普普天間基地に食い込んだのは宜野湾市のほうだ


「基地の街の子」では、普天間飛行場の爆音や事故への危機感を普天間第二小学校の生徒作文で紹介している。小学生の体験は生々しく、普天間飛行場が「悪」の存在であることを如実に表している。
「基地の街の子」に登場している人たちの100%は普天間飛行場の移設を望む。誰一人として普天間第二小学校の移転は望まない。
普天間小学校の移転費用は30億円くらいらしい。しかし、普天間飛行場の移転は一兆円と言われている。この金額を考えれば普天間小学校を移転させたほうがいいと考える人も出てくると思うのだが、今までは出ていない。

今回の「基地の街の子」を読んで、宜野湾市が米軍用地を解放させて運動場を拡大した事実があることが分かった。宜野湾市は1969に普天間飛行場の隣に普天間第二小学校つくったのだが、それだけではなく、1996年には、普天間小学校の運動場を拡張するために普天間飛行場を開放させてもっと普天間飛行場に食い込ませたのだ。これはアメリカ軍の意思ではなく、宜野湾市の意思であったのだ。

なぜ、宜野湾市は危険な普天間飛行場に小学校をもっと接近させて、小学生の危険性を増していったのか。非常に深刻なもんだいである。新聞は公平な報道をするというプライドがあるのなら、宜野湾市が普天間飛行場に第二小学校を食い込ませた理由を宜野湾市長や議員に徹底して追及するべきである。

運動場を普天間飛行場を開放させて拡張したのなら、ますます普天間飛行場の影響を受けるのは当然である。ところが、新聞は宜野湾市に追求することはしないで、当然起こることをアメリカ軍側に責任があるように書いている。

アメリカの学生がメア氏の発言を批判して公にしたことが沖縄では賞賛されている。例え政府の要人であっても、批判することは恐れなかった学生たちの行為を沖縄の新聞もかなり賞賛している。
しかし、沖縄の新聞は普天間市の非を全然追求しないし批判もしない。

アメリカの学生のつめの垢を煎じて飲ましたいものだ。
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