日本が二大政党にならない原因その1 共産党4


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日本が二大政党にならない原因その1 共産党4

 日本が二大政党にならない大きな原因は共産党にある。そのことが沖縄で明らかになった。
沖縄県は左翼が強く、昔から保守と左翼は五分五分であり、知事選は保守と左翼が交互に当選していた。復帰後に最初に行われた知事選では左翼系の屋良朝苗氏が当選した。その後も保守系と左翼系の知事が交互に当選していたが、太田知事以後は稲嶺知事8年、仲井真知事8年と16年間自民党の知事が続いた。左翼の勢力は衰退していた。

2014.年の県知事選でも左翼単独では勝てない状況だった。左翼政党は高良鉄美琉球大学法科大学院教授を立候補させようとしていたが、自民党を離党した翁長雄志氏が左翼に共闘を申し入れた。単独では当選させることができない左翼政党は翁長氏の申し入れを受け入れた。保守と左翼の合同の「オール沖縄」を結成し、翁長氏は県知事選で圧勝した。保守と左翼の合同であるオール沖縄を県民は歓迎したということである。オール沖縄は衆議院選挙も圧勝し、飛ぶ鳥を落とす勢いであった。そのまま保守と左翼が妥協と協力関係を維持していけば沖縄はオール沖縄の天下が続いていただろう。しかし、オール沖縄は内部対立が起こり、左翼と保守の分裂が起きた。分裂の中心にいたのが共産党である。共産党の強引な保守潰し工作が逆に左翼を弱体化していった。弱体化が表面化したのが次の3点ある。

Ⅰ、宮古市長選でオール沖縄側立候補が自衛隊配備を容認した。

保守と左翼の連合であるオール沖縄は知事選、県議選、衆議院選で勝った。逆に言えば左翼単独であるなら勝てなかっただろうということである。社民党と社大党はそのことを重視していたから選挙に勝つために保守と妥協するようになった。それが宮古市長選で表れた。
2017年の宮古市長選でオール沖縄が選んだのは自衛隊配備を容認する立候補だった。左翼政党は自衛隊配備に反対であった。しかし、オール沖縄に参加した社民党、社大党は保守と妥協して自衛隊配備を容認する立候補者を選んだのである。選挙に勝つために自衛隊配備を容認したのである。しかし、共産党は違った。自衛隊配備反対を貫き、オール沖縄で決めた候補者を認めなかった。共産党は自衛隊配備反対する独自の候補を立てた。そして、共産党の言いなりになっていた翁長知事に応援させた。オール沖縄は宮古島市長選で共産党と社民、社台保守グループが分裂したのである。一人に絞っていれば宮古市長選はオール沖縄が勝っていただろう。しかし、共産党が反自衛隊に固執したために宮古市長選は敗北したのである。
4年後の宮古島市長選では自衛隊配備容認がオール沖縄の立候補者になった。この立候補者はオール沖縄が推薦した候補者ではなく、現市長と対立する保守が推薦した候補者だった。オール沖縄は立候補を決める前に保守に負けていたのだ。オール沖縄推薦の候補者が勝利した。

2、県議会選挙で与党が過半数を確保したが与党内の保守の一部が自民党と協力関係になり、県会議長、副議長の座を左翼から奪った。

  翁長前知事が死去したのでオール沖縄は翁長知事の後継者を3人に絞っていた。ところが翁長知事の遺言テープがあり、テープには玉城デニー氏を後継者とするように録音されていると新里議長が公表した。テープは公開されず、テープの存在が疑われたが、録音している現場に謝花副知事が居たと言ったことによって一件落着し、デニー氏が知事選に立候補して大勝した。しかし、公開しなかったテープ遺言によるデニー氏推薦は遺恨を残した。遺恨は県議会与党を分裂させ、左翼政党の勢力が弱体化させた。
県議会の議長選で、保守系おきなわの赤嶺昇議員が自民党と組んで与党推薦の候補を破り当選した。
赤嶺議員はオール沖縄で知事選候補を選出した時に三人の候補の一人であった。赤嶺議員は知事選立候補に選ばれることに情熱を燃やしていた。しかし、オール沖縄が正式な手続きで三人の候補者まで絞っていたのに、それを無視して実在するかしないかが明確ではない遺言テープにょてデニー氏が知事選立候補に決まった。赤嶺議員は左翼の独裁的なやり方に反発していた。「・・・左翼は信頼できない・・・」の思いが募っただろう。だから、与党の左翼政党ではなく野党の自民党と共闘したのである。副機長も自民党候補が共産党候補を破った。議長、副議長が野党自民党が制したのである。

