衆議院選挙ではっきりしたのはひとつ 左翼衰退・保守発展が歴史の流れであること


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衆議院選挙ではっきりしたのはひとつ 左翼衰退・保守発展が歴史の流れであること

衆議院選挙の議席増減)
自民261(∸15)
公明32(+3)
立民96(∸14)
共産10(-2)
維新41(+30)
国民11(+⒊)
れいわ3(+2)
社民1(+0)
衆議院選でマスメディアの一番の注目は立民と共産が共闘したことだった。立民と共産のダブっている候補を一人に絞るのだから選挙に有利になる。ほとんどのマスメディアは当選者は増えると予測していた。私も増えると思っていた。そう考えるのが普通である。しかし、実際は立民が14議席、共産が2議席減らしたのである。なぜ増えるはずなのに減らしたのか。共闘は失敗だったのか、そうではなかったのか・・・・・。ジャーナリストたちがあれこれと推理して大騒ぎした。
選挙結果を見てそんなことはどうでもいいことだと思った。ああだこうだとジャーナリストは騒いでいるが彼らが気付いていない歴史的な重要なことがあった。
「二大政党を目指して立憲民主党は共産党と合流しよう」の末尾に「左翼衰退・保守拡大が歴史の流れである。ブルジョア民主主義が発展し続けているということだ。レーニンが考え出した二段階革命の第二革命である社会主義革命の可能性は消えた」と書いた。
戦後の歴史ではっきりしていることは旧社会党と共産党の左翼勢力は衰退し続けて保守は拡大していることである。一つの例として東京都では保守の都民ファーストが31議席で自民33議席と接近している。左傾の立憲民主、共産党に対して保守が圧倒的な勢力である。
戦後の日本はブルジョア民主主義が発展し続け左翼衰退・保守拡大が歴史の流れであることが今度の衆議院選挙でもはっきりと表れた。
左系の立憲民主、共産党の議席が減って保守系の維新の会、国民民主が表を延ばしたのである。自民党は議席を減らしているが自民党の議席を奪ったのは同じ保守の維新の会である。全体的には保守は増えたのである。

落選した立憲民主の辻元清美、黒岩宇洋、今井雅人、川内博史らは国会審議で政権批判やスキャンダル追及をしてきた左系「論客」である。「最前線で批判ばかりしていた人が軒並み落ちた。路線を変えないと、支持は得られない」時代になったのである。
小沢一郎と「無敗の男」と称されていた中村喜四郎の自民党系のベテラン二人が小選挙区で落選した。立憲に移っても当選を続けていたが今回の衆議院選では落ちた。立憲に入党しても保守であると信じて支持していた地元民であったが共産党と共闘したので保守系の支持者に反感を持たれたために落選したのだ。保守にとって共産党は絶対拒否であるのだ。

小選挙区では議席を増やしたものの、比例区が振るわず14議席減らした。その責任を取り枝野代表は辞任を表明した。小選挙区は増えたのだから共産党との共闘は成功したと言える。比例は共闘しなくても減ったはずである。枝野代表に責任があるとはいえない。
枝野氏は立憲民主の創立者であるとともに勢力拡大にも大きく貢献した。
17年衆院選の直前に旧民進党は分裂した。その時に枝野氏は一人で旧立民を旗揚げした。すると枝野氏に賛同する議員が参加して55議席になり、野党第1党となったのだ。20年9月には旧国民民主党との合流により、衆参計150人の野党勢力を実現した。社民党も吸収合併した。ゼロから野党第一党にまで成長させたのは枝野氏である。立憲民主の拡大に彼ほどに心血を注いだ議員はいない。
立憲民主は保守と左翼が混在する。議員の政治姿勢もバラバラであり、政党としては寄り合い所帯のようなもので不安定である。新しい代表がまとめることができるか。そして、共産党との共闘に取り組むかどうかは不明である。小選挙区では効果があったのだから共闘する可能性は五分五分というところか。

共産党は比例代表の得票数、得票率がいずれも前回を下回り2議席減った。120議席だっら20席減である。減少率は立憲と同じである。枝野代表は議席減の責任を取って引責辞任する。しかし、共産党の志位委員長は引責辞任しない。志位委員長は「間違った政治方針をとった場合は責任が当然出てくる」としつつ、「残念ながらこういう結果になったが、方針そのものは正確だったと確信を持っている。そういう点で私は責任ということはないと考えている」と述べた。
枝野代表は自分の判断で共産党との選挙共闘を積極的に進めていった。志位委員長は違う。志位委員長の判断で選挙共闘を進めたのではない。共産党本部の方針に従っただけである。共産党の方針は本部の中央委員会で決める。志位委員長は本部で決まったことに従って行動、発言している。議席、投票率が下がっても志位委員長が責任を取ることはない。誰も責任は取らない。方針を維持するか変えるかを討議するだけだ。
共産党は野党共闘路線を今後も続けていく。というより衰退を防ぐために続けていかざるを得ない。共産党は参議院選挙も立憲民主党に野党共闘を要求していくだろう。
共闘してもしなくても両党の勢力が衰退するのは今度の衆議院選で明らかになった。小選挙区では共闘で議席を維持した。議席を失ったのは比例である。比例は政党の支持率のバロメーターである。比例で議席が減ったのは政党支持率が下がったからである。立憲、共産の失った支持を吸収したのが維新の会である。維新の会は自民党、立憲、共産の三党から議席を奪った。

2015年の維新の党は大阪系が19人、旧民主党系が13人、旧結いの党系が13人であった。設立して間もない政党だから勢力を拡大していくのに集中するべきであ。しかし、橋下氏は維新の党を脱退して大阪維新の会を結成した。
大阪系と旧民主+旧結いの対立が深くなった時、橋下氏は勢力を拡大することよりも自分たちの政治理念を優先した。議員は半減し地方の政党だ国会の政党にふさわしくないと揶揄されたが維新の会が大阪という地方の政党であることを知らせるために党名を大阪維新の会にした(のちに日本維新の会に改名する)。橋下氏は量より質を選び維新の会の政治の原点から再出発したのである。6年前の決意が今度の衆議院選の結果である。
政党所属議員拡大を目指した枝野代表とは対照的な橋下氏の選択だった。
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