革新政治に捻じ曲げられた「命どぅ宝」 3


太田氏の琉球の歴史ついての説明が事実とは違うということを歴史専門家は説明しています。
「目からウロコの琉球・沖縄史」はネットで沖縄の歴史について広い範囲で解説しているサイトです。掲載者のペンネームはとらひこといい、「目からウロコの琉球・沖縄史」は人気を得て、本にもなりました。上里 隆史はテレビ出演したり講演したりで有名人になりました。
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目からウロコの琉球・沖縄史

2007年11月14日 (水)のサイトに太田氏の説明が史実ではないことを証明しているので引用しました。
武器のない国琉球?(1)
琉球といえば、「武器のない国」としてイメージされる場合が多いと思います。平和を希求する尚真王が武器を捨て世界にさきがけて“非武装国家宣言”をしたとか、ナポレオンが武器のない琉球の話に驚いたというエピソードも、これらを根拠づけるものとしてよく引き合いに出されます。

しかし歴史を詳しく調べていくと、事実は全くちがうことがわかります。まず尚真王は武器も廃棄していないし、“非武装国家宣言”も出していません。刀狩りの根拠とされた「百浦添欄干之銘」(1509年)という史料にはこう書かれています。

「もっぱら刀剣・弓矢を積み、もって護国の利器となす。この邦の財用・武器は他州の及ばざるところなり」

刀狩り説は、これを「武器をかき集めて倉庫に積み封印した」と解釈していました。しかしこの文を現代風に訳すると、何と「(尚真王は)刀や弓矢を集めて国を守る武器とした。琉球の持つ財産や武器は他国の及ぶところではない(他国より金と軍備を持っている)」という意味になるのです。尚真王は武器を捨てるどころか、軍備を強化しているのです。

実際に1500年の王府軍による八重山征服戦争では軍艦100隻と3000人の兵が動員され、1609年の薩摩島津軍の侵攻に対しては、琉球は4000人の軍隊で迎え撃ち、最新兵器の大砲でいったんは島津軍を阻止しています。

尚真王が軍備を廃止した事実はなく、この時期にそれまでの按司のよせ集めだった軍団から、王府指揮下の統一的な「琉球王国軍」が完成したというのが真実なのです。再度強調しますと、琉球は刀狩りやそれに関連するような政策は一切とっていません。

古琉球の歌謡集『おもろさうし』には数々の戦争をうたったオモロ(神歌)が収録されています。そのなかでは、琉球王国の軍隊のことを「しよりおやいくさ(首里親軍)」と呼んでいます。聞得大君に関するオモロを集めた巻では、全41首のうち、実に4分の1にあたる11首が戦争に関するオモロです。

古琉球時代では武装した神女(ノロ)が霊的なパワー(セヂといいます)を兵士たちに与え、戦争にのぞんでいた様子をうかがうことができます。沖縄には「イナグヤ戦ヌサチバイ(女は戦のさきがけ)」という言葉も残っています。当時は霊的なパワーも実際の戦闘力と同じように考えられていたので、兵士たちが戦う前には、両軍の神女たちがお互いの霊力をぶつけ合う合戦が行われていたようです(映画スターウォーズの“フォース”で戦う感じでしょうか)。

当時の琉球の人々はこの霊力(セヂ)の存在を本気で信じていたようです。島津軍が琉球侵攻の準備を着々と進めていた時期、琉球に渡航した中国の使者は、王府の高官たちに「日本が攻めてきそうだ。ちゃんと備えているのか」とたずねたところ、高官たちは「大丈夫です。我々には琉球の神がついております!」と自信満々に答えて使者を呆れさせたことがありました。

琉球の高官たちは、強力なフォースを持つ聞得大君をはじめとした神女たちが電撃ビームで島津軍の兵士たちを次々と倒していく光景を想像していたかのかもしれませんね。実際には戦国乱世をくぐりぬけてきた島津軍には全く通用しませんでしたが…

武器のない国琉球?(2)
それでは近世(江戸時代)の琉球はナポレオンが聞いたように「武器のない国」だったのでしょうか。答えは「ノー」です。

たしかに薩摩に征服されてからは、かつてのように琉球王府が自在に動かせるような軍隊はなくなったようです。そのかわり琉球の防衛は、幕藩制国家のなかの薩摩藩が担当することになりました(「琉球押えの役」といいます)。

薩摩藩は琉球に軍隊を常駐させることはありませんでしたが、有事の際には薩摩からただちに武装した兵士たちが派遣されました。つまり琉球は近世日本の安全保障の傘に入っていたのです。琉球は薩摩藩の支配下に入っていたので、当たり前といえば当たり前です。

また琉球の貿易船が出港する際には、薩摩藩から貸与された鉄砲や大砲を装備して海賊の襲撃に備えていました。琉球国内では鉄砲以外の武器の個人所有は禁止されていませんでした。その証拠に、戦前には士族の所蔵していた武器の展覧会が開かれたこともあります。

