沖縄地方紙のプロパガンダになり下がった佐藤優



第1章 日本・沖縄の米軍基地はアジアの民主主義国家の平和に貢献している 第2章 戦後沖縄の非合法共産党・米民政府 第3章 辺野古移設の真実 第4章 辺野古埋め立ての真実 第5章 辺野古の真実を捻じ曲げた者たち 第6章 辺野古の真実を捻じ曲げた沖縄タイムス・琉球新報 第7章 辺野古の真実を捻じ曲げた翁長知事 第8章 辺野古の真実を捻じ曲げた落合恵子 第9章 辺野古の真実を捻じ曲げた宮崎駿 第10章 自民党県連批判 

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沖縄地方紙のプロパガンダになり下がった佐藤優
2015年7月18日の「ウチナー評論」は「沖縄人は間抜けていない」だった。
佐藤氏は元外務省国際情報局分析第一課主任分析官であり、インテリジェンスが佐藤氏の売りである。
月間SPAに【佐藤優のインテリジェンス人生相談】「外務省のラスプーチンと呼ばれた諜報のプロが、その経験をもとに、読者の悩みに答える!」のコーナーがある。インテリジェンスは、知能やそれの働き、あるいは知能が働く上で利用する情報群などを内包した概念であり、佐藤氏は情報と分析に優れている人物であるというのが一般的な評価である。
しかし、ウチナー評論「沖縄人は間抜けていない」を読むと佐藤氏のインテリジェンスを疑ってしまう。「沖縄人は間抜けていない」の内容は「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」が本土の新聞や週刊誌に意見広告を出したことに対する批判である。

「反知性主義とは、客観性と実証性を軽視もしくは無視して、自分が欲するように世界を理解する立場を言う。そういう人たちに、事実と論理で説得を試みても奏功しない。それは反知性主義者が自らが信じる『真実』に固執し、対話を拒否しているからだ」
                 ウチナー評論「沖縄人は間抜けていない」
反知性主義については佐藤氏のいう通りである。反知性主義者の代表的な存在が宗教信心者である。神は科学的な存在ではない。神は理屈ではなく無条件に信じるか否かである。神を信じている者には事実と論理で説得することはできない。信神者は自らが信じる『真実』に固執し、対話を拒否する。心神者は反知性主義であるからそのような心神者について述べるのかと思いきや、そうではなく東京の政治エリート(国会議員、官僚)や全国記者、有識者の中に反知性主義者がいると述べている。佐藤氏のいう反知性主義者とは、

「『琉球新報』と「沖縄タイムス」の沖縄二紙が、左翼的な編集部に乗っ取られているので、反基地、反米、反日キャンペーンを展開している。沖縄県民は沖縄二紙に操作され、米海兵隊普天間基地の辺野古移設に反対している。この状態は日本国民のためにならない。沖縄県民は、外交・安全保障に関わる問題は、専管事項であることを認識し、国策に協力すべきだ。沖縄2紙がつぶれるならば、沖縄も正常になる」という反知性主義的発想をしている人々は必ずいる」
                ウチナー評論「沖縄人は間抜けていない」
佐藤氏のいう反知性主義者とは沖縄2紙を批判する政治家や官僚、記者、有識者のことである。それはおかしい。沖縄2紙批判をするのは表現の自由であるし、沖縄2紙を読み、矛盾を感じたから批判をしたのである。反知性主義とは逆の知性主義だから批判をしたのである。沖縄2紙の記事を完全に信じて、無批判の人の方が反知性主義であるのではないか。

佐藤氏は反知性主義的発想をしている人々が「沖縄2紙の報道を弾劾する」意見広告の掲載に動き始めていると述べ、意見広告を掲載する代表者には、沖縄人を持ってくなくては体裁がつかないから、「沖縄保守のジャンヌダルク」と呼ばれている人が重宝されたと述べている。つまり「正す会」をつくったのは本土の反知性者主義者たちであり、「沖縄保守のジャンヌダルク」我那覇真子さんは体裁をつくるためのお飾りであると佐藤氏は断じているのだ。
事実は違う。我那覇真子さんはブログ「狼魔人日記」の管理者江崎孝氏と2年間近くチャンネル桜沖縄支局のキャスターを務めている。江崎さんは「狼魔人日記」で沖縄二紙の嘘を徹底して暴いてきたし、チャンネル桜でも沖縄2紙の記事の嘘を暴いてに批判してきた。我那覇さんは江崎さんを師匠と呼び、二人はチャンネル桜で沖縄2紙の批判を続けてきた。「正す会」は二人が発起人であり、二人が居なかったら「正す会」は結成されなかった。
「正す会」の結成大会の時、「正す会」では駄目だ。「糾す会」が正しい表現であるから「糾す会」にするべきだという意見があったが、我那覇真子さんは「糾す会」を読める人は少ないし、意味も理解できない人が居るだろうから、誰でも読める「正す会」にしたことを説明し、「糾す会」に直すことに反対し「正す会」を通している。
「正す会」は佐藤氏のいう本土の反知性者主義者たちがつくったのではない。しかし、本土の反知性者主義者たちがつくったと信じている左藤氏は我那覇さんを「どの植民地にも、宗主国の方針に過剰同化する現地人」であると決めつけている。
佐藤氏が沖縄を植民地だと思っていることには驚いてしまう。沖縄は議会制民主主義国家日本の地方自治体であり民主社会である。植民地ではない。佐藤氏のほうが客観性と実証性を軽視もしくは無視する反知性主義者ではないかと疑ってしまう。

