自分たちで「県外移設場所」を探さない理由

自分たちで「県外移設場所」を探さない理由



仲井真県知事は、「辺野古移設は不可能。本土の滑走路が空いてい
る場所はいくつかある。その場所に移したほうが早い」と普天間
飛行場の「県外移設」を主張している。注目すべきところは滑走
路が空いている場所があるからその場所に移設すればいいと「県
外移設」の方法を具体的に指摘していることである。仲井真知事
は政府がその気になれば簡単に移設できることをにおわせている。

「県外移設」を主張しているのは仲井真知事だけではない。沖縄
県のほとんどの市町村長も「県外移設」を主張している。国会議
員も「県外移設」を主張している。
県知事、市町村長、国会議員、県議会議員、市町村議会員の多く
が普天間飛行場の「県外移設」を主張している。
しかし、まだ「県外移設」は実現していないし、その方向に具体
的に動く様子もない。政府は辺野古移設が最善の方法だと主張し
ていて「県外移設」の実現の方向には舵を取りそうにもない。
県民総意は「県外移設」であるのに、なぜ政府は県民の願いを聞
き入れてくれないのかとマスコミは政府の態度を激しく非難して
いる。
なぜ、県の多くの政治家が「県外移設」を主張しているのに政府
は「県外移設」に舵を取らないのか。それには理由がある。政府
は最初から「県外移設」を拒否しているわけではなかった。
みなさんは普天間飛行場の最初の移設計画を覚えているだろうか
2002年7月、第9回代替施設協議会において、辺野古崎沖西
南のリーフ付近を中心とした地域に、埋立て工法で計画すること
が決まった。
主要計画概要
面積:184ha
長さ:2500m(滑走路2000m)
幅:730m
工期:約9・5年最初の移設案は辺野古の沖であったのだ。
2004年4月環境アセスメントの手続きが開始されたが、同年
8月に普天間基地配備のCH-53ヘリコプターが沖縄国際大学
に墜落するという沖国大米軍ヘリ墜落事件が発生した。大学が夏
休み中だったことから幸い大学側の死傷者はなかったが、沖縄全
体で普天間基地早期返還要求が強まることになった。
しかし、ヘリコプター墜落事故で普天間飛行場の早期返還の要求
は強まったというのに、辺野古沖飛行場建設は理解しがたい方向
に事態は転換する。一日も早い辺野古沖への移設を望むのが当然
であるのに、墜落から間もない9月、那覇防衛施設局が辺野古沖
建設予定地で環境アセスメントのためのボーリング調査に着手す
ると、激しい移設反対運動が起こったのだ。やぐらに上ったりし
て命の危険性があるほどに反対運動は激しいために、ボーリング
調査はできなくなった。政府はボーリング調査をあきらめ、辺野
古沖移設は断念した。
もし、辺野古沖への移設が実施されていたら、世界一危険な普天
間飛行場問題は解決され、オスプレイ問題もなかっただろう。客
観的に見れば、普天間飛行場が今も存在しているのは政府の責任
ではなく、飛行場建設を妨害した環境団体や米軍基地反対運動に
ある。

2005年、政府は、移設作業の進行遅滞を理由に辺野古沖移設
をあきらめ、移設案の変更の検討を始めた。
その時に稲嶺知事は「県外移設」を提案し、小泉首相は「県外移
設」の検討にはいった。しかし、小泉首相は「総論賛成各論反対」
という本土の態度に「県外移設」をあきらめた。

総論賛成・沖縄の米軍基地負担を減らすために普天間飛行場の土
移設に賛成。各論反対・自分の県に移設するのは反対。
「県外移設」を断念した政府は再び沖縄県内移設に戻る。
2005年10月、日米安全保障協議委員会において在日米軍及
び関連する自衛隊の再編に関する勧告を承認した日米両国は移設
先を辺野古崎沿岸部に変更することで合意した。この合意案は、
辺野古崎(住宅地域から距離約1キロメートル)に長さ1600
メートルの滑走路を設置し、飛行場施設等のための埋立地をL字
型に配置するもの(辺野古沿岸案)であり、稲嶺知事の公約の軍
民共用空港ではないため、稲嶺知事は当該案の受け容れを拒否、
岸本名護市長もこれに従い同案の受け容れを拒否した。
2006年1月22日、岸本市長が健康問題から2期限りで次の
選挙に出馬しないで名護市長を退任した。自・公推薦で基地建設
容認派が推す島袋吉和氏が岸本氏の後継を名乗り当選した。島袋
氏は当初公約では、前年10月の案(辺野古沿岸案)を拒否して
いた。
2006年4月、固定翼機の飛行ルートが住宅地を避け極力海上
のみになるよう滑走路2本をV字型に配置、立地を埋め立てする
案(現行案)で防衛庁長官額賀福志郎と名護市長の島袋氏が合意
した。2006年5月には米軍再編協議(DPRI)の最終報告
「再編実施のための日米のロードマップ」が日米両国政府間で合
意され、この案はその中に包含される形で承認された。移転先は
「普天間飛行場の能力を代替する」ものであり、「即応性の維持が
優先」されることになっていた。このロードマップは2009年
5月13日に国会承認され、在日米軍再編の中核となるものとさ
れた。
2009年、自民党から民主党に政権は移り、首相となった鳩山
氏は「最低でも県外移設」を公約にし、本土に移設先を探した。
しかし、小泉元首相と同じで見つけることはできなかった。