3、浦添市長選で那覇軍港の浦添移設賛成の自民党推薦の立候補が反対の共産党員の立候補に大勝した。

 那覇軍港の浦添市移設に共産党、社民党、社大党は反対だったがデニー知事は賛成だった。与党でありながらデニー知事の方針と対立していた。県議会でデニー知事の浦添移設容認を支持する議案に与党の保守系おきなわと野党の自民党が賛成して過半数になり、県議会で那覇軍港の浦添移設に賛成した。
 那覇軍港の浦添移設にデニー知事、城間那覇市長、県議会が賛成した。デニー知事を支持す
るオール沖縄は浦添市長選の立候補者を出すことができなくなっていた。社民、社大は浦添移設に反対であるが反対の候補者を出せばデニー
知事と対立してしまうからだ。オール沖縄で候補者が出せない状況下で唯一共産党が候補者を出した。共産党は共産党員である浦添市議員の伊礼悠記氏を立候補させたのである。
 共産党が最優先するのは当選するか否かではないし、デニー知事と政策を一致させることでもない。反米軍イデオロギーに徹底することである。伊礼候補は共産党員として立候補しようとしたが、社民、社大が共産党として立候補するなら応援しないと忠告したので無所属としたたいきさつがある。
 二度の宮古市長選で見られたように社民、社大は保守と妥協して自衛隊を容認するが共産党は自衛隊、米軍に対しては反対に徹している。だから浦添市長選で社民、社大が浦添移設反対の候補者を立てることができなかったのに共産党は党員を立候補に立てたのである。知事と方針が同じであるか否か、選挙に勝つか負けるかは二の次であり、共産党イデオロギーに徹するか否かが第一である。慰霊候補は大敗した。

 Ⅰ、2、3を見れば社民、社大と共産党は根本的に違うことが分かる。社民、社大は選挙で勝つことを優先し、保守との妥協もするが共産
党は選挙で勝つことよりもイデオロギーを優先する。そうであるがゆえに選挙に弱い。そのことを実証されたのである。

翁長前知事が左翼政党と共闘したのは県知事選に勝つのが目的だった。選挙に勝つためのオール沖縄結成であった。オール沖縄結成は翁長氏が選挙に勝つための結成であり、選挙がなければ結成はしなかった。共産党も知事選に勝つために共闘したが、共産党にとって選挙に勝つのが全てではない。自民党を潰すのが共産党の目的である。それが社民党、社大党と違う。
共産党は徹底した反自民である。自民案に賛成した維新の会は第二自民党と決めつけ、国民民主が自民案に賛成した時も第二自民党と非難した。翁長知事の腹心中の腹心であった安慶田副知事は安倍政権と繋がっていたので策略で排除された。安慶田副知事の代わりに就任したのは翁長知事とは何のつながりもない元国際大学長であった。もう一人の副知事である浦崎唯昭も退任し知事公室長の謝花喜一郎氏が副知事になった。浦崎氏は自民党であり翁長知事とは旧知であったが左翼の謝花に代わったのである。
共産党は翁長知事と自民党を断絶させる策略は成功した。しかし、そのことが県議会選挙で裏目に出た。副知事を退任させられた安慶田氏は自民党を応援して議席増に大きく貢献した。
新里議長と謝花副知事によって県知事選立候補から外された赤嶺議員は野党の自民党と組んで県会議長になり、副議長も自民党候補が共産党候補を破った。議長、副議長が反共産党になったのである。
オール沖縄を内部分裂させ弱体化させたのが共産党である。日本が二大政党になれない原因の一つに共産党がある
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