鬼軍曹のやさしさ


私は水釜と嘉手納町の東はずれにある屋良の二十軒ほどの外人住宅に新聞配達をしていた。外人住宅は嘉手納飛行場が一望できるので観光客に人気のある嘉手納道の駅の近くにあった。今も外人住宅は残っているが周りに住宅が多くなり目立たなくなっている。

50年前は外人住宅が嘉手納町の東端でありその先に家はなかった。嘉手納ロータリーから自転車を飛ばし、屋良の入り口を超えると左側に外人住宅が見えた。車道を左に曲がると50メートルほどのなだらかな坂を下り、左側に駆け上がると鬼軍曹の家があった。本当は鬼軍曹ではない。鷲鼻で目が鋭く、挨拶する時ににこりともしないので映画に登場する鬼軍曹に見えたから私は彼を鬼軍曹だと思っただけだ。
彼は威圧感があり、集金をする時には緊張したものだ。

ある日、私が鬼軍曹の家に新聞を配達しようとしたらドアが開き鬼軍曹が現れた。ドキっとして動きが止まった私に、彼は「ウェイト」と言って、奥に消えた。私がドアの前で待っていると、彼は茶色と黒の縞模様の服を持ってきた。生地が柔らかくて暖かそうな服だった。彼は私にその服をあげたいがどうかと言った。私は即座に、「ノーサンキュー」といった。私は物をもらうのが嫌いで即座にことわる断る癖があった。多分私の深層心理には貧乏コンプレックスがあり、物をもらうことを屈辱に思うところがあった。私は「ノーサンキュー」と言った直後に彼の善意を踏みにじったことを後悔した。もし、彼が、微笑みながら、もう一度もらわないかと言ったら、私は、「サンキュー」とお礼を言って服をもらったと思う。しかし、鬼軍曹は、私が、「ノーサンキュー」と言ったので、「そうか」とがっかりして奥に戻っていった。気まずい思いをしながら私は次の住宅に新聞配達に向かった。

私は鬼軍曹がやさしい人間であることを知った。彼のやさしさに応えることができなかったことを私はちょっぴり後悔した。ただ、これで彼と気まずい関係になったかと言えばそうではない。鬼軍曹がやさしい人間だと分かったので、私は大きい声で「グッドモーニング」と挨拶したし、彼も私に微笑むようになった。でも、二度と私に服をあげようとはしなかった。


タイムスの「基地で働く」シリーズは嘉手納基地のサニテーション(保健衛生)で働いていた瑞慶山良春さんの話を掲載していた。

「泡瀬や高原などに田んぼがあった。そこで蚊を駆除するため、手製の噴霧器でディーゼルオイルをまくんだ。そうすると田んぼの水に油膜が張るでしょ。ボウフラは呼吸できなくて5分くらいで死ぬ。でも農家はせっかく大切にしている田んぼに影響が出るかもしれないから、恨めしそうな目でじっとこっちを見た。文句こそ口に出さないけど、米軍には逆らえないからね。農家がかわいそうで、自分も板挟みになって困った」

私の同級生でメイシュンという少年がいた。彼は頭が悪く、今でいう知的障害の少年だった。彼は赤ちゃんの時に脳膜炎にかかったせいで頭が悪くなったという噂だった。

蚊は脳膜炎やマラリアの病原菌を持っていて、戦時中には多くの人がマラリアにかかって死んだ。沖縄を占領した米軍はマラリアを根絶させるために徹底した蚊の駆除をやった。ブォーという音を出しながら白煙を吹く車が定期的に村の道を走り回った。白煙は蚊を退治する薬だった。
学校では、蚊に刺されるとマラリアや脳膜炎になるから刺されないようにと先生方は注意した。

瑞慶山さんはお金のために軍雇用員になった典型的なウチナーンチュだ。瑞慶山さんは沖縄からマラリアや脳膜炎の病気をなくす重要な役目を担っていたのにその自覚はなかったようだ。お金のために軍の仕事をしているから米軍のいうことに逆らえないという意識だけで、保健衛生をしていたのは残念である。
戦後の沖縄は不衛生で栄養失調者も多かった。蚊やハエを撲滅する仕事は非常に重要だった。アメリカ軍は沖縄から疫病をなくすために衛星活動に力を注いだ。
下水道設備がないから家庭の水は垂れ流し、いたる所に水たまりがあった。噴霧器を背負った衛生士は村中をまわり、下水や水たまりに薬を撒いて、蚊を撲滅した。
そのおかげでマラリアは激減し、日本脳炎にかかる人間もいなくなった。
瑞慶山さんの仕事は沖縄の人々に大きく貢献した仕事だった。

田んぼにはおたまじゃくしや鮒が棲んでいる。おたまじゃくしや鮒はぼうふらを餌にしているので田んぼにディーゼルオイルを撒く必要はあったのだろうか。田んぼは広い、田んぼの表面を全部覆うには大量のディーゼルオイルが必要である。それに田んぼの水は流れているから、ディーゼルオイルの効果があったかどうか疑問である。手製の噴霧器では田んぼ全体を覆うほどに撒くことはできなかったはずだ。せいぜい田んぼのあぜ道を歩きながら撒いたくらいであろう。田んぼに悪い影響を与えたとは思えない。
どうしてマラリアを根絶するためには必要なことであると農家の人に理解を求めなかったのだろう。瑞慶山さんの欠点だな。


「沖縄の人を見下しているような人もいるにはいた。家のトイレを借りようとしたら、米兵の奥さんに『とんでもない』と断られたり、それでもほとんどの人は優しくてね。差別する人はするし、しない人はしないのはどこの民族も同じ、米軍そのものには反感もあったけど、一人一人の米兵には親近感を持った」

瑞慶山さんが米兵に感じたことがウチナーンチュが一般的に感じたことだと思う。ただ「差別」だったのかそれとも「嫌われた」のかを瑞慶山さんは区別することができなかったと思う。瑞慶山さんは「どこの民族も同じ」とアメリカを単一民族であると思っているがアメリカは多民族であり、私たち沖縄人が持っているような民族意識はアメリカ人にはない。黒人蔑視や黄色人蔑視をする白系アメリカ人はいる。黄色人である沖縄人を差別したり嫌ったりするアメリカ人がいたことは確かであるがそれは少数のアメリカ人であり、アメリカ人による沖縄人への差別とは違う。黄色人種差別といったほうが適切である。

隣りのアメリカ兵は普通の人間だったのである。
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