自民党政権時代の小泉首相、民主党政権時代の鳩山首相が「県外
移設」をやろうとしたが、普天間飛行場の移設を受け入れてくれ
る自治体を見つけることができなかった。それで二人の元首相は
やむを得ず「県外移設」を断念して、辺野古に移設することを決
断したのである。
政府は「県外移設」に無関心で、移設場所を探す努力をしなかっ
たのではなく、移設場所を探したが見つけることができなかった
のである。二度も「県外移設」する場所を探すことに失敗した政
府が三度も「県外移設」場所を探すことはしないだろう。
鳩山元首相の時に次々と移設候補地が新聞に掲載された。しかし、
掲載されるたびにその場所は小泉首相時代に検討された結果駄目
になった場所であった。
2009年から2010年5月までに政府や地元自治体、社民
党・国民新党が提案した県外移設先は、
大村航空基地・鹿屋航空基地・徳之島・馬毛島・硫黄島・グアム
島(既に移転計画があるものを全面移転に拡大する)・テニアン島
(地元が移転を容認した)・関西国際空港移転案・馬毛島案・伊江
島案・下地島案・自衛隊基地への移設案
などがあるが、いずれの案も正式な計画として合意されなかった。
徳之島案ヘリ部隊の大半を鹿児島県徳之島に移設する案。2010年入り
してからは鳩山政権がもっとも有力な選択肢として模索したもの
である。平野博文官房長官を中心に、前年末から密かに検討がな
され、地元有力者との接触を図っていた。翌年になって表沙汰と
なったが、ヘリ部隊と地上部隊の主要基地であるキャンプ・シュ
ワブとの距離が180キロ離れることから米側は当初から難色を
示した。日本政府は一方で地元村長や徳之島において影響力の強
い元衆議院議員徳田虎雄らに要請を行ったが、いずれも芳しい成
果は得られず、断念に追い込まれた。
九州ローテーション案
米軍ヘリ部隊の訓練を、九州の築城、新田原、鹿屋などの各自衛
隊基地に順番に移転させる案。2010年5月頃に鳩山ブレーン
を自称する橋本晃和が「腹案」の中身であるとしてTV、雑誌メ
ディアで言及し、一部で大きく報じられた。しかし、政府部内で
具体的に検討された形跡はない。
普天間飛行場が海兵隊の基地であることが移設問題を困難にして
いる面もある。普天間飛行場の移設とともに多くの海兵隊兵士が
やってくる。本土の人は沖縄の情報を新聞で得る。沖縄2紙を読
めば、殺人訓練を受けた海兵隊は殺人鬼であり婦女暴行を繰り返
す極悪非道な兵士たちであるというイメージが湧いてくる。
 海兵隊をよく知っている名護市が辺野古移設を断わるのだから海
兵隊は恐ろしい部隊だろうと考えるのは当然である。

 鳩山首相時代に多くの候補地が上がったがいずれも実現にはいた
らなかった。政府は怠慢で県外移設場所を見つけることができなか
ったのではない。多くの候補地を上げて検討・交渉したが実現しな
かったのだ。政府が県外移設を諦めたのも仕方がないことである。
しかし、沖縄の政治家やマシコミは鳩山首相の「最低でも県外移設」
発言に固執し、政府に県外移設を要求している。
 政府は移設場所を県外に探す意欲を失せている。それでも沖縄の
政治家たちは「県外移設」を願望している。そうであるならば残さ
れた方法はひとつしかない。自分たちで県外移設場所を探すことで
ある。仲井真知事は辺野古移設をするより県外移設をやったほうが
簡単であると発言している。そうであるならば、県知事、国会議員、
県議会、市町村長が総力をあげて「県外移設」場所を探したほうが
確実にみつけることができる。
 政府に頼るより、自分たちで探した方が早いはずである。自分た
ちで探そうという結論が出て当然である。しかし、まだ一人として
「自分たちで探そう」と発言した政治家はいない。不思議である。
なぜ沖縄の政治家たちは自分たちで探そうとしないのか。それには
理由があるはずである。その理由とはなにか。
 本当は、「県外移設」は不可能であることを沖縄の政治家は知って
いるからである。自民党・民主党の中央政府が移設場所を探すこと
ができなかったのを、地方が探すのは困難であるだろう。仲井真知
事は滑走路がある場所へ移す方が早いと言っているが、本当は簡単
に移設できるとは思っていないはずだ。それどころか「県外移設」
は不可能だと考えているはずである。「県外移設」が簡単であるなら
知事自ら移設探しに動いているはずである。動かないのは「県外移
設」が「不可能」であることを知っているからだと推理せざるをえ
ない。

