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佐藤氏は、日本の外務省OBが、ワシントンの知り合いに、「日本のテレビに海兵隊のヘリによる支援活動が頻繁に映される対応を頼む」と言ってきたというが、アメリカ人に頼むのならアメリカのテレビ局への圧力を頼むのが普通だと思うのだが、なぜ、外務省OBは日本のテレビ局への圧力をアメリカの人間に頼んだのか。理解できない。日本の外務省OBが、日本のテレビに海兵隊のヘリによる支援活動が頻繁に映されるのを望むのなら、日本のテレビ局に圧力をかけることのができる日本在住の人物に頼むのが筋ではないのか。遠く離れたワシントンに居て、どのようにして日本のテレビ局に圧力をかけることができるのだ。圧力をかけるのは無理だと思う。
それとも、ワシントンの人間は日本のテレビに圧力をかけることができて、日本にはテレビ局に圧力をかけることができる人間がいないということなのか。ワシントンのどんな人間がどのようにして圧力をかけることができるというのか。この話はどうもうさんくさい。

私はテレビを見ているが、海兵隊のヘリによる支援活動はほとんど放映されていない。沖縄で最初に放映したのはNHKだった。それもわずかの時間であり、民放のテレビでも海兵隊の援助活動を放映したのはほんのわずかな時間だった。放送されたのは、オバマ大統領とクリントン国務長官の支援演説の映像と、福島原発の救援関係を口頭で伝えるものだった。今までのテレビ放映では「ワシントンの人間」による圧力は全然感じられなかった。

外務省OBは、海兵隊のヘリによる支援活動が日本のテレビに頻繁に映り出されると、「米海兵隊普天間飛行場の辺野古移設がやりやすくなる」と主張し、佐藤氏は、逆に「沖縄のマグマが爆発する。海兵隊だけでなく、米軍自体が沖縄に居づらい雰囲気ができる」と主張している。

普天間基地を辺野古に移設するには、名護稲嶺市長の許可が必要である。しかし、名護稲嶺市長は絶対に許可しない。だから、海兵隊が東日本大震災で活躍している様子をテレビ放映で流しても、稲嶺氏が名護市長である間は辺野古移設はできない。辺野古移設するには次の選挙で辺野古移設に賛同する名護市長が当選するしかない。それまではメア氏の言ったように普天間基地が存続するだけだ。

軍隊は戦争するのを目的にした殺人組織であり、アメリカ軍の兵士は殺人訓練を受けた殺人鬼であるという宣撫工作にマインドコントロールされていた人たちの中には、海兵隊の救助活動を見て、軍隊も人道的な面もあるのだと見直す者も出てくるだろう。そのような人が増えるのを革新系の政治やマスコミ、知識人は恐れていて、在沖海兵隊のイメージを悪くするために懸命になっている。

佐藤氏が予想しているような「沖縄のマグマが爆発する」ことはない。名護市長選で稲嶺氏が当選したのは、辺野古移設に反対したからではない。民主党がバックアップしたからだ。県民にとって政治で一番優先させてほしいのは生活が豊かにになることであり、経済が発展することだ。県民にとって基地問題はマスコミで扱っているほど重要視はしていない。それは名護市民も同じだ。名護市民は民主党なら名護の経済をよくしてくれるだろうと期待した。それが後押しして稲嶺氏は当選した。それもわずか1500表の差であったのであり、名護市は自民党支持者も根強いことを忘れてはならない。

名護市民の中で海兵隊を見直す人間が出て、1000人が稲嶺市長支持から自民党候補支持に回ると自民党候補が当選することになる。稲嶺支持派はそれを一番恐れている。だから、米軍や在沖海兵隊のイメージを悪くするために、米軍や在沖海兵隊は東日本大震災における貢献を普天間問題と絡めてアピールしていると吹聴しているのだ。

佐藤氏は、「東日本大震災における在日米軍の貢献を普天間問題と絡めないようにすることが結果として、日本にとってもアメリカにとってもいいという」意見をあっちこっちで言っていて、「その効果があったと思う」と自画自賛をしているが、福島第一原発の危機状態はまだ続き、解決のめどがたっていないし、震災被害者への救援もまだまだだというこの時期に、日本政府もアメリカ政府も(アメリカ政府はリビア・中近東問題も抱えている)、アメリカ軍も、「東日本大震災における在日米軍の貢献を普天間基地と絡めて」アピールする余裕はない。佐藤氏が自分の話したことが効果があったというのは勘違いだ。

佐藤氏は、在日米軍のイメージを落とさないで、日本とアメリカにとってもいいイメージを持たせるためのアドバイスをしている。ということは、佐藤氏は海兵隊が沖縄に駐留することや普天間基地が辺野古に移設することには賛成なのだろうか。佐藤氏は色々アドバイスをやるが、自分の立つ位置はあやふやだ。それがプロの文筆家の生きる道かもしれないな。

「冗談じゃない。僕は沖縄人の血が半分入っているから、確信をもって言うことができる」という佐藤氏の発言は笑える。沖縄の血が半分であろうが、満タンであろうが、佐藤氏の考えは佐藤氏個人の考えであって、沖縄を代表する考えではない。沖縄の血が満タンの人間たちでさえ、辺野古移設に賛同する人間だっている。辺野古移設に無関心な人間もけっこう居る。
沖縄の血が満タンの人間たちでさえ色々な考えがあり、ひとつではないということだ。
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