたい お母さん
ルージュ哀しや 唇かめば
闇の夜風も 泣いて吹く
こんな女に 誰がした

私が生まれる一年前の歌だ。
ぐっとくる詞だねえ。
昭和の名曲「星の流れに」は、菊池章子という歌手が歌ってヒットした。
この歌は戦争に翻弄され、満州から引き揚げてきて、生き抜くために身を落とした女性の手記(新聞への投書)を見た「清水みのる」が、そのやるせなさを思い作詞したそうだ。最初にこの曲を貰った歌手は、「こんな娼婦の歌など唄えない」と断ったのを、菊池章子さんが引き受けて歌ったといういきさつがある。
 
娼婦の女と沖縄をひっかけて「こんな沖縄に誰がした」と本の題名にした大田昌秀さんもなかなか味なことをやるじゃないか。
私は感心したね。
戦争に翻弄された女性が娼婦に身を落としたように、戦争に翻弄された沖縄も身を落としたと大田氏は書いたというわけだ。娼婦と沖縄か。意味深な題名だな。

私は「こんな沖縄に誰がした」を本屋で買ってきた。
私が沖縄関係の本を買うなんて何年ぶりだろう。
30年以上になるのではないか。いや、もっと前かもしれない。
たしか、大浜方栄さんという大浜病院の院長が書いた「教師は学力低下の最大責任者」という本だった。あの頃は学習塾をやっていたから、「そうだそうだ。沖縄はあまりにも学力が低すぎる。それは教師の教え方が悪いからだ」と本の題名に賛同するのがあったから買った。沖縄の本を買うのはあれ以来だ。

本の表紙は全体が朱色だった。
真ん中には白い円を描いている。
黄色の字で元沖縄県知事と書いてあり、黒字で太田昌秀著と書いてある。
文字の上には黄色の沖縄本島の図がある。そして、黒字で大きく「こんな沖縄に誰がした」と書いてある。

題名を見た瞬間に「お前がしたのじゃないのか」とからかいの言葉が脳裏にひらめいた。
すぐ相手をケチつけようとする私の悪いくせだ。

私は冷蔵庫から2リットルのおーいお茶のボトルを出しコップについだ。居間に行き食台にコップを置いて「こんな沖縄に誰がした」を開いた。テレビをつけたままだ。独り暮らしだから、テレビを消すと家中が静かになり独り暮らしのわびしさを感じるからテレビは一日中かけっぱなしだ。

本を開いた。
朱色の紙があり、それをめくると、「こんな沖縄に誰がした」と大文字で書いてあり、その下に沖縄本島の地図、さらにその下に大田昌秀著と書かれてある。
ページをめくった。
すると「まえがき」という太文字が右上に小さく申し訳なさそうに立っている。私はまえがきを読んだとたんに、「え」と驚きの声を発した。

「私は、本書で『こんな女に誰がした』もどきの泣き言を並べたてようと思ってはいない」
と書いてあった。私の予想とは違いすぎる書き出しだ。

「それはないよ、太田さん」

と私は思わず口にしていた。
「こんな沖縄に誰がした」という本の題名にしたのなら娼婦に身を挺した「こんな女に誰がした」の深い悲しみと沖縄の悲しみを重ねた本でなければならないはずだ。
ところが最初の一行で「『こんな女に誰がした』もどきの泣き言」と戦争に翻弄された女性の悲しみを冷たくつっぱねているではないか。大田氏は昭和の名曲「星の流れに」をあっさりと切り捨てた。

飢えて今ごろ 妹はどこに
一目逢いたい お母さん

大陸から帰った来た女性はまだ家族にも会えていない。
妹は飢えていないだろうか、
お母さんに一目会いたい。
必死に生きながら女性は妹や母親の無事を願っている。
戦争が原因で娼婦に身を落としながらも妹や母の身の上を心配している女性。
そんな女性は戦後の日本にはたくさん居ただろう。
戦争の悲劇の真っただ中をを生きている女性の心情を大田氏は「泣き言」と冷たく突き放した。戦後の名曲「星の流れに」を冷たく突き放した大田氏に私は失望した。

菊池章子が歌った昭和の名曲「星の流れに」は多くの人に愛され、
藤圭子、戸川純、倍賞千恵子、島倉千代子、美空ひばり、ちあきなおみ、石川さゆり、秋吉久美子、小柳ルミ子など多くの歌手がカバーしている。
なんと美輪明宏もカバー曲を出している。
ユーチューブに掲載されている「星の流れに」ファンのコメントを紹介しよう。

菊池章子の歌声は当時の世情そのものである。ちあきなおみの歌声¬は高度成長期に聞く戦後のイメージである。倍賞千恵子の歌声はその清純さのイメージとかけ離れた落差が大きいゆえに別な何かを醸¬し出す。藤圭子は不幸をキャッチフレーズに売り出した人なのでこの歌を聴くとなんか空々しい。