 私は「沖縄に内なる民主主義はあるか」で、沖縄の政治家は「県
外移設」ができないのを知りながら「県外移設」を主張している。
彼らは「県外移設」が実現しないことを知っているから、自分たち
で県外説場所を探すとは決して言わないということを書いた。

県外移設論者たちのずるさ

政府は小泉首相時代と鳩山首相時代に「県外移設」をやろうとし
たが移設場所を探すことができなかった。二度も「県外移設」に
失敗した政府は「県外移設」を諦めて辺野古移設一本に絞っている。
政府が今後「県外移設」を模索することはないだろう。日米両政府
は辺野古に移設するまでは普天間飛行場を維持するつもりでいる。
沖縄側が「県外移設」を政府に訴えても政府が動くことはありえな
い。

「県外移設」を断念した政府に「県外移設」を要求しても平行線が
続くだけで、時間が無駄に過ぎていくだけである。
「県外移設」を実現する残された方法はひとつしかない。「県外移設」
を主張する政治家、団体、識者、マスコミ等が一致団結して「県外
移設場所」を探すことだ。移設候補地は国内だから情報は集めやす
いし移設候補地に行き来するのも自由だ。「県外移設」を否定してい
る政府に頼らないで、自分たちで移設先を探す以外に「県外移設」
を実現する方法はない。
「県外移設」を主張する政治家、団体、識者、マスコミ等が「県外
移設」を実現する会を結成して、全力で移設できそうな場所を調査
するのが「県外移設」実現のための第一歩である。普天間飛行場の
移設候補地を見つけたら、候補地の住民を説得して移設を承諾して
もらう。住民の承諾を得たら政府と交渉する。このやり方が「県外
移設」を実現する唯一の方法である。
しかし、今まで、「県外移設」を主張している国会議員、県知事を頂
点とする沖縄の政治家や団体、マスコミ等が、政府は頼りにならな
いから自分たちで県外移設場所を探すと発言したことは一度もない。
政府が「辺野古移設しかない」と断言しているのにもかかわらず、
沖縄の「県外移設」を主張する人たちは自分たちで移設先を探そう
とはしない。自分たちで移設場所を探そうとしないのはなぜか。理
由ははっきりしている。国会議員、県知事を頂点とする沖縄の政治
家や団体、マスコミ等は「県外移設」ができないという現実を知っ
ているからである。馬毛島の例があるように本土の住民は米軍基地
への拒否反応は強い。もし、「政府が探さないなら自分たちで探す」
と宣言して県外移設場所を探したら、県外移設場所がないことを自
分たちで明らかにしてしまうことになる。そして、「県外移設」の運
動に自分たちで終止符を打ってしまう。国会議員、県知事を頂点と
する沖縄の政治家や団体、マスコミ等はそのことを知っているのだ。
だから、自分たちで普天間飛行場の県外移設場所を探すとは絶対に
口に出さないのだ。

「県外移設」を主張し続けるためには、自分たちで移設場所を探さ
ないことである。だから、誰ひとりとして「県外移設」場所を自分
たちで探そうとは言わない。自分たちで探すとは言わないで、政府
に「県外移設」を要求し続けている。そうしている間はいつまでも
「県外移設」を主張することができ、県民の支持を集めることがで
きる。実現するはずのない「県外移設」を実現できるように吹聴し
ている沖縄の国会議員、県知事、議員、政治家、平和団体、マスコ
ミ等のずるさを感じる。
    「沖縄に内なる民主主義はあるか」

この本を出版してから四か月になるが、国会議員を含めたすべて
の沖縄の政治家の中でただ一人として、自分たちで「県外移設」
場所を探すと発言した者はまだいない。
普天間飛行場の「県外移設」は不可能であることを沖縄の政治家
は全員知っている。知らない政治家は政治事情に疎い政治家であ
る。

