国家は品格より民主その1


 「国家の品格」の藤原正彦、ジャーナリストの櫻井よし子と「美しい日本」を掲げている安部首相は共通する思想のようである。

 国家は政治をする所である。品格とか美しさとかを国家論に持ち込むことはおかしい。貴族が支配していた時代、武士が支配していた時代ならそういう法があってもいいが、現在は貴族国家でもなければ武士国家でもない。民主主義国家である。民主主義国家は国民が望む政治をする国家であって首相が国民に「美しい」という抽象的なものを要求できる国家ではない。
 「国家の品格」の藤原正彦氏はしきりに武士道を政治に導入することを主張している。武士の本質は武力で領地を支配し農民から生産物を分捕る搾取者である。武士の時代にするなんてとんでもないことである。武士に政治能力があると思ったら
間違いだ。武士は戦争をして領地を増やすのが仕事である。殺し合いを仕事とする階層なのである。武士には経済を発展させる能力もなければ日本国を豊かにする能力もない。

 明治時代に廃藩置県をやっが反対する大名はいなかったそうだ。財政が疲弊し借金だらけだったので廃藩置県には賛成した。武士だから精神主義であったり叡智があると思うのは間違いである。
 戦争でも民兵で作った明治の軍隊に武士軍は負けている。武士が戦いに強いというのも幻想である。司馬遼太郎の小説は武士幻想を助長している。
 この武士幻想に乗っかっている人物たちが国家の品格とか美しい日本などとたわ言を言っている。民主主義は武士思想や貴族思想を否定した土台の上に存在していることを理解していない人たちである。
 
 国家は品格より民主である。日本国は美しさより自由、平等を重んじる民主国にしなければならない。戦前に自由、平等主義は軍国主義によって弾圧され行き絶え絶えになったことを忘れてはならない。戦時中に自由・平等の思想は抹殺され戦後に生き残った政治家のほとんどが天皇崇拝・軍国主義の生き残りだったことは留意しておかなければならない。

 戦後の日本は天皇崇拝・軍国主義と共産主義・社会主義が二勢力が存在し、自由民主主義の組織は小さいし弱かった。日本国憲法の下地になった憲法草案を作ったと言われている憲法研究会くらいである。
 戦後日本の政治は日本国憲法によって構成された三権分立とアメリカの圧力と天皇崇拝・軍国主義と共産主義・社会主義の複雑
な絡み合いで発展してきたといえる。

 皮肉なことに日本は天皇崇拝・軍国主義に後戻りすることもなく、また社会主義国家にもならずに民主主義国家として発展している。これはアメリカの圧力によるものである。アメリカ軍がいなければ日本は天皇制国家か社会主義国家になっていただろう。

 日本はまだ内からの民主主義国家ではない。「国家の品格」論を真っ向から批判する人物はいないし、国の最高に立つ首相「美しい日本」を政治テーマにするのである。とても首相は民主主義思想家とは思えない。武士思想の方に近い。しかし、武士思想は民主主義が浸透している現在の日本には通用しない。首相の掲げる「美しい日本」も政治日程に乗せる余裕がない。
 政治失態の連続の政府であるがそうでなくても民主主義国家では「美しい日本」論は軽く弾き飛ばされる運命なのだ。

 美は芸術の範疇であって政治の範疇ではない。美しい日本は観光のイメージアップに利用するものであって政治目標にするものではない。政治世界に「美しさ」を持ち込むのはおかしい。
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