翁長氏を信じたためにまやかしの革新政治に巻き込まれていく

翁長氏を信じたためにまやかしの革新政治に巻き込まれていく金秀・かりゆしグロープ

 金秀グループの呉屋守将氏が十二日の県庁記者クラブで吠えた。
「私は全力を尽くす覚悟だ。経済界、県民各位は沖縄の苦難の歴史にあらためて思いを致し、明るく希望に満ちた沖縄の新しい歴史を築くため、共に行動していただくように心から訴える」

 沖縄の経済人が政治の表世界に積極的に立つことはなかった。やむにやまれぬ呉屋氏の思いがひしひしと感じる決意である。
 しかし、呉屋氏の発言にはがっかりさせられる。経済人が立ち上がるにしてはなんの新鮮味のない発言である。革新や左系の学者の理論を借りてきているにしか過ぎない。

「過去を反省すべきは反省するが、日米安保にとって米軍基地が抑止力というのは果たしてそうなんだろうかとここ十数年で学んだ。その視点で辺野古はいらない」
             沖縄タイムス

一九六〇年代の社会主義国家圏である。


アジアで社会主義国家でなかったのは、日本、南朝鮮、台湾、南ベトナム、フィリピンとわずかである。
 北朝鮮の南朝鮮侵略を押し返したのは米軍であった。南ベトナムは北ベトナムに占領された。軍事力の弱い国に侵略して支配するのが社会主義国家の体質である。中国はチベット、ウイグル、内モンゴルに人民解放軍を侵略させて支配下に置いた。
 もし、米軍が日本・沖縄に駐留していなかったら中国や旧ソ連に日本は侵略されて社会主義国家になっていただろう。米軍が駐留して日本を守っていたから侵略されなかった。
米軍に抑止力がなかったと思うのは社会主義国家の性格と戦後アジアの歴史を知らないからである。
 アジアの場合はソ連が崩壊する一九九一年まで地図と同じ状態であった。

 現在の社会主義圏である。ソ連とモンゴルは民主主義国家になったが、超大国中国はまだ社会主義国家である。
 社会主義国家は領土拡大主義である。


 中国は尖閣諸島は中国の領土だと主張し、尖閣諸島の領海への侵入を繰り返している。空のほうも日本への侵入を繰り返したり、自衛隊機へ異常接近をしたりしている。それを中国は正当化している。
 もし、米軍が日本・沖縄に駐留していなかったら、中国はもっとひどい行為をしていたはずである。そして、自衛隊が弱く、日本に経済力もなかったら中国は尖閣諸島を占領し、与那国、宮古島、八重山侵略を狙っていたはずである。それが妄想ではなく現実的な問題であるのは南沙諸島での中国のフィリピン、ベトナム領への侵略を見れば明らかである。

中国は点線部分を中国の領海だと主張している。赤線、青線はフィリピン、ベトナムが領海だと主張している。


 中国の主張する領海はフィリピン、ベトナムに接近しすぎている。どうみてもスカボロー礁や石油掘削している場所はフィリピン、ベトナムの領海である。
しかし、領土拡大主義の中国はフィリピン近海まで中国の領海である主張し、米軍がフィリピンから撤退した数年後にスカボロー礁に侵略し建物をつくり中国の領土にした。
現在はベトナムの領海としか思えない場所で石油掘削をしている。しかも、六隻の軍艦を含めた漁船、海警船の一四〇隻が石油掘削船の周囲を囲ってベトナムの船が近づくことを許さない。

もし、日本の軍事力、経済力がフィリピンやベトナムと同じで米軍が駐留していなかったら、日本・沖縄もフィリピン、ベトナムと同じ運命をたどっていたはずである。ベトナムもフィリピンも米国と軍事同盟を結んでいないし、米軍が駐留していない。だから、中国は強引に侵略したのである。

戦後のアジアの歴史、現在の尖閣諸島、南沙諸島をみれば米軍に抑止力があることは明確である。
呉屋氏の「米軍基地が抑止力というのはどうなんだろう」の発言は、戦後から現在まで米軍の抑止力で日本・沖縄が平和だったことを認識することができないで、米軍が駐留していなくても平和だったと勘違いしているからである。

中国が社会主義国家である間は日本に米軍駐留は必要である。ヘリコプター基地も必要である。普天間飛行場の辺野古移設は宜野湾市の基地被害をなくすためにやらなくてはならない。普天間飛行場の閉鎖・撤去は言外である。
金秀グループの呉屋氏は米軍対して認識不足である。

海兵隊基地の普天間がある理由はかつて本土で基地反対運動があり当時の沖縄が米施政権の下にあったというだけ。沖縄に米軍基地の七四%が集約している理由は一度も説明を受けたことがない。構造的差別以外の何ものでもない」
               沖縄タイムス

なぜ辺野古に反対かという記者の質問に対する呉屋氏の返答である。呉屋氏の考えは反米主義の革新や学者の受け売りである。
日本が警戒する国は北朝鮮と中国である。北朝鮮の隣りの韓国には米軍28,500人、韓国軍69万人居て、北朝鮮への抑止力になっている。
そして、本土には22万人の自衛隊と2万人弱の米軍が駐留している。米軍だけが北朝鮮や中国を抑止しているのではない。韓国の米軍、韓国軍、日本の自衛隊、米軍が抑止しているのである。

