ちゃちなイデオロギーは敗北していくだけだ

ちゃちなイデオロギーは敗北していくだけだ
八重山地区がきっかけとなって、国の無償措置法は採択地区の設定単位を「市都」から「市町村」に改めることになった。
無償措置法が改訂されれば、竹富町単独で教科書を採択できるから、八重山教科書問題は解決する。これで一件落着である。が、それは革新勢力にとって困ることである。八重山教科書問題をネタにして安倍政権批判をするイデオロギー闘争が困難になるからだ。彼らが八重山教科書問題にしがみつきながらイデオロギー闘争をつづけようとしていることは、無償措置法改定の法律が衆議院を通過した翌日の新聞に、沖縄二紙大小合わせてなんと六つもの記事が掲載されていることに如実に表れている。。

新報に島袋哲琉球大学名誉教授が「教育委員会制度の変遷」で戦後沖縄の教育委員会の歴史を書いているが、今問題になっている地区協議会についての歴史については一言も書いていない。地区協議会は戦後の沖縄で市町村が協力して教科書を研究し、地区で統一した教科書を使用するために協議会を設立した。教科書を無償給付するために設立したのではない。地区協議会の歴史について書けば本来の地区協議会の目的を書かなければならない。すると竹富町が無償措置法を理由に育鵬社版を使用しなかったことが地区協議会の設立目的に違反していることが浮き彫りになってしまう。だから、島袋哲名誉教授は地区協議会の歴史を書くことを避けたのである。島袋氏よ、それでも学者かと言いたい。



地区協議会を設定した理由は、ひとつに転校生が困らないようするためである。八重山地区は石垣市、竹富町、与那国町は隣接しているから転校生は必ずいるだろう。三市町の教科書が違っていると生徒が困る。
二つ目は人口の少ない町や村だけで教科書を選択するのは負担が大きい。だから、人口の少ない町村同士が協力しあうために地区協議会を設立した。
前川局長は市町村単位になっても「八重山はひとつの地区であるべきだ」と言っている。それは人口の少ない竹富町と与那国町のことを考えてのことだ。石垣市は市であるから人材豊富であり単独で教科書を採択するのにそれほど困らない。
一方前川局長は「地区設定の権限は県教委にある」と答弁している。
前川局庁の答弁通り地区設定の権限は県教委にあり、今までも県教委がやってきた。石垣市、竹富町、与那国町の三市町で八重山地区協議会を設立したのは県教委である。国ではない。だから、八重山教科書問題を解決する責任は県教委にある。県教委が解決する努力を怠ったので文科省が直接指導したのだ。「国の政治介入」なんてアホらしい反発である。

今までの竹富町と県教育庁の主張を通すなら竹富町は八重山地区協議会から離れて単独採択をするのが筋である。しかし、現在竹富町が石垣市、与那国町と違う教科書は公民だけであり、他の教科書は同じであるから竹富町民の反発起こらなかった。
竹富町が単独で教科書を採択することになると小学一年生から中学三年生まですべての教科書が石垣市、与那国町と違う可能性がある。それで竹富町民は納得するだろうか。町民の反発が強くなる可能性は高い。
竹富町を単独にするしないを決定するのは県教委である。単独にすれば転校生のことを無視していると非難されるだろう。竹富町を地区協議会に参加させれば、今回のような地区協議会の採択した教科書とは違う教科書を採択することはできなくなる。そのすべての責任は県教委にあることになる。

琉球新報の社説は教科書無償措置法について「地方と教育への露骨な介入」という題名で書いている。

八重山教科書問題で、安倍政権による地方と教育への圧力が強まっている。教科書無償措置法の改正案が衆議院を通過した。
「琉球新報社説」
 琉球新報はなにがなんでも安倍政権は地方と教育への圧力をやっていると決めつけたい。だから、

 改正案は、採択地区の設定単位を、現行の「市都」から「市町村」に変更することを盛り込んだ。全国規模では、育鵬社など保守色の強い教科書を採択しやすいための環境整備も見え隠れする。そうでありながら、八重山の三市町は一体とするのは、国のご都合主義以外の何物でもない。
                「琉球新報社説」
 あきれ果てた理屈である。竹富町が地区協議会が採択した育鵬社版を拒否して東京書籍を使用したことが正しいとするならば、地区協議会で採択した教科書以外を採択してもいいと主張しているのだから、地区協議会で東京書籍版を採択してもその教科書を拒否して育鵬社版を使用することも正しいということになる。竹富町が主張してきたのはそのことである。竹富町方式なら東京書籍版を使用したい市町村は東京書籍を、育鵬社版を使用したい市町村は育鵬社版を自由に使っていいと主張しているのだ。
 「市町村」に変更することは新報が八重山教科書問題で非難している教科書採択への国の介入がなくなるということである。本来なら自分の主張が認められたことに喜ぶべきであるのに、「育鵬社など保守色の強い教科書を採択しやすいための環境整備も見え隠れする」と非難する。このひねくれ過ぎた主張には苦笑するしかない。
 新報は八重山教科書問題で竹富町が地区協議会の採択に縛られないで東京書籍版を使用したのは採択権が竹富町にあることを主張したのではなかった。保守の教科書を拒否し革新系よりの教科書を採択したことに賛成し、採択権が竹富町にあることは口実でしかなかったのだ。だから、育鵬社版を拒否し東京書籍版を採択するは正しく、逆のケースの東京書籍版を拒否して育鵬社版を採択するのは間違っているのだ。
 選択の自由の権利を新報は主張していない。育鵬社拒否東京書籍採択を主張しているのだ。それはイデオロギーの主張であって、自由、権利、民主主義とは関係がない。文科省が倦怠合格した育鵬社でさえ拒否することは反保守食の強い左翼イデオロギーである証拠である。

