沖縄舞踊の革命児たち・花やから

沖縄舞踊の革命児たち
 彼女たちは「踊り」を超えて演じている

ミルクムナリは最初に四人の太鼓打ちが入場する。最初に驚くのは彼女たちがバチをくるくるっと回転させて打つことだ。


太鼓をたたく瞬間はバチをしっかりと掴んでいないと太鼓のはじっこを打ったりバチを飛ばしたりする。くるくるとバチを回転させて打つのは至難の業である。それを少女たちは難なくこなし、しかしも退場する最後まで叩き続けるのだ。

それだけではない。旗持ちと一緒に飛び上がっている。


四人の太鼓打ちの次に登場するのが二人の闘士である。登場がすごい。走って来て飛び上がり、蹴るのである。沖縄舞踊でこのような登場はない。


写真をみれば舞踊というより空手の演武のようである。



しかし、彼女たちの動きはリズム的であり、ミルクムナリのリズムと歌にぴったりと合わせている。やっぱり踊りである。
次に登場するのが二人の旗持ちである。激しい動きである。



本当に闘っているように激しく旗をぶつけている。


空中高く飛び上がっている。



太鼓打ち、闘士、旗持ちそれぞれの踊りはすごいし、次々に展開していくのもすばらしい。
普通、踊りは力を押さえて、安定した速さでやわらかい動きを基本としている。しかし、彼女たちの踊りは、空手の演武のように早く、渾身の力を出している。

このような舞踊は沖縄舞踊だけでなく日本舞踊にもないのではないか。


彼女たちの踊りはそれだけではない。沖縄舞踊は無表情で踊るが彼女たちは演劇のように感情を顔に出している。






後ろの踊り手の形相はすごい。


ミルクムナリ1
ミルクムナリを紹介している時はひ弱そうな女の子である。しかし、太鼓打ちとして登場すると凛々しく変身する。
ミルクムナリ2

花やからのミルクムナリは沖縄舞踊の常識を壊している。しかし、それが観客の目をくぎ付けにするような素晴らしい舞踊を誕生させている。
なぜ、彼女たちは演劇と同じくらいの表情をすることができるのだろう。
その謎はFNS九州8曲共同制作「家族の歌」で放映された「琉舞に挑戦!5歳の娘」という花やからに入団するまでの玉木弥弥ちゃんのドキュメントで分かる。
ややちゃんの普通の顔である。陽気な子である。




踊りを練習をする時は口元をぎゅっと閉め真剣な顔をしている。無表情であり普通の舞踊練習風景だ。他の子どももややちゃんと同じた。
ややちゃんがちゃんと踊れたら舞台に出すと「花やから」を主催している大城秀子先生に言われるが、舞台にでれるようになるには声を出して楽しく踊れるようにならなければいけない注意する。


声を出して返事できないややちゃんである。しかし、ややちゃんの目を見てほしい。大城先生の注意を真剣に聞いていることがわかる。


お母さんと屋上で練習しているややちゃん。お母さんは大城先生に指摘されたややちゃんの欠点を直そうと厳しく教える。ややちゃんはお母さんを睨む。怒ったお母さんが「練習を止めるか」というとややちゃんは首を横に振る。
そして、踊っている途中から声が出て「花やから」を歌いながら踊る。


道場でも声を出しながら歌えるようになる。

思いっきり歌いながら踊る。これが他の沖縄舞踊と違うところである。



「花やから」歌を歌っている時と歌っていない時の表情がこんなにも違うのだ。


歌詞には意味がある。くり返し何度も歌っていると歌詞の内容が理解できるようになる。それだけではない。歌詞が心の中に浸透していき心で踊り、表情にも出てくる。
「花やから」は徹底して歌わせ、歌詞の内容を演劇のように表現する訓練をしているのだ。その訓練がミルクムナリのような踊りをつくり上げている。

感情を殺して踊るのではなく。感情を思いっきり出して踊る。それが「花やから」である。それは沖縄舞踊の革命である。
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