革新政治家、左翼学者、沖縄二紙が米軍だけを誇張しているのは彼らが反米主義者であり、日本からの米軍基地撤去を目的にしているからである。米軍よりはるかに多いのが自衛隊である。中国機の領空侵犯にスクランプルをかけているのは自衛隊であり米軍ではない。自衛隊は日々中国の圧力と戦い、中国の侵略を防いでいる。
ところが反米主義者たちは米軍基地が沖縄に集中しているのを誇張して、自衛隊が22万人いること、自衛隊基地の大きさが米軍基地よりずっと大きいことを言わない。まるで米軍基地のほうが巨大であるようにいう。それはまやかしである。
そんな子供じみたまやかしに騙されているのが呉屋氏であり金秀・かりゆしグループの代表たちである。

本土駐留の米軍は自衛隊が増強するにしたがって、本土防衛は自衛隊に任せることにして撤退していった。海兵隊が本土から沖縄に移動したのは日本全体の米軍削減による戦力の再編が理由であって、本土の基地反対運動が原因ではない。
中国を中心とするベトナム、カンボジアなどの共産主義勢力が拡大し、米軍は北朝鮮への警戒から東南アジアの警戒に戦略を変更していった。戦略変更のひとつに海兵隊の普天間移動があった。
自衛隊の増強とアジア情勢の変化が沖縄の米軍基地のあり方を決めているのであって、構造的差別は関係がない。そもそも自衛隊+米軍で日本の軍隊を考えれば構造的差別というのは沖縄にない。
 「構造的差別」を主張するために、自衛隊をはずして米軍だけを問題にしているのだ。

 1970年代に12万人駐留していた米軍が現在は2万人である。激減しているのが事実である。それに普天間飛行場を辺野古に移設して嘉手納飛行場以南の米軍基地をすべて撤去すると日米政府は約束している。十七年前から順調に辺野古移設が進んでいたら、今頃は嘉手納飛行場以南の基地撤去が進められていたはずである。
 それを邪魔したのが、沖縄に米軍基地の七四%が集約しているとか、構造差別とかのまやかしの理論を振りまいて、辺野古移設に反対している共産党、社民党、社大党、左翼学者、沖縄二紙、革新団体である。彼らが邪魔しているために今も嘉手納飛行場以南に米軍基地がある。その米軍基地を含めて沖縄には米軍基地が集中していると主張している。米軍基地が集中しているのは米軍基地反対をしている連中のせいである。

記者に翁長氏を推す理由を聞かれて、呉屋氏は、

「翁長氏なら仲井間氏の進めてきた経済政策も引き継ぎながら、加えてもっと本源的な辺野古移設も同時に解決してもらえる。沖縄の大きな一里塚だ」

と答えている。魑魅魍魎の政治の世界に迷い込んだ哀れな老経済人である。経済では冷静な判断と英知で成功したかもしれないが、政治の世界では無知蒙昧になってしまっている。

 翁長市長は辺野古移設を本源的に解決することはできない。もともと翁長市長には普天間飛行場問題を解決する気持ちは全然なかった。
 前の県知事選の時、「県外移設を公約にしないと当選できない」と推理した翁長市長が辺野古移設にこだわる仲井真知事の抵抗をねじふせて、県外移設を公約したのだ。最初から県外移設の考えが翁長市長にあったのではない。県知事選に勝利するために思い付き公約にしたのだ。

 鳩山元首相が「最低でも県外移設」を公言してから、県民の県外移設への期待が一気に高まり、新聞二紙や識者の発言は県外移設一色になった。
 そのような状況で確実に知事選に勝つには県外移設を公約しなければならないと翁長市長は考えたのだ。翁長市長は県知事選に勝利する目的のために県外移設を公約にしたのであり、普天間飛行場問題の解決のために県外移設を主張してのではない。選挙に勝つためにはなんでもやる理念のない自民党を代表していたのが翁長市長だった。
 県知事選に勝つために公約した県外移設がその後の自民党の公約となったが、選挙に勝つための公約だったから、誰一人として県外移設が本当に実現するかどうかを考えたことはなかったし。県外に移設先を探そうともしなかった。自民党にとって県外移設はただただ票を集めるための公約であった。

 翁長市長に辺野古移設問題を解決する気持ちは全然ないし、彼に解決できるはずもない。それなのに翁長市長が本源的に解決してくれると信じている老経済人は哀れである。

 オスプレイ配備反対、普天間飛行場の県内移設断念と革新の主張に賛成してオール沖縄を結成したのは翁長市長が那覇市長選に勝利するための選挙戦略であった。革新と同じ主張をして革新との対立をぼかすためであった。翁長市長の選挙戦略はスハリ的中し、革新は対立候補を立てることができなくなり、翁長市長は選挙に圧勝した。

 県知事選、那覇市長選に圧勝した翁長市長は革新つぶしのための革新接近戦略に溺れてしまい。そこから這い出ることができなくなった。身動きができない翁長市長は安倍政権と対立してしまった。政治理念がなく、時の政権に尻尾を振りながら権力の座につくのを理念にしてきたのが翁長市長であったが、自分の策に溺れて安倍政権と対立したのは大きな誤算である。

 翁長市長は呉屋氏が信じているような沖縄問題を真剣に解決しようとしている信念の政治家ではない。選挙に勝つためには平気で革新の主張を公約にする尻軽な政治家だ。

 翁長市長を信じたために革新のまやかしの政治に巻き込まれているのが金秀・かりゆしグループである。
 哀れである。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 金秀・かりゆ... バカらしい、... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。