「集団自決」削除への抗議集会があった

 2007年6月9日、「集団自決」記述削除に抗議して県民広場で県民大会が開かれた。参加組織は野党政党や沖教祖、高教祖、各種労組などである。

 集団自決に対する削除に抗議して政府に圧力かけるのはいいと思う。沖縄はアメリカ軍基地があり、集団自決等の沖縄戦の傷が深いために革新政党の勢力はまだあるが、基地問題が小さくなった本土では社大党や共産党は消滅寸前である。それは深刻な問題である。

 自民党が長期政権の座にいるのは社会党や共産党や労働運動の責任である。戦後間もない頃の沖縄は圧倒的に共産党や社会党が強かった。終戦の数年後に市町村長を選挙で選んだ時に共産党や社会党系の候補者が圧倒的に当選したのでアメリカ軍あわてて強引に取り消した歴史がある。
 本土でも社会党や共産党は昔は強かった。しかし、今は弱小政党になってしまった。労働運動も下降し続け、国会に議員を送る力も弱くなった。

 それはなぜか。真剣に考える必要がある。根本的な問題でこれらの組織が資本主義を認めていないことがある。資本主義を「儲け主義」と蔑視する。自由競争は弱肉強食として否定する。このような思想がある限り資本主義社会で過半数の支持を得るのは不可能だ。

 資本主義を認め、自由競争を認めてそれを発展させながら資本主義・自由主義活動から派生してくる問題をクリアしていく民主主義政治の方針じゃないとこの社会の支持を得ることはできない。

 格差是正を無くすために自由競争を抑えるという考えは支持されない。自由競争は出世するチャンスが誰にでもあるという保証がある。自由競争をなくするということは既得権のある人間だけが得する社会になることである。

 結果平等に賛成する人間はすくない。結果平等主義である社会主義国家は潰れたのである。その事実を認識しないと現代日本に通用する政治はできない。

 自民党から分かれた民主党が社会党系の政党や共産党より議員数を増やしたのは歴史的に必然である。
 社大党や共産党は自民党を批判するだけで対案法を提出しない。国会は法を作る場所であり、法律案を提出できない政党は政党としての価値がない。
 少数野党であっても常に法律を作ることである。作った法律案を国民に公開して支持を得ることが政党の基本である。大衆運動や与党を批判するのが野党のあり方ではない。与党に対する法津案を出すのが野党のあり方である。

 労働運動は労働者だけの利益を追求してきたためにその勢力は衰えていった。労働者は経営者と共通の利害を抱えている。会社が繁盛することが労働者にとっても利益をもたらす。共通の利益のことに協力しないで労働者の待遇改善要求運動をするだけでは労働者としての運動は半分をやっていることにすぎない。
 労働者は経営のあり方にも参加し、会社の発展に寄与するべきである。経営者と労働者の垣根を低くする運動の展開も重要である。

 会社の利益、経営者、労働者の配分に労働者は参加するほうに進めるべきである。

 労働者は経営者と運命共同体にいることを認識しなければならない。経営者も労働者であり、彼らの方が労働の質が高いということも労働運動では認識する必要がある。

 集団自決削除に対する県民抗議大会は昔ながらの運動である。「抗議」は圧力にはなる。しかし、ただ集団自決削除だけに対する非難に終わり、この運動の目的は政府が「削除」をやってしまえば終わる。それたけの矮小な運動だ。

 政府は抗議の圧力が強大化していくと削除をしなくなるだろう。そのことで抗議をした政党や労組は勝利したと満足するに違いない。でも政治的に勝利しているとは必ずしも言えない。抗議する人々が増えれば政府は「過半数」の論理で政府に反発する人々を取り込む目的で削除を撤廃するだけである。
 つまり自民党支持者を減らさないために国民の意識に鋭く反応したのである。そうすることで自民党支持者の減少を防ぎ、別の政治活動で支持者を増やす活動をする。だから、本当の意味で勝利したかどうかは断言できないのだ。

 政治的勝利というのは結局は国会議員を過半数獲得することにある。戦後の大衆運動や労働運動、学生運動に欠落していたのがこの民主主義の根底にある過半数の論理である。
 
 
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