意見広告 「このままでいいのか、沖縄の新聞」
 沖縄2紙の報道姿勢を正す私たちの活動にご支援をお願いします。
~ 沖縄2紙の報道により、事実を知ることができない沖縄県民 ~
 当会は半日左翼的な2紙の報道により歪められた沖縄の言論空間を正常化し、県民世論の健全化を図ることを活動の目的として結成された有志の会です。2紙は中国の脅威についてもいっさい触れません。
長らく2紙を購読していたジャーナリストの櫻井よしこ氏も『沖縄世論』への寄稿で、両紙ともに「歴史問題や軍事問題となると、必ずと言ってよいほど驚くべき偏りに陥る」とし、「事実を伝えない2大紙からの決別こそ必要なのである」と主張しています。
 私たちは沖縄に真の言論機関を形成するために立ち上がりました。

日本はひとつです。沖縄県人の皆様の活動へのご支援をお願いします。
    「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」

 「正す会」の広告文である。読んで分かるように「正す会」の目的は沖縄2紙をつぶすことではない。沖縄言論空間を正常にすることである。
ネットでは沖縄2紙以外の全国のマスコミの報道を見ることができる。江崎氏や我那覇さんはネットから得た正確な情報を参考にしながら沖縄2紙の隠ぺい報道を糾弾してきた。糾弾しながら二人の沖縄2紙に対する怒りはますます増加していった。なんとしても沖縄2紙への糾弾を強化していきたいと考えていた二人は去年から「正す会」を立ち上げたいと思っていた。しかし、素人の二人は立ち上げることができなかった。「正す会」を立ち上げることができたのは二人の気持ちを理解し、協力する人間が現れたからである。
 「正す会」の名誉顧問は元文化大臣の中山成彬氏である。支援者には、元月刊「自由」編集委員会代表の加瀬英明氏、「沖縄の2つの新聞はつぶさないといけない」と発言して、マスコミを賑わした、ベストセラー小説「永遠の0」の作者百田尚樹氏、ユーチューブの有名なコメンテーターKAZUYA氏、テキサス親父のトニー・マラーノ氏、呉善花、石平、西村幸祐、黄文雄である。佐藤氏は東京の政治エリート(国会議員、官僚)や全国記者、有識者の中の反知性主義者が「正す会」をつくったと述べているが、支援者を見るとその指摘が間違っていることが分かる。沖縄在住の支援者は、上原正稔、伊佐真一郎に私である。私は我那覇さんに「正す会」の支援者になってくれませんかと直接頼まれて承諾した。

佐藤氏は「正す会」に対して、
「沖縄人が、同胞の沖縄の言論、表現、報道の自由を制限する行動を取ることは、実に嘆かわしい。しかし、そういう人は、一定数いるものだ」
と述べて、「正す会」が沖縄の言論、表現、報道の自由を制限するのを目的にしていると主張している。しかし、「正す会」は歪んだ沖縄2紙の報道を批判しているのであって言論、表現、報道の自由を制限しようとはしていない。むしろ解放されることを目指している。「正す会」の意見広告を見れば理解できることである。