戦後の疲弊した世の中で否応なく身を持ち崩す女の心情を吐露するような曲ではあるが、そんな女にも会いたい母の面影を追う気持ち¬を知らされる。当然と言えば当然すぎる人間の心。菊池章子が歌ったものとは違った味が賠償千恵子の清純な声から窺える。まさか賠¬償千恵子が唄うとは思ってもいませんでした。

はい、チョコレート色の国電(こんにちのJR中央線)の中で白装¬束の傷痍兵さんが松葉杖をつきながらコッツコッツ歩いていたのを¬覚えております。

最近の日本はあまり元気がないようですが、人生と同じく山あり谷¬ありです。ころんだら、這い上がって、立ち上がって。長い歴史を¬振り返ってもこれの繰り返しですよね。これらの写真を見てつくづく日本人は立派だと思いました。がんばれニッポン

「私たちの愛する沖縄の現状が日本国憲法の理念をもろもろの規定と余りにも異なり過ぎている事態を直視し、それが何に起因するのかを明らかにしたいのである。と同時に、できる限りその解決の処方箋を読者と一緒に考えてみたい」

 昭和の名曲「星の流れに」は戦争で苦労した戦前生まれの人たちだけでなく、私のような多くの戦後生まれの人たちにも愛されている歌だ。
そんな「星の流れに」を単なる女の泣き言と錯覚している大田氏の精神を疑う。この人に人間の情というものはあるのだろうかと思いながら私はまえがきを読み進めていった。


一週間後。
 一応「こんな沖縄に誰がした」を読み終わった。

 読後の感想は「まいったな」だ。かみつくところを見つけるところがないという意味で「まいったな」だではない。むしろ逆だ。かみつくところがあまりにも多すぎる。最初のページから最後までみんなかみつくことができる。こんなにかみつきやすい本でいいのか。元琉球大学教授で、県知事になり、国会議員までなったお人だ。私のような底辺の人間が簡単に噛みつくことはできないだろうと思っていたのに、意外や意外である。いたるところに噛みつけるのだ。こんなでたらめなことをよくも書けたものだと妙な感心をしたくらいだ。
 
本当にこのお人は県知事になった人物なのか。信じられない。

私たちの愛する沖縄の現状が日本国憲法の理念をもろもろの規定と余りにも異なり過ぎている事態を直視し、それが何に起因するのかを明らかにしたいのである。と同時に、できる限りその解決の処方箋を読者と一緒に考えてみたい。
                                   「こんな沖縄に誰がした」

と、かっこいいことを述べているが、「星の流れに」から見える戦後の日本の悲惨な現実を見ることができないお人が「沖縄の現状」を理解することができるのだろうか。憲法という上から沖縄という下を見ているが、上から目線で地べたの沖縄の現状を見ても沖縄の現状を真摯に理解できるはずがない。どうやらこの本はそんな本なのだ。

 さて、かみつくとするか。この本を買った目的は有名人の大田昌秀氏にかみついて私が有名人になるのが目的だ。なにがなんでも噛みついて噛みついて噛みついてやるのだ。噛みつくのはどのページでもかまわないな。

 気まぐれにぱーっとめくってぱたっと止めよう。そのページに噛みついてやる。開いてみると117ページであった。117ページに書いてある題名は「基地返還前後の経済変動」だった。

 大田氏は、ハンビータウンがヘリコプター基地だった頃の雇用は100人そこそこであったが、1981年に返還されてからは若者の街に変貌して、ヘリコプター基地だったころよりも経済発展し、雇用は数千人から一万人にも及んでいるといい、地元自治体に入る固定資産税は約257万円から1億9507万円に及んでいると述べている。

以上の統計の事実から大田氏は、軍事基地であるよりも民間に開放されたほうが経済発展をするのだと主張している。

 大田氏は本当に県知事だったのかと疑わせる発言である。大田氏が北谷町長であったらハンビー飛行場が返還されてハンビータウンとなり若者の街と栄えていったことはとても歓迎することである。そのお蔭で北谷町の税収がぐーんとあがったからな。

 でも大田氏は北谷町長ではない。沖縄県知事だった。県の経済発展の責任を持たなければならないお人であった。北谷町の経済発展が県全体の経済発展につながるのなら大いに喜ばしいことであるが、北谷町の経済発展が県全体の経済発展につながらないのなら県知事であった大田氏が手放しで喜ぶのはおかしい。

 沖縄市の園田にモッズというライブハウスがあった。国道331号線沿いにあり、モッズでは民謡からジャズまで多くのミュージシャンがライブをし、沖縄では有名なライブハウスだった。しかし、モッズは新しい街ハンビータウンができると園田より集客力がいいハンビータウンに引っ越した。当然のことながらモッズの客は沖縄市から北谷町に流れた。北谷の客は増えたが沖縄市の客は減った。

 美浜タウンの国道58号線沿いに新しいパソコン専門店ができた。すると沖縄市のコリンザの一階にあったパソコン専門店は閉店に追い込まれた。元々ぎりぎりの経営状態だったのに北谷町や嘉手納町の客が美浜に流れたことが影響して赤字経営に転落したのが原因だと考えられる。コリンザのパソコン店が閉店すれば美浜のパソコン店に客は流れる。