 国に従わない地方を政治家が力で屈服させようとしていることがはっきりした。
              「琉球新報社説」
 これにはあきれるしかない。元々教科書採択は地方の権限であり国が教科書採択を指示することはできない。。しかし、「市都」単位だったので、町村は地区協議会に縛られていた。安倍政権は「市町村」単位にして町村を地区協議会に参加しなくてもいいことになった。「町村」を自由にしたのだ。あへ政権は「屈服させる」の逆のことをしたのだ。
 新報の社説を書く人間は事実を客観的に見ることができない被害妄想病にかかっている。

 沖縄タイムス社説はこれまでのいきさつを説明するが、事実を隠ぺいしている。竹富町は協議会の運営に反発したと述べているが、竹富町は協議会が育鵬社版を選択したことに反発したのだ。その証拠に公民以外は協議会が採択した教科書とすべて同じだ。育鵬社版を拒否する口実に「運営に反発」したのだ。

 竹富町が法律違反を犯している、と決めつけるような物言いには強い違和感が募る。
 政府に問いたい。ではなぜ無償措置法の方改正が必要と判断したのか。竹富町を「違法」と断じる根拠に乏しい、とみとめざるを得なかったからではないか。さらに、今回の海底によっても、地教行法との矛盾はなんら解消されない。
             「沖縄タイムス社説」
 内容の薄い、水掛け論である。
政府が無償措置を改正したのは竹富町のような違法者をださないためだ。無償措置法は違法行為をしても強制的に是正することはできない。現在の無償措置法なら竹富町は公的な組織でありながら永遠に違法行為を続けていくことができる。それでは日本は法治国家と言えない。法治国家としてこのような状況を是正するためには法律を改定するしかない。
無償措置法の改訂版は「市町村」単位にしている。竹富町教委が八重山地区協議会で採択した教科書の全てを採択する約束をしない限り、竹富町は単独で採択するようにすればいい。八重山教科書問題はこれで簡単に解決できる。
 
 「地教行法との矛盾はなんら解消されない」とは、なに寝ぼけたことを言っているのだ。竹富町単体で教科書を採択するのだから、竹富町が採択した教科書は自動的に国が無償給付する。矛盾は全然ない。
 八重山三市町を一つの地区協議会にするかそれとも三市町それぞれ単体にするかは県教委が決定する。国は関与しない。だから、地区協議会のトラブルの全ては県教委の責任となる。今度の改定は地方の自立を高めた法律である。

 下村文科相がフィンランドなどの教職員組合は「教育現場に政治やイテオロギーを入れ込まない」とたたえ、日本の組合が教育現場にイデオロギーを持ち込んでいるという発言に、
    
 教育現場に政治やイデオロギーを持ち込み、混乱を招いているのは、地元からみれば明らかに政府のほうだ。
              「沖縄タイムス社説」
と反論している。おいおい、本気でそのように考えているのかと言わざるを得ない。事実を完全に無視している。竹富町が地区協議会の採択と違う教科書を使用したのは無償措置法違反だから、地区協議会が採択した教科書を使用するように指導しているだけである。教科書の種類は育鵬社版であろうと東京書籍版あろうと他の教科書であろうとかまわない。そこには政治もイデオロギーもない。法治主義があるだけだ。地元からみても政府はイデオロギーを持ち込んでいない。イデオロギーを持ち込んでいるのは明らかに竹富町であり竹富町を支援している革新団体や沖縄二紙である。

 下村文科相は記者会見で、教科書無償措置法改正案で、八重山地区から竹富町を分割することについて、
「違反には当たらない」との見解を述べた。そして、「基本的には各教育委員会の意見を尊重しながら沖縄県教育委員会が最終的には決定する。べつに国が認めるとか認めないという話でない」と述べ、採択地区の設定権限は県教委にあることを強調した。
                「琉球新報」
 竹富町が単独で教科書を採択してもいいこと、地区協議会の設定は県教育委に権限があることを下村文科相は明言した。
 これで竹富町のように地区協議会で採択教科書を拒否して別の教科書をしようすることがなくなった。これからは沖縄二紙が政治介入だと非難する無償措置法の遵守を竹富町に要求することもないだろう。


さあ、どうする竹富町である。さあどうする県教委である。さあ、どうする沖縄二紙である。

竹富町、県教委、沖縄二紙が相手にしているのは民主主義国家である。竹富町、県教委の社会主義に根差した反保守イデオロギーは、東京書籍の教科書を採択して勝利したように見えたが、結局は無償措置法の改正でミーファーファーするだけである。反法治主義のイデオロギーは短期間では勝利しても、長期的には敗北していく。
法治主義の民主主義国家にちゃちなイデオロギーは勝てやしない。敗北していくだけだ。




庭に植えているアロエベラの花だ。
一斉に咲いた。
春だな。

紅いアマリリスも満開になった。
二か月前に球根を移した。
今年は花は咲かないと思っていたが、
咲いた。
春になると花を咲かせないといけないという
アマリリスの本能だろうか。
右端のアマリリスは半分枯れた葉が一枚だけ。
だけれども花を咲かそうとしている。
アマリリスの一途な本能よ。
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