それに注意しなくてはいけない点がひとつ。近世の琉球はたしかに大きな戦争もなく「平和」な状況が何百年も続きましたが、それは琉球だけにかぎったことではありません。江戸時代の日本は「天下泰平」といわれた、かつてないほど平和だった時代。もともと軍人であった武士も、戦いより学問や礼儀を重んじる官僚となっていきます。さらに周辺諸国でも大きな戦争はなく、それ以前の時代では考えられないほど東アジア世界全体が「平和社会」となっていた時代だったのです。琉球だけが平和だったのではありません。

さらにナポレオンが聞いた話は、琉球を訪れた欧米人バジル・ホールの体験談であって、彼は琉球社会のほんの一部分を見て判断していたにすぎません。ホールはさらに「琉球には貨幣もない」とまで言い切っています(もちろんそんなことはありません)。

琉球の「武器のない国」というイメージはどのように作られ、広がっていったのでしょうか。それは琉球を訪れた欧米人の体験談が、19世紀アメリカの平和主義運動のなかで利用されていった経緯があります。好戦的なアメリカ社会に対し、平和郷のモデルとして自称琉球人のリリアン・チンなる架空の人物が批判するという書簡がアメリカ平和団体によって出版され、「琉球=平和郷」というイメージが作られました。このアメリカ平和主義運動で生まれた琉球平和イメージ、史料の解釈の読み違いから出た非武装説に加え、さらに戦後の日本で流行した「非武装中立論」や「絶対平和主義」が強く影響して、今日の「武器のない国琉球」のイメージが形作られていったのです。

そもそも琉球史の戦争をめぐる問題の核心は、武器があったかどうかという単純な話ではなく、琉球という国家が自らの政治的意志を達成するために、暴力(軍事力)を行使する組織的な集団を持っていたかどうかを探ることです。武器はあくまでもその組織(軍隊)が目的を達成するための道具にすぎません。これまで「軍隊とは何か、戦争とは何か」という問題が非常にあやふやなまま議論されてきたのではないでしょうか。

このような僕の意見に対して「事実そのものにこだわっていて物事の片面しか見ていない。この言説を生んだ沖縄の平和を求める心こそが大事なのだ」という批判がありましたが、僕はそうは思いません。沖縄の平和を求める心が大切なのは同意しますが、これまではそればかりを強調して、歴史の実態を見てこなかった(もしくは知りながら見ようとしなかった)のが問題だったと思います。つまり物事の片面しか見てこなかったのです。

医者が患者を治すため病気の実態を研究するように、平和を求めるのは何も「戦場」の悲惨さを訴えるだけではないと思います。病気の恐ろしさと健康を求める心を訴えることも大事でしょうが、病気(軍事・戦争)の実態を探ること、それを僕は大事にしたいし、“治療”にもつながるものだと思っています。 

参考文献:照屋善彦「『リリアン=チン書簡』再考」(『琉大史学』12号)


「武器のない国琉球?」で述べられていることは「目からウロコの琉球・沖縄」を掲載している上里氏だけの見解ではなく、参考文献があるようにむしろ歴史学者には一般的な見解であると理解できる。
太田氏の見解というのは歴史的根拠はあいまいで巷の噂話程度のものであるということである。学者であり、琉球大学の学長であった太田氏が歴史学者にとっては通説となっている琉球史を捻じ曲げているということは遺憾なことである。

琉球の歴史に伝統的な平和文化はなかったし、「命どぅ宝」の格言も太田氏のいう戦争を忌み嫌う理由から生まれてきたのではないことは明らかである。

太田氏は「命どぅ宝」は「物食ゆすどぅ我が主」とセットになって琉球王朝時代から伝えられてきたことを本当は知っているはずである。そして、「命どぅ宝」の昔から伝えられてきた本当の意味を戦後生まれの私でさえ知っているのだから太田氏は当然知っているはずである。知っていながら、「命どぅ宝」の本当の意味を捻じ曲げて反戦・平和の思想から生まれた言葉として説明するのは政治に利用する目的があるからである。

戦後生まれの私は小学生、中学生、高校生の時に先生から「命どぅ宝」と「物食ゆすどぅ我が主」についての説明を何度も聞いた。ある先生は「命どぅ宝」と「物食ゆすどぅ我が主」は琉球の民の座右の銘であり、私たち沖縄に生まれた者は胸に深く刻み込むべきであるとまで言った。そのくらい「命どぅ宝」と「物食ゆすどぅ我が主」は重たい格言であり有名な格言であった。

「命どぅ宝」と「物食ゆすどぅ我が主」は琉球の民の生きるだけで精一杯であった貧困の中の生きるための処世術としての格言であると私は先生から聞いた。

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