鈴木宗男氏を美化する佐藤優氏





辺野古の海上案をあきらめて普天間基地の移転案の練り直しを決めたの小泉首相だった。辺野古移設は困難であると考えた小泉首相は県外移設を模索するように指示した。
鳩山前首相が県外移設をやろうとした時、さまざまな案が浮上したが、その案のほとんどは小泉首相時代に検討したが、実現は困難と結論された案であった。

県外移設を目指して模索し、根回しもしたが、結局県外移設は不可能だという結論が出て再び辺野古移設に戻った。その時に小泉首相は「総論賛成各論反対」という言葉で県外移設が困難であったことを示した。
私は辺野古問題に興味があったから、小泉首相が県外移設は困難であると発言していたことを覚えている。県外移設の断念の発言として小泉首相が「総論賛成各論反対」が原因であると発言したことが新聞に掲載されていたのを覚えている。その時にどのような案があったのかは公表されなかった。
それから紆余曲折があり、陸上を含んだV事案に落ち着いた。

県外移設から辺野古V事案までの過程で中心的に活動したのは守屋武昌元防衛事務次官であって、鈴木宗郎ではない。鈴木宗郎は北方領土の二島返還を進めたために小泉首相に嫌われ、政局からはずされた。その時に佐藤優氏もロシア勤務からはずされたと記憶している。

辺野古のV字型案に決まる過程には、鈴木宗郎氏は自民党政権の中枢には居なかったし、主導的役割は果たすことはできなかったはずだ。それに、名護市長も辺野古の区長も条件つきでありながらV字型案には賛成していて、辺野古移設が可能になっていた。

自民党の政敵である民主党が普天間移設は最低でも県外と主張し、民主党が政権を握れば確実に県外移設になると県民を信じさせた。そして、民主党が政権を握り、鳩山氏は首相になっても最低でも県外を県民に約束したのだ。

ところがあんなに「県外移設」を約束していた鳩山前首相が「県外移設」を断念したのだ。そして、辺野古移設案にもどってしまった。辺野古移設案を困難にしたのは民主党自身だっのだ。

鈴木氏の考えが「民意の中にある英知を心の底から信頼するようになった」ことには疑問だ。「沖縄県内への移設は不可能です。・・・・・」と鈴木宗郎氏が小沢氏に真剣に訴えたというが、いつごろ訴えたのだろうか。管氏と小沢氏の総裁選の時だったら、誰が見ても辺野古移設不可能であると知っているころであり、鈴木氏の訴える必要はなかった。

3億円の内閣官房費支出を暴露したことで野中氏との人間関係が崩れたことはいかにも鈴木氏らしい。野党になった自民党とはさっさと縁を切り、新しく政権を握った民主党に擦り寄る。それが鈴木流だ。





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