政治評論家の岡本行夫氏は普天間飛行場の県外移設は可能である
が、実現には20年かかると言っている。気の遠くなるような時
間であり、実現しないのと同じである。20年後ならアジア全体
が自由貿易地域になり、領土争いや武力対立は解消の方向に進ん
でいるだろう。中国の民主化もかなり進み、中国の脅威はゼロに
近くなっているだろうから、沖縄の米軍基地は撤去しているか撤
去の方向に進んでいるだろう。

 岡本氏の見解とは違い、米国が政府に「県外移設」を促せば、日
本政府が「県外移設」に動くと沖縄のマスコミは報じている。

仲井真知事は今回の訪米で普天間の移設先について九州や四国、
中国地方などを例示し、「すでに滑走路がある場所へ移す方が早い」
と提言した。「辺野古は現実的ではない」という主観と客観の入り
交じった知事独特の言い回しは物足りない面もあるが、事実を捉
えている。
「知事の訪米は、対米従属で思考停止した政府と交渉してもらち
が明かない、との判断に基づく。政府は沖縄に米軍基地を閉じ込
めておいた方が好都合と考えている。だが仮に、米国が日本本土
の具体的地名を挙げ、「移転可能」というトーンではなく、「移転
したい」と強く要望した場合はどうだろう。政府は多大な政治リ
スクを犯しても実行に移すのではないか。日本では「ガイアツ」

いう名の米国の内政干渉が政治を動かしてきた。米国が求めない
限り、日本が主体的に「本土移転」に傾く可能性は考えにくい」

「だが仮に、米国が日本本土の具体的地名を挙げ」と仲井真知事が
具体的な地名をあげると仮定しているが、知事が移設候補の地名を
上げるには、その地の人々の了承を取らなければならない。地元の
了解をとれば政府と直接交渉すればいいのであって、わざわざアメ
リカまで行く必要はない。知事がアメリカに行くのは八方塞がりだ
からアメリカに行くのだ。そのアメリカでもアメリカ政府の要人に
会えるわけではない。「県外移設」をアメリカ政府に陳情することも
できないのが仲井真知事の訪米である。
 記事は、日本政府が「本土」移転を決断すれば普天間飛行場の本
土移転はできるとしうニュアンスである。これを読めば読者はアメ
リカを動かせは「県外移設」ができると思ってしまう。しかし、ア
メリカ政府の結論は日本政府と合意した「辺野古移設」である。日
本政府が破棄しない限りアメリカが「辺野古移設」を取りやめるこ
とはない。徳之島でも沖縄から遠いと難色を示したアメリカ側が「県
外移設」案を簡単に了承するのはありえない。日本政府が「県外移
設」案を出すこともあり得ない。仲井真知事でさえも「県外移設」
の具体案を出すことはできないはずだ。
「県外移設」は県が政府に要求していることであり日本政府と県と
の問題である。いわゆる国内問題である。アメリカは国内問題には
タッチしない主義だ。アメリカ政府は、仲井真知事が「県外移設」
を望むのなら。どうぞ日本政府と交渉してください。日本政府が県
外移設を主張するならアメリカ政府は考えます、と答えるだけだろ
う。

 2010年5月23日、首相の鳩山氏は沖縄を訪問して知事の仲
井眞弘多と会談し、自公政権時代に合意した辺野古移設で米国政府
と合意文書を交わす方針を説明した。これにより、自身の掲げた「最
低でも県外」という公約は達成されないこととなった。仲井眞知事
は辺野古移設の方針について「大変遺憾」「極めて厳しい」と述べた。

鳩山元首相が「県外移設」を断念してから2年以上になる。2年
間もあれば本土各地を調査・検討し、普天間飛行場の「県外移設」
ができるかできないかの判断ができるはずである。検討する時間
はたっぷりあった。移設ができるとすれば場所を指定することも
できたはずである。
しかし、「県外移設」を主張している沖縄の政治家の誰一人として
移設候補地を指定する者は居ないし、自分たちで探すと発言する
者も居ない。

沖縄の政治家たちは普天間飛行場が「県外移設」できないことを
知っている。知っていながら「県外移設」を主張しているのであ
る。つまり、県民に向かって嘘の主張をしているのである。県民
に現実を教えるべき政治家が嘘を教えているのだ。
沖縄は政治家の堂々とした嘘の主張がまかり通っている。だから、
県民はできない「県外移設」ができるかも知れないという幻想を
抱き、実現できない「県外移設」をできると信じたために、「県外
移設」が実現しないと敗北感を味わう。
しかし、嘘をついた政治家たちに敗北感はない。普天間飛行場が
辺野古に移設されれば、次にどんな嘘をついて県民に夢を持たせ
て票を獲得するかを考えていくだけである。政治家の勝利は公約
を実現することではなく、当選することであると沖縄の政治家た
ちは考えているから。

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