沖縄戦妄想に閉じこもる後ろ向きの新報社説は哀れである




「沖縄内なる民主主義5」(A4版・60ページ)発売中。
狼魔人日記でネット全国販売しています。
申し込みはメールでできます。
ブログ 狼魔人日記
メール ezaki0222@ybb.ne.jp

みなさんの意見・感想は
ヒジャイ掲示板へ

ヒジャイ掲示板


クリックお願いします
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村

沖縄戦妄想に閉じこもる後ろ向きの新報社説は哀れである

琉球新報社説・ 文科相指導方針 露骨な政治介入はやめよ

 沖縄の教育現場を萎縮させるため、議場で大臣と国会議員が問答を演出したかのようだった。このような露骨な政治介入は直ちにやめるべきだ。
 下村博文文部科学相は15日の参院予算委員会で、集団的自衛権の行使容認に関する閣議決定について学校現場で「不適切」な解説があった場合、教育委員会を通じて指導する考えを示した。県選出の島尻安伊子氏(自民)の質問に答えた。
 両者のやりとりは不可解である。
 島尻氏は、集団的自衛権で「誤解」を受けるような教師の言動があったという情報提供に基づくと述べているが、具体的内容については明らかにしていない。教師本人への確認も行っていない。事実関係があいまいなままの質疑だった。
 下村文科相は「詳細が分からない時点での判断は差し控える」と前置きをした上で「不適切」授業への指導方針を示した。「詳細が分からない」のなら、答弁そのものを控えるのが普通ではないか。
根拠を示さないまま質疑し、確証がないまま答弁する。緊張感を持って臨むべき国会論戦の名に値しない。「沖縄の教育界が偏った教育をしていると印象付けることを狙った出来レースではないか」という教育現場の疑念は当然だ。
 質疑の意図について島尻氏は「教師の発言によって子どもたちを不安に陥らせてはいけない」と説明する。認識が逆ではないか。
 集団的自衛権の行使容認に突き進んだ安倍政権の暴走に対し、多くの国民は危機感を抱いている。内閣支持率の下落、滋賀県知事選での自公候補落選はその表れだ。
高教組定期大会でも、集団的自衛権行使によって沖縄が戦場に巻き込まれる恐れがあるとして、高校生が不安を抱いていることが報告された。このような高校生の不安を島尻氏は直視すべきだ。
 同じ委員会で、安倍晋三首相は自衛隊に認める「必要最小限度」の武力行使について「密接な関係にある他国に対する武力攻撃の規模、態様に応じて判断できる」と答えた。これでは自衛隊の活動に歯止めが利かず、国民の不安は広がるばかりだ。
 島尻氏は教育現場に介入する前に県民の不安を率直に政府に伝え、閣議決定の撤回を迫るべきだ。それこそが地上戦を経験し、今もなお米軍基地を抱える本県の選出議員のあるべき姿勢のはずだ。
           琉球新報社説2014年7月17日

 本島南部に勤める30代の社会科教員は「大臣発言で現場が委縮するのは間違いない。基地問題など時事問題を扱う時は、賛否両論の意見を紹介するなど特に神経を慎重に行っている」とした。その上で「島尻氏の発言は、沖縄の教育全体が偏った教育をしていると印象付ける意図があるのできはないか」と指摘した。
            琉球新報

 島尻氏の発言からは一部の教師に「誤解」を受けるような言動があったという印象を受けるのであって、沖縄の教育全体が偏った教育を受けている印象を受けない。
 沖縄の教育全体が偏った教育を受けている印象を受けるのは、高教組定期大会で集団的自衛権の行使の閣議決定への反対決議をしたことである。県高教組が反対決議をしたということは教師は反対決議に従った教育をするということである。
 社会科教師は、賛否両論意見を紹介することを強調しているが、閣議決定したばかりの集団的自衛権の行使については新しい意見がどんどん出ている最中であり、まだ賛否両論をまとめることはできない。そもそも、閣議決定したばかりであり、全容はまだ明らかになっていないし、集団的自衛権の行使に関係する法案もまだないし、国会審議もまだ始まっていない。不明な部分が多い集団的自衛権の行使についてなぜ高校生に教える必要があるのか。教える必要はないし、資料が少ないから討論するのにもふさわしくない。