もしかすると佐藤氏は「正す会」の意見広告を見ていないかも知れない。佐藤氏は「最近、筆者のところに入ってきた情報によると」と書いている。ウチナー評論「沖縄人は間抜けていない」には「正す会」の意見広告の内容が一言も書かれていない。「もしかすると」ではなく確実に佐藤氏が広告を見ていない。インテリジェンスと鋭い分析を売りにしている左藤氏なのだから、「正す会」を批判するのなら意見広告を読み、分析した上で批判するべきである。ところが佐藤氏は意見広告を読まないで、佐藤氏のところに入ってきた「他人」からの情報だけで批判しているのである。情報は人伝えであるから100%正確に伝わることはあり得ない。その事実を佐藤氏なら知っているはずである。元分析官なら直接自分で「正す会」の意見広告を見て、宣言文を読み、名誉顧問が中山 成彬氏であり、運営代表委員が我那覇真子さんであることを確認し、二人について情報を集めてから「正す会」批判をやるべきである。インテリジェンスを売りにしている左藤氏ならそれが義務である。しかし、「沖縄人は間抜けていない」にはその形跡がない。インテリジォンスのかけらもない批判が佐藤氏の「沖縄人は間抜けていない」である。
佐藤氏は琉球新報から得た情報だけで書いたのだろう。「正す会」を知らない佐藤氏は間違った「正す会」非難を増長させていく。

「『沖縄2紙が偏向している』というプロパガンダを展開する人々の狙いは、中央政府が、沖縄人に死傷者が発生するような事態になっても、辺野古の埋め立てを強行し、新基地が建設されることを望んでいる」
                  ウチナー評論「沖縄人は間抜けていない」                
「死傷者が発生するような事態」は反対派が違法行為をした上に警察や海保に激しく抵抗したり暴力を奮ったりした時に予期せぬ事故によって発生する可能性はある。反対派が違法行為をしなければ警官や海保はなにもしないから死傷者は出ない。辺野古の埋め立ては普天間飛行場の移設が目的である。佐藤氏は辺野古で死傷者が出る可能性を問題にしているが、普天間飛行場では沖国大にヘリコプターが墜落した過去がある。辺野古埋め立てより普天間飛行場のほうが死傷者が出る可能性は高い。辺野古埋め立てを阻止するということは宜野湾市民の死傷を招くことになる。辺野古飛行場建設反対派は普天間飛行場の危険性をないがしろにしている連中である。佐藤氏も宜野湾市民の死傷には平気な人間の一人である。

「辺野古新基地建設に反対する運動、沖縄独立運動、沖縄の自己決定権回復運動など、自分たちに耳障りな運動は、すべて中国の工作活動のように映る。そして、沖縄では中国のスパイが活動し、政治、経済、メディアの全域を支配しつつある」という妄想に取り憑かれている。反知性主義が妄想に取り憑かれると、外部が理性と事実に基づく説得をしても聞きいれない」
                      ウチナー評論「沖縄人は間抜けていない」
「正す会」は沖縄2紙が偏った報道をすることを批判し、沖縄の言論空間を正常化するのを目的に立ち上がったのである。報道の在り方を問題にしているのであって革新や左翼の運動が中国の工作活動であると主張しているのではない。つまり「正す会」は政治ではなく報道を問題にしている。
「正す会」の正しい情報を持っていない佐藤氏は、「正す会」は中国のスパイが活動し、政治、経済、メディアの全域を支配しつつあるという妄想に取り憑かれている反知性主義者たちが我那覇真子を利用してつくった組織であると決めつけている。それこそが佐藤氏の妄想である。
妄想の世界におちこんだ佐藤氏は我那覇さんをひどく侮辱する。

「沖縄では、ほとんど発信力も影響力も持たない人であっても、沖縄人であること、場合によっては婚姻で沖縄人の姓を持つことによって、「マスコミでは報道されない真実の声」を代表する者として、政治的に消費されていく」
                      ウチナー評論「沖縄人は間抜けていない」
この文章は左藤氏が我那覇真子さんについて全然知らないことを明らかにしている。我喜屋真子さんがもしかすると本土の女性であり、沖縄の我喜屋という男性と結婚して我喜屋姓になった可能性も考慮して、「婚姻で沖縄人の姓を持つことによって」と書いたのである。我那覇さんは自分が名護市出身であることをよく言う。グーグルで調べれば我那覇さんの年齢や出身地はすぐ分かる。佐藤氏は我那覇さんのことを調べることもしないで書いたのである。そして、我那覇さんは発信力も影響力もない女性であり、「正す会」の代表にさせられ政治的に消費されていく人間であると佐藤氏は書いたのである。我那覇さんへのこれ以上ない侮辱である。佐藤優は物を書く人間として最低の人間である。

