コザ騒動問題から見える沖縄の苦悩




反戦平和主義の政治家や知識人の中で、アメリカ兵は人殺しをする訓練を受けた人間であり、平気で沖縄人をレイプしたり殺したりする人間であるという人がいる。それはアメリカ兵を理解していないひどい発言である。
彼らの多くはアメリカで穂通に生活をしていた一般市民であり、平凡な人間だ。彼らは戦争マシーンではないし好んで戦争をやっているわけではない。ベトナム戦線で戦っていたアメリカ兵にとって沖縄は心のオアシスであり、人間に戻れる場所であった。

「おれの車は新車だ!」と泣き戸惑うのが彼らの素顔だ。日常の彼らは普通の人間であったのだ。車は彼らの安い給料で買ったものであり彼らの大事な財産であった。その車を70台もの焼いたのだ。車を焼かれたアメリカ兵と彼らに同情したアメリカ兵のグループが集団で沖縄人を襲っても不思議ではなかった。しかし、そのような行動の兆しがなかったのは、アメリカ軍が焼かれた車をアメリカ軍が弁償したことだけではなかったはずだ。彼らは沖縄人と対立する気持ちはなかったのだ。

私の記憶では、アメリカ兵が集団で沖縄の人間を襲った事件はなかった。アメリカ兵の中には差別したり沖縄人と喧嘩する人間はいたが、それは個人的なものであり、全体的にはアメリカ人が沖縄人を差別することはなかったと私は思っている。
沖縄人の中には他民族であるアメリカ人が沖縄にいることが気に入らないという逆差別の考えを持っている人間がいたし、彼らはアメリカ人に喧嘩を売ったりしていた。女性がアメリカ人と親しくすることを嫌い、アメリカ人と交際している女性を「懲らしめる」ような連中もいた。しかし、そのような人間は少数派であり、アメリカ人と接した沖縄の人間のほとんどはアメリカ人f妖気できさくな性格であることを知り、彼らに行為的であった。日本兵は怖くて近寄りがたい存在だったがアメリカ兵は普通の人間で親しみやすかった。

復帰前の大きな問題はアメリカ兵の個人的な問題ではなく、アメリカ兵が事件を起こしても、沖縄の裁判で裁くことができないという政治的な問題だった。つまり政治で沖縄を差別していることであった。

だから、喜屋武氏のような解決することが困難な悩みを抱えた人間もいた。喜屋武氏の抱えた悩みは戦後沖縄の悩みでもある。

現在は米兵が起こした犯罪は日本の法律で裁くようになっている。朝英氏は勘違いをしている。数年前にコザミュージックタウンで遊んでいた少女がアメリカ兵に暴行された事件では、少女が告訴を取り下げたことで日本では裁判が行われなかった。しかし、アメリカ軍は少女を暴行したことで裁判をした。また、うるま市で起こったアメリカ兵による子供の虐待死も、日本では裁判に持ち込めなかったがアメリカでは裁判の最中である。

読谷飛行場跡で起こったひき逃げ事故では容疑者のアメリカ兵が警察の取調べを拒んだのは、日本の密室で取調べる方法に恐怖を持ったからだった。彼は取調べの可視可を求め、日本の警察が彼の要求を受け入れなかったから彼は日本の取調べを避けたのだ。
ところが沖縄の運動家たちは可視化については全然関心を持たないで、彼を日本の警察に引き渡せ一辺倒の主張をするだけだった。

アメリカ兵の引渡し運動が人権問題を掲げる運動であるならば、アメリカ軍に対しては身柄の引渡しを要求し、警察に大しては可視化を要求する運動をするべきではなかったか。しかし、可視化のかの一言もでなかったということは、人権運動ではなく、反米主義運動だったといえる。

日本に復帰してからは米兵が起こした事件は日本の法律で裁けるようになっているし、最近は日本の法律で裁けない事件でさえアメリカは裁くようになっている。このようにアメリカの法律も改善されてきている。

米兵に対して日本人よりも「厳罰」を求める朝英氏の主張は逆差別ではないか。日本人もアメリカ人も平等に裁く状態になっているのは認識するべきだ。

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