 モッズのように沖縄市から北谷町のハンビータウン・美浜に移転した店舗がいくつもあり、多くの客がハンビータウン・美浜流れた。

 客がハンビータウン・美浜に流れたためにコリンザのパソコン店のように閉店した沖縄市や宜野湾市の店も多い。ハンビータウン・美浜のお客は他の市場から流れた人たちであり、他の市場から客を奪うことによって北谷町のハンビータウン・美浜は繁盛した。沖縄市、嘉手納町、宜野湾市などの店は北谷町に客を奪われたのだ。

 県全体から見ればハンビータウン・美浜の繁盛はプラスマイナスゼロである。
 ハンビータウンの経済発展をまるで県全体の経済発展だと錯覚して手放しで喜ぶ人が県知事だったとは信じられないことである。県知事なら沖縄市などのハンビータウン・美浜の周辺の店がどれほどの売り上げが落ちたかを調査して、ハンビータウン・美浜が県全体に及ぼすメリットとデメリットについて分析するべきだ。

 返還された泡瀬ゴルフ場跡に大型店舗のイオンモールができる。沖縄市の商店経営者たちはイオンモールが開店すると壊滅的な打撃を受けるだろうと心配している。しかし、大田氏なら返還された泡瀬ゴルフ場にイオンモールができて経済が発展したと手放しで喜ぶのだろう。

一方が繁栄すれば一方は廃れる。それがサービス業の経済法則だ。例えば、大型スーパーが繁栄することによって個人商店やスーパーは廃れた。コンビニエンスが繁盛することによって個人商店、書店、弁当屋、パーラーなどが廃れた。新しい商業地が繁栄している裏には古い商業地が廃れていくのが現実だ。

そこにはプラスとマイナスの関係がある。ハンビー・タウン・美浜が栄えた分だけ他の商業地の売り上げは落ちたのであり、県経済の全体が成長したとは言えない。
このようなとても簡単な経済法則さえ知らない大田氏が県知事だったのだ。大田氏のあきれる経済論はこれだけにとどまらない。

現在返還問題で揺れている普天間飛行場は、このハンビー飛行場の11倍の大きさにも関わらず、二〇〇九年三月末現在で二〇七人しか雇用していない。
                                  「こんな沖縄に誰がした」
と述べ、もし普天間飛行場が返還されたらハンビータウン・美浜のように経済発展すると推測している。

普天間飛行場とハンビータウン・美浜は車で数分の距離である。ハンビータウン・美浜より何倍も広い普天間飛行場に若者の街ができたらハンビータウン・美浜の客は普天間飛行場に流れてしまうだろう。ハンビータウン・美浜は廃れてしまうのは確実だ。こんな明々白々なことを大田氏は知らないのだ。大田氏の頭は大丈夫かと疑ってしまう。しかし、大田氏の妄想はこれだけでは終わらない。

さらに例を挙げると、極東最大の空軍基地と言われる嘉手納基地は成田空港の二倍の広さがある。しかし、2734人しか雇っていない。それに比べ、民間空港の成田は4万人以上が雇用されているのが実情だ。-このように、軍事基地が返還され、その跡地が、民間に利活用されるようになると、雇用が一〇倍に増えるという試算が試算がなされているが、それはあながち誇張ではない。
                                  「こんな沖縄に誰がした」

 それは明らかな誇張だ。いや、妄想だ。嘉手納飛行場が民間空港になったら成田と同じ客数になると考えるほうがおかしい。沖縄にやってくる観光客は限られている。嘉手納飛行場が民間空港になったからといって観光客が増えるわけではない。嘉手納飛行場の客が増えただけ那覇空港の客が減るだけのことだ。客が減れば経営が赤字になり、倒産の危機に陥る。

もし、嘉手納飛行場が民間飛行場になったら、二つの飛行場が赤字になり倒産の危機に陥る。嘉手納基地が返還されて、民間空港になったら、嘉手納空港は成田なみに4万人の雇用ができるなんて妄想だ。

 普天間飛行場の軍用地料金は年間60億円である。普天間飛行場のほとんどは私有地であるから60億円の多くは宜野湾市の地主に入る。普天間飛行場が返還されれば軍用地料はゼロになる。軍用地料は日本政府から沖縄県内に入ってくるお金だ。ハンビータウン・美浜に入ってくるお金は県内のお金が移動しただけである。それどころか本土から仕入れた商品が売れれば売れるほど商品の原価の分だけ本土にお金が出ていく。

 軍用地返還跡に小売店の商業街ができるということは、県内に入ってくるお金は絶たれ、県外にお金が出ていくシステムが増えるということである。

 米軍基地が存在することによって日本政府やアメリカから年間3000億円近くのお金が県内に入ってくる。もし、軍用地が返還され、返還跡地にはハンビータウン・美浜のような街や泡瀬ゴルフ場跡のイオンモールのような小売店ができると、年間3000億円の県内への流入はストップする一方県内から県外へお金がどんどん出ていくシステムが増える。それでは沖縄県が破産する。

 元県知事大田氏の基地返還論は沖縄経済の破産論である。
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