国家の第一は民主主義である。美しさとか品格はまやかしの国家論である。新聞に掲載されている論文を中心に批判する。
品格より民主そして自由
沖縄戦体験者は沖縄戦から一歩も外に踏み出さない
若い頃、沖縄戦の悲惨さを語り、戦争は二度とあってはならないと主張する沖縄戦体験者に対して、この人たちは本当に戦争に反対なのかと疑問を持ったことがあった。
彼らは沖縄戦の悲惨なことを語るが、進行中のベトナム戦争についてはなにも語らなかった。ベトナム戦争ほど映像やカメラに収められた戦争はなかった。戦争の残酷な画面が次々とテレビや新聞で報道された。戦争のむごたらしさを文章ではなく映像と写真で報せたのでベトナム戦争の反響は大きく、ベトナム反戦の運動は日本・アメリカだけでなく世界中に広まった。しかし、沖縄戦体験者は沖縄戦の悲惨を訴えるだけで、ベトナム反戦団体と連帯したり、ベトナム反戦を主張することはなかった
沖縄戦は終わった五年後の1950年に朝鮮戦争が起こっている。朝鮮戦争の犠牲者は全体で300万から400万人といわれ、民間人の犠牲者は100万~200万人といわれている。沖縄の民間人の犠牲者は10万人といわれているが、朝鮮戦争の犠牲者は沖縄戦の10倍以上であった。朝鮮戦争が残酷で悲惨な戦争であったことは容易に想像できる。しかし、沖縄で朝鮮戦争反対の運動は起こっていない。
1960年に入るとベトナム戦争が始まった。沖縄の戦争体験者は自分の体験から朝鮮戦争やベトナム戦争の悲惨さを予想して、声を大にして朝鮮戦争やベトナム戦争に反対するのが当然であると思ったが、彼らは沖縄戦で体験したことしか話さないし、隣の国で起こっている戦争を無視しながら、戦争は二度とあってはならないと主張した。
沖縄戦の体験から生まれた反戦・平和主義は、本当に反戦・平和主義なのか。若い頃の私は疑問を持った。沖縄戦はアメリカ軍の圧倒的な軍事力に負けた戦争だった。沖縄戦=負け戦だった。負け戦だったから悲惨な体験をしたといえる。
伊禮進順さんは「戦は惨めだ」と言っているが、厳密にいうと「戦は惨めだ」ではない。「負け戦は惨めだ」である。「非常、むなしい、人が人じゃ無くなる」のも負け戦だったからである。負け戦だったから伊禮進順さんは「戦争を二度とやっちゃいけない」と思うようになったのである。
戦争はなぜやるのか。日本の起こした戦争はなにが目的だったのか。なぜ。日本はアメリカに戦争を仕掛けたのか。朝鮮戦争、ベツナム戦争はなぜ起こったのか・・・伊禮進順さんは沖縄戦を体験したが、「戦争を二度とやっちゃいけない」の反省で彼の思想は戦争問題に決着をつけた。
これでは沖縄戦の体験から戦争の本質を追求し、戦争がなくなるためにはどうすればいいのかという肝心な問題に発展させることはできない。
沖縄戦体験者は自分の戦争体験から一歩も外に出ることをしない。沖縄戦の内側に閉じこもり、普遍的な反戦・平和主義になりきれていない。
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