 国民に選ばれた政治家によって選ばれた内閣によって決定した集団的自衛権の行使に対して、国民に選ばれていない県高教組が反対するのは県高教組のイデオロギーである。それは教師というより個人的な思想の問題である。そのような個人的に思想を教育現場に持ち込んではいけないのだが、県高教組は教育の現場に持ち込んでいる。

社説に書いてある「高教組定期大会でも、集団的自衛権行使によって沖縄が戦場に巻き込まれる恐れがあるとして、高校生が不安を抱いていることが報告された」は教師の明らかなでっち上げであることを私はブログに書いた。

「自分が戦争に行くの?」は高教組のでっち上げ


 県高教組の第49回定期大会で、県内の高校に勤務する男性教諭が、「先生、自分たちが戦争に行くことになるの? と、最近子供たちが聞いてくるんです」と言うと、大会に参加していた周囲の教諭たちも、「うちの生徒もそうです」「子供は敏感、今の状況に危機を感じている」と口を揃えた。

「集団的自衛権の行使」を言葉通りに解釈すると、集団で国を守るということである。一つの国だけで国を守るのではなく、複数の国が手を取り合って共同で国を守ると理解するのが普通である。一国で国を守るより集団で守るほうがより強固な防衛ができる。「集団的自衛権の行使」から浮かぶのは戦争をする可能性を高くするのではなく戦争の可能性を低くして平和を維持するイメージが強い。
 ところが男性教諭は「先生、集団的自衛権って決まったらどうなるの?」「嫌だ。戦争に行きたくない」と次々に生徒に問われ、教諭は、これまで感じたことのない生徒の不安を感じたという。

 「自衛」とは自国を守るということである。他国に戦争を仕掛けることではない。どうして政治に詳しくない高校生が「自衛権の行使」から戦争をするイメージ湧いてくるのはあり得ないことである。それに戦争をするのは自衛隊である。自衛隊に入隊しない限り戦争に参加することはない。普通の高校生が「集団的自衛権の行使」が決まれば自分が戦争に行くことになると考えることは事実上不可能である。

 高校生が戦争に行くようになるには、

 集団的自衛権の行使・・・「米軍と一緒に大きな戦争をする・・多くの戦死者が出る・戦争忌避の自衛隊員が大量に辞める・・・自衛隊員の大量不足・・・国家は徴兵制を採用する。

このような筋書きでなければならない。こんなバカらしい筋書きは高教祖や左翼団体がつくるものである。
こんなめちやくちゃな筋書は普通の高校生が思いつく筋書きではない。教諭が高校生に集団的自衛権が行使されれば徴兵されると教えたから生徒は「嫌だ。戦争に行きたくない」と言ったのである。

 教諭はこれまで感じたことのない生徒の不安を感じたというが、不安にさせたのは当の教諭であるのは間違いない。そうでなければ普通の高校生が集団的自衛権の行使に関心を持つはずがない。事実、ほとんどの高校生は関心ないはずである。
              「ブログ」より

 集団的自衛権の行使は閣議決定をしたばかりである。具体的にはまだ明らかになっていないのに高校生が不安を持つのは高教組の教諭が偏った教え方をしたからである。

 新報は社説でイデオロギーの塊であることを暴露している。「根拠を示さないまま質疑し、確証がないまま答弁する。緊張感を持って臨むべき国会論戦の名に値しない」の島尻氏批判はマスコミ精神による鋭い批判である。しかし、

