大田元県知事はどうしてみえみえの嘘をつく

「こんな沖縄に誰がした」の5ページに
「かつて琉球の人々は、いかなる武器も持たず戦争を忌み嫌い、いかなる紛争をも暴力を用いずに話し合いで解決する伝統的な平和文化を培ってきた」
と大田氏は述べている。
私は沖縄の歴史をあまり知らないが、
尚巴志が三山を統一したのは有名な話だ。
三山を統一したということは武力で制圧したことである。
私は中学・高校生用の沖縄歴史の本を買ってきて調べてみた。
昔の歴史を調べてみた。

1187年頃 舜天、中山(沖縄本島中部)王に即位。
1406年 尚思紹父子、武寧を滅ぼして、尚思紹が中山王になる。
1416年 尚巴志、北山を滅ぼす
1429年 尚巴志王、南山を滅ぼして全島を統一する。
1500年 八重山のオヤケ・アカハチの乱を平定。
1571年 尚元王、奄美大島を征服。
1609年 薩摩の島津家久が琉球に侵攻し、尚寧王を連行する。

「ジュニア版 琉球・沖縄歴史」によると、
1453年五代王・尚金福がなくなると後継争いは激しくなったことがあったらしい。
争いとは口喧嘩ではない。武力による争いであり、戦争である。
後継争いの戦火で首里城は焼け、後継争いをした二人も死んだ。

護佐丸・阿痲和利の乱もある。
金丸が尚円になったときも武力によるクーデターと言われており、
王位継承争いの解決は話し合いではなく武力争いで解決したというのが歴史的事実だ。

武寧を滅ぼす、北山を滅ぼす、南山を滅ぼす
というのは武力で滅ぼすということだ。
つまり琉球王朝は軍隊で持ち、
戦争をしていたということであり、
太田氏のいう
「かつて琉球の人々は、いかなる武器も持たず戦争を忌み嫌った」
という歴史的な事実はどこにもないし、
それは嘘である。
琉球王朝は八重山や奄美大島も武力で制圧して、植民地にしている。
「いかなる紛争をも暴力を用いずに話し合いで解決した」という事実はない。
むしろ暴力で解決したというのが正しい。

薩摩藩の支配下になった琉球王朝は軍事力を剥奪され、
戦争をする能力は失われたのであり、
太田氏のいうように
「かつて琉球の人々は、いかなる武器も持たず戦争を忌み嫌った」
というのは歴史的な事実はない。
それに
「いかなる紛争をも暴力を用いずに話し合いで解決した」という歴史的な証拠もない。
それどころか琉球人が乱暴であり、中国に嫌われた事実の記録があるのだ。

琉球は明国への朝貢がゆるされると、
毎年、中国へ行って貿易をおこなうようになりました、
しかし、そうほうの間に何の問題もなく、
平穏に朝貢貿易がつづけられていたのではありませんでした。
琉球人の中には、不法行為によって厳しく処罰される者もおり、
信頼を損なう事件も起こっていました。
1475年には中国皇帝から尚円王に対し、
「琉球使者の中に、殺人、放火によって強盗を働いた者がいる。犯人をつかまえて処罰せよ」
と命令がありペナルティーとして
「今後、中国への朝貢は2年に1貢とする」
ことが言い渡された。
琉球王府は、この事件に琉球人がかかわっていないことを報告し、
従来通り1年1貢にもどすように嘆願を繰り返したが、
1時期は1年1貢にもどったことがあったが、
1年1貢は許されなかった。
理由は使節にしたがってやってきた琉球人が、
違法な取引をしたり、
不法滞在で地元住民とのあいだでトラブルをおこしたりしていたからである。

                      「ジュニア版 琉球・沖縄史」より

琉球人が暴力を用いずに話し合いで解決したというのは嘘である。
中国で暴力をふるってトラブルを起こしていた事実が歴史にちゃんと残っている。

学者である太田氏がなぜこんなみえみえの嘘をつくのか不思議でならない。
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はじめまして (ボギー)
2012-07-27 20:16:09
はじめまして、ボギーと申します。
本日、色々拝見させて頂きました。
見事なまでの状況分析と、主張に心が震える思いが致します。
これこそ、沖縄で封印されてきた「真実」と「良識」そのものだと思います。
これから、記事を引用させていただき、放送の中で取り上げさせてもらってもよろしいでしょうか。
1人でも多くの沖縄県民に伝えるべき言葉が、宝石のように輝いている、心からそう思い書き込みさせて頂きました。
 
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