めじろと拳銃

冬になるとめじろが村にやってきて、がしゅまるの実や椿の蜜を食べる。
村の大通り沿いに空き屋敷があった。屋敷の中は雑草が茂っていた。屋敷の大通りに面している側に大きながじゅまるの木が植わっていて実を食べにやってきためじろが枝から枝へ飛び回っていた。私たちががじゅまるの下で遊んでいるとスペイン系のアメリカ青年とウチナーの彼女がやってきた。アメリカ青年は背が低くウチナーンチュと同じくらいであった。彼女は陽気で派手な格好をしていた。まだ十代のようであった。二人はがじゅまるを見上げてめじろを見ながら話し合った。彼女はめじろを指さしながら話した。するとアメリカ青年は内ポケットから小型の拳銃を出して、めじろに向けると一発撃った。しかし、めじろは何事もなかったように飛び回っている。彼女は笑いながらアメリカ青年をからかった。めじろに命中させることができなかったので「へたくそ」とでも言ったのだろう。二人の会話はざっくばらんで少年と少女の会話のようであった。
アメリカ青年はむきになってめじろに向かって数発撃った。ところがめじろは何事もなかったように平気で枝から枝へ飛び回っていた。彼女は大笑いした。アメリカ青年は弁解しながら拳銃をポケットに戻した。
彼女はアメリカ青年をからかい、アメリカ青年は弁解しながら去っていった。

「へたくそだなあ」
二人が去った後にヨシ坊が言った。飛び回っているめじろに命中させるのは非常に難しいことであるが、私たちは赤城圭一郎のファンで、抜き打ちの竜と呼ばれている拳銃の名手の映画を見ていた。竜は振り向きざまに拳銃を撃って、相手の拳銃を弾き飛ばした。竜はいつも敵の拳銃に命中させて拳銃を弾き飛ばして体に命中させることはしなかった。どんなに拳銃の名手でも竜のようなことはできるはずないが、小学生の私たちはできるものだと信じていた。だから、アメリカ青年がめじろを撃ち落とすことができなかったのをへたくそと思ったのだ。
このアメリカ青年は拳銃を撃つのが好きなようで、一号線を超えた場所に輸送管に沿って車道があったが、そこでカジノで使うチップを道路の反対側に立てて、チップに向けて撃っていた。
弾はチップに当たったり外れたりした。木の枝に自転車のチューブを細く切って取り付けたゴムカンという本土ではパンコと呼ぶ小石を飛ばすのを私たちは持っていたが、彼の拳銃の腕より私のほうが上だと思った。彼に勝負を挑みたかったが英語は話せないし、彼は私たちを無視して彼女とばかりいちゃついていたので勝負を挑むのを止めた。
勝負をしなかったのは心残りである。
拳銃を撃つのを見たのは彼が最初で最後だった。彼以外に拳銃を持ち歩いているアメリカ人はいなかった。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 沖縄産業界の... 沖縄産業界の... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。