「高教組定期大会でも、集団的自衛権行使によって沖縄が戦場に巻き込まれる恐れがあるとして、高校生が不安を抱いていることが報告された。このような高校生の不安を島尻氏は直視すべきだ。

は高教組べったりである。
「集団的自衛権行使によって沖縄が戦場に巻き込まれる恐れがある」と本当に高校生が不安に思っているかどうかの裏を新報は取っていない。高教組のでっち上げをそのまま載せている。


集団的自衛権の行使容認に突き進んだ安倍政権の暴走に対し、多くの国民は危機感を抱いている。内閣支持率の下落、滋賀県知事選での自公候補落選はその表れだ。
                琉球新報社説

 これも新報の主観で書いている。集団的自衛権の行使容認でマスコミが連日危機感をあおればマスコミの影響で不安になる国民が出てくるのは当然であり、支持率が落ちるのは当然である。しかし、支持率が落ちたといってもまだ五〇%近くあり支持率は高いほうである。多くの国民が危機感を抱いているとも言えるし、多くの国民は危機感を抱いていないとも言える。危機感をあおった新報は前者を選んだに過ぎない。

 糸満高校のある教諭は六月に、平和学習の一環で、辺野古を訪れた。基地建設の予定地とされる大浦湾を見学し、埋め立てに反対するため座り込みをしている人たちの話を聞いたという。
 教諭は辺野古を組み入れたのは「今、辺野古で起こっていることを直接見て、生徒自身に判断してほしかった」のが理由だと述べている。
 なぜ教諭は、普天間飛行場を見せなかったのか。辺野古は普天間飛行場を移設する場所である。普天間飛行場は住宅密集地の真ん中にある。沖国大にヘリコプターが墜落したこともある。宜野湾市民の命の危険を訴え続けたのは革新であり高教組だったではないか。
 普天間飛行場は人の命の危険性が高い。それに比べて辺野古は人の命の危険は低い。二つを見せて生徒に考えさせるのが教育の当然のあり方である。普天間飛行場を見せれば辺野古移設はやむを得ないと考える生徒が多いだろう。高教組の教諭は生徒がそのような考えをしないように普天間飛行場を見せなかったのである、
普天間飛行場を見せないで辺野古だけを見せるのは高教祖のイデオロギーを植え付けるための「偏った取組」である。
 高教組の偏った教育は蔓延しているのが現実である。

島尻氏は教育現場に介入する前に県民の不安を率直に政府に伝え、閣議決定の撤回を迫るべきだ。それこそが地上戦を経験し、今もなお米軍基地を抱える本県の選出議員のあるべき姿勢のはずだ。
              新報社説
 国会議員であれば「偏った」教育の是正を文科省に求めるのは当然である。新報は高教組の「偏った」教育と同じ思想だから高教組を弁護し、島尻氏に反発しているのである。「県民の不安」は一部である。それを多くの県民が不安に感じているというのは新報のでっち上げである。でっちあげた「根拠」に基づいて「率直に政府に伝え」というのにはあきれるしかない。
 自民党の島尻氏に、閣議決定の撤回を政府に迫るべきであるというのは客観性を見失った新報社説が妄想の世界にいるからであろう。

それこそが地上戦を経験し、今もなお米軍基地を抱える本県の選出議員のあるべき姿勢のはずだ。
                  新報社説

 六九年も経過すれば世界は変わる。戦後の沖縄や世界の情勢の変化についていけず、六九年前の沖縄戦の妄想世界に閉じこもっている新報社説。米軍基地が沖縄・日本・アジアの平和のために存在していることを理解できない新報社説。
日本政府は共産党一党独裁国家中国と対峙しながら、米国、フィリピンなど東南アジアやオーストラリアなどの国々と手を組み、沖縄・日本・アジアが平和と経済発展の方向に進むよう努力している。そのことを理解できないで、沖縄戦恐怖の妄想に閉じこもって、後ろ向きに歩いている新報社説は哀れである。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 見え見えので... 沖縄で本当に... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。