「東京の一部政治エリートが画策する『沖縄人に沖縄を対立させる』という分断政治に乗せられるほど、われわれ沖縄人は間抜けていない」
                     ウチナー評論「沖縄人は間抜けていない」
佐藤氏は「はじめてのマルクス」「今生きる資本論」「今生きる階級論」とマルクスの資本論、階級論についての本を出している。マルクスは資本主義社会におけるブルジョア階級とプロレタリア階級の対立を書いている。ブルジョア階級は搾取する階級でありプロレタリア階級は搾取される階級である。それが資本主義社会であるというのが共産党などの左翼の主張である。左翼の最終目標はブルジョア階級を倒してプロレタリア階級を解放することである。階級論から見れば沖縄も資本主義社会であるから沖縄にもブルジョア階級とプロレタリア階級が存在している。沖縄人同士でも決定的な階級対立が存在している。それが階級論である。
佐藤氏は沖縄人同士の対立はないが東京の一部政治エリートが画策して対立させて政治分断させていると述べているが、階級論から見れば沖縄ではブルジョア階級とプロレタリア階級が政治的に対立しているのである。「今生きる階級論」を書いた佐藤氏ならそのことを知っているはずだ。そのことを知っていなければ階級論は書けない。ところが佐藤氏は沖縄には階級対立がなく、沖縄人同士の対立はないと述べているのである。それは階級論と矛盾している。
沖縄人ではない佐藤氏が「われわれ沖縄人は間抜けていない」と述べている。苦笑してしまう。


沖縄には「命どぅ宝」と並んで有名な格言がある。「物呉ゆすどぅ我が御主(むぬくゆすどぅ わがうすう)」である。直訳すると「物をくれるのが私のご主人」である。ただ、単純に物をあげるというのではなく雇ったり、生活手段を提供するのを「物呉ゆすどぅ」と言ったのだろう。生活手段を与えてくれるのが私のご主人ということだ。琉球王国時代の搾取され貧困だった農民のことわざである。「命どぅ宝」は反戦平和の格言として有名になったが、「物食ゆすどぅ我が御主」は聞かなくなった。高校生の頃、私はこの二つの格言が嫌いだった。
高校生の時、世界史で人々はフランス革命のように自由、権利を求めて闘ったことを習った。日本でも四民平等の新しい国をつくるために坂本龍馬たちは命を懸けて戦った。死を恐れぬ人たちが支配者と戦ったから人間の自由を勝ちとったのである。もし、「命どぅ宝」といって支配者と戦わないで「物食ゆすどぅ我が御主」と支配者のいいなりになっていたら自由な社会を築くことはできない。だから、沖縄の二つの格言が嫌いだった。奴隷精神の格言にしか私には思えなかったし、沖縄の二大格言とは信じたくなかった。
琉球大学に入学すると図書館で「命どぅ宝」と「物食ゆすどぅ我が御主」について調べた。教師の説明とは違う、もっと深い意味があることを期待したからだ。しかし、教師の説明と同じだった。二つの格言は極貧の農民から生まれた格言であった。沖縄は台風や干ばつの被害が多く、ソテツ地獄と呼ばれる餓死者がでるような事態が毎年のようにやってきた。生きることさえ困難な生活の中から「命どぅ宝」と「物食ゆすどぅ我が御主」は生まれたことを知った。
沖縄は小さい島で、土は養分の少ない赤土である。農業に向いていない。毎年暴風がやってくる。暴風がやってこないと干ばつになる。私はことわざを調べて沖縄が非常に貧しい島であったことを痛感した。「命どぅ宝」と「物食ゆすどぅ我が御主」は嫌いなことわざではあるが、このことわざの重さを感じざるをえなかった。

「物食ゆすどぅ我が御主」は琉球王朝時代の古いことわざであり現在の議会制民主主義社会では通用しないことわざである。民主主義では人間は平等であり人権は尊重されているからだ。労働者は奴隷ではない。しかし、「物食ゆすどぅ我が御主」の精神の人間がいないわけではない。沖縄アニミズムの信奉者であり、琉球王朝のような琉球独立を主張している佐藤優氏は「物食ゆすどぅ我が御主」の精神の人間である。
佐藤氏は琉球新報に毎週土曜日に「ウチナー評論」を掲載しているが、今では佐藤氏にとって琉球新報は御主人様である。御主人様の命令にはなんでも従うのが「物食ゆすどぅ我が御主」精神の佐藤氏である
ウチナー評論「沖縄人は間抜けていない」がその証拠である。佐藤氏は「正す会」について知らなかった。我那覇真子さんも知らなかった。それなのに「正す会」を批判するコラムを書いたのである。なぜ書いたか。御主人である琉球新報に「正す会」批判を書くように頼まれたからである。すると佐藤氏は「正す会」について知らないのに琉球新報好みの内容の「沖縄人は間抜けていない」を書いたのである。
現代の「物食ゆすどぅ我が御主」版が琉球新報と佐藤優氏の関係である。佐藤優氏は沖縄地方紙のプロパガンダになり下がったのである。
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