コザ騒動を考える












 20日でコザ騒動から41年目であるという。コザ騒動があった翌日に、友人からコザ騒動のことを聞き、急いで見に行った。現場から数キロ離れた島袋三叉路から交通止めになっていたので、バスを降りてゴヤ十字路に向かった。
 鼻をつく催涙弾の臭いがまだ残っていた。広い範囲で焼かれた自家用車が道路のあちらこちらに横たわっていて、映画のシーンを見ているようであった。
 仲ノ町の近くに到着すると、焼かれた自動車に1ドルの張り紙を張ったスペイン系のアメリカ人が立っていた。近づくと、両腕を広げて、「仕様かないな」とでもいうように苦笑していた。

 安里氏は、騒動では「あちこちで米軍の事件や事故が起き、県民は虫けらのように扱われている」と叫んでいたというが、 もし、県民が虫けらのように扱われているとしたら、コザ騒動はどうなっていだたろうか。シリアでは市民のデモ隊に政府軍が発砲し、すでに5000人の死者がでている。リビア、エジプトでも何万人もの市民がデモをやっただけで殺されている。
 コザ騒動では74台もの車が焼かれた。アメリカ軍が独裁支配していたなら、アメリカ軍は沖縄の人間に発砲し死者が出ていたはすである。そして、騒動に参加した人間を徹底的に探し出し、重罪を科していたはずである。また、車を焼かれた兵士たちが沖縄人に復讐をし、多くの犠牲者が出ていた可能性があった。

 しかし、アメリカ軍がコザ騒動をきっかけに沖縄を弾圧をした事実はない。車を焼かれた兵士の中には復讐をやりたい者もいたという。しかし、米民政府が被害者の怒りを静めるために損害を米民政府が弁償している。写真でわかるように、廃車を片付けていのるはアメリカ軍である。その費用はアメリカ軍がもったはずである。
 コザ騒動の捜索はすべて沖縄の警察がやっている。アメリカ軍は一切関わっていないとコザ騒動に関わった検事が証言している。復帰前は、アメリカ人が加害者である場合はアメリカ軍が裁き、沖縄人が加害者の場合は沖縄が裁くという法律であった。だから、コザ騒動で被害者がアメリカ人であっても捜索・逮捕・裁判は沖縄側が行った。

 沖縄でいつも問題にされるのはアメリカ人が加害者で沖縄人が被害者の事件・事故である。沖縄の裁判で裁いたら有罪になるがアメリカ軍は無罪にしたという事例が常に問題になった。

 日常の世界ではどうであったか。アメリカ人はほとんどが兵士である。彼らは給料を沖縄の市場で使う消費者であった。アメリカ人が商売をしたり、武力で沖縄人から搾取するようなことはなかった。沖縄の社会とアメリカ兵士や家族の社会は棲み分けられていて対立するようなことはなかった。沖縄人がアメリカ社会に接近するのは仕事や商売のためであり、共通の社会を持つことではなかった。

 戦前の沖縄は本土の政治家や商売人に搾取されていたが、戦後の沖縄に駐留したアメリカ軍は沖縄にお金を供給した。アメリカ軍が造った法律は沖縄人同士の社会では自由で平等な民主主義社会であった。
アメリカは沖縄にアメリカ軍を駐留させたが、その目的は中国などの社会主義国家の拡大を阻止するためであり、沖縄を支配するためではなかった。そもそも沖縄を支配してもアメリカにメリットはない。アメリカ軍は社会主義国家との対立が原因で沖縄に駐留したが、駐留することによって起こる基地被害と事件・事故が起こり、それの裁判やり方で沖縄は反発した。

 アメリカは沖縄を軍事支配していないし、沖縄はアメリカの植民地でもない。コザ騒動のときに警戒にあたったMPは疲労困憊している。なぜ彼らは疲労困憊しているのか。襲いかかる群衆のすごいエネルギーに圧倒されたからだが、もし、彼らが沖縄を支配している気持ちがあり、沖縄の人間を「虫けら」のように考えて、沖縄人を殺しても平気だったら、襲ってくる群集に発砲して殺害していたはずだ。銃で片を付けるつもりだったらMPたちは疲労困憊をすることはなかった。
 MPが疲労困憊した原因は、彼らが沖縄を軍事支配しているという気持ちがなかったからである。彼らにとって沖縄人は自分たちと同じ人間であり、しかも沖縄人は武器を持っていない人間である。武器を持っていない沖縄人に対しては武器を使用しないで騒動を押さえなければならなかった。彼らは銃を使用しないで騒動をしずめたから疲労困憊したのである。

 なぜこのようなことを書くのかというと、子どもの頃からアメリカ軍を見てきたから、アメリカ軍の強さは肌で感じていた。それに1970年代のアメリカ軍はベトナムで戦争をやっている最中であった。彼らは殺し合いを体験していたから、敵に対しては遠慮なく銃を撃つこができる。沖縄人を敵だと思っていたら沖縄人に銃を向けて撃っていたはずである。

 アメリカ軍が沖縄を実力で支配したいのなら赤子の手をひねるより簡単であると子どもの頃から思っていた。なぜアメリカ軍は反米反基地運動をしている沖縄人を実力排除(殺したり、刑務所に入れる)しないのかと思っていた。その理由も考えた。
 その結果、アメリカは民主主義国家である。法治主義である。自由主義経済国家である。他民族国家であるという結論になり、だから、アメリカは植民地を持たない主義であり、軍事支配をしない国であるということがわかった。

 一方、沖縄の政治は保守は儲け主義の政治家が中心。左派は共産主義系、社会主義系である。そして、両方とも民主主義・法治主義を基本としていない。

 沖縄社会は日本全国統一の憲法・法が適用されているから、法的に沖縄だけが差別されていることはない。アメリカ軍問題は日本とアメリカの国家間の問題であり、日本全体、アジア情勢をも問題した上で考えなければならない。沖縄県の基地被害だけで考えてはならない。中国、北朝鮮との政治・軍事問題が絡んだ沖縄のアメリカ軍駐留の問題は、中国、北朝鮮のことをも問題したうえで意見をいうべきである。中国、北朝鮮に背を向けてアメリカだけに目を向けた反アメリカ軍事基地論は片手落ちの理論である。
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