大変だ!!本のバーコードがスキャンできない




「かみつく」「沖縄に内なる民主主義はあるか」を
狼魔人日記でネット販売しています。
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「かみつく」20日より販売
販売書店Booksきょうはん


とよみ店・豊見城市字根差部710番地・TEL・FAX(098)850-8001
一日橋店・南風原町字兼城530番地 ・TEL・FAX(098)889-7695
安謝点・那覇市安謝664-32番地・TEL・(098)-9402・FAX(098)988-8387
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やいま店・石垣市真栄里292-1番地 ・TEL(0980)84-3003・(0980)84-3456
宮古店・宮古島市平良字西里1290番地 ・TEL・FAX(0980)74-3828
宮古南店 ・宮古島市平良字松原631番地・TEL・FAX(0980)79-0013


県内書店

残念ながら「かみつく」を置いてくれる書店は少ないです。
しかし、全店で注文はできます。










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11月15日の「沖縄の真実」です。
米兵の婦女暴行、中学生殴打事件について話しました。
終了前の尺八演奏はオリジナルです。
題名は「闇の中の叫び」。
尺八によるフリージャズ演奏です。

大変だ!!本のバーコードがスキャンできない


一昨日11月10日の午後5時ごろ、
パソコンを見ながらうつらうつらしている時に、
突然、電話の子機がけたたましく鳴った。
一瞬に私の眠気がふっ飛んだ。
私は左手を伸ばして子機を取った。
電話は沖縄教販のTさんからだった。
「本のバーコードが通らないそうです」
「え」
バーコードが通らないということはスキャンできないということである。
私の体が凍った。
コンビニエンスで長い間働いているから、
バーコードが通らないことが致命的であることを知っている。
バーコードが通らなければ手打ちをしなければならないが、
いまどき、バーコードのない商品というものはない。
バーコードが通らない本を書店に出すわけにはいかない。
もしかすると私の本は全て返品されるかもしれないという不安が私の頭をよぎった。
頭が硬直してなにも言えない私に、
「後から、Yさんから電話があると思います」
とTさんは言って電話を切った。
全然予想していなかったことが起こった。

それにしても偶然とは不思議なものである。
出来事やトラブルが同じ日に集中することが不思議にも多い。
その日がそうであった。

11日20日は「かみつく」の発売日でもあるが、
上原正稔さんの裁判の判決の日でもあった。
これは偶然の一致である。
私の本は16日に発売することになっていたが、
沖縄教販さんから20日に変更したいと申し出があったので
発売日が20日になった。
最初の予定では10日頃に発売することにしていたが、
いろいろな偶然が重なって20日になり、
上原さんの判決の日と重なったのである。
もし、上原さんの裁判が審査だったなら行かなかったが、
判決ということで私は行くことにした。

午前4時ごろにコンビニエンスから帰る私は
明け方の5時から6時の間に寝ている。
上原さんの裁判は午後1時に始まる。
家から11時半頃に出発しなければ上原さんの裁判に間に合わない。
11時半頃に家を出るには10時半頃に起きなければならない。
寝坊して12時頃に起きてしまうと上原さんの裁判に間に合わない。
普通の人なら10時半目覚ましをセットして眠るところでが、
私は目覚ましをセットしないで寝た。
もし、寝坊したら間に合わないのだから、
その時は上原さんの裁判には行かないでおこうと考えた。
私にはこういう気ままなところがある。
無責任なこの性格はなかなか治りそうにない。
普通は12時ごろに起きるのだが、1
0時20分目が覚めた。
予定通りに目が覚めたから。
予定していたことを実行することになった。

12時半頃に裁判所についた。
正面玄関に江崎さんが立っていた。
裁判所の横にある駐車場に車を駐車し、
江崎さんのところに行くと板谷さんも居た。
裁判にはまだ30分もあるので、腹が減っている私は弁当を食べようと思い、
裁判所の外に出ていこうとすると、
板谷さんが裁判所内に食堂があると教えてくれた。
弁当を買って道端に座って食べるよりは食堂で食べたほうがいい。
私は食堂で食べることにした。
板谷さんの案内で食堂に入り、
沖縄そばとカレーライスがセットになっているのを食べた。
食べ終わったころに中村雅巳さんが入ってきて、
水を飲んだ。FM21「沖縄の真実」を企画・運営している人である。
中村さんと一緒に食堂を出て廊下を歩きながら、
私が次にFM21「沖縄の真実」に出るときは
20分くらいお母さんの中村俊子さんと電話対談をしたいと話した。
「FM放送なんだから、電話対談でもいいじゃないか。本人がスタジオに来る必要はない」
と私は言った。
FM21のスタジオは7階にあり、
階段は狭く迷路のようになっている。
先々週、「沖縄の真実に出演した時、
次は俊子さんと対談をしたいと仲村さんに言ったが、
母は90歳という高齢であり、
足も悪くスタジオに来れないと中村さんは話し、
対談するのは無理だと言っていた。
中村さんと対談したい私は電話で対談する方法を思いついた。
私が電話対談を提案すると、
「じゃあ、再来週にやるか」
と、間髪いれずに答えた。
しばらく考えてから答えると思っていた私は驚いた。
「おいおい、ちょっと待て。それは早すぎる。11月は早すぎる」
中村さんは「沖縄の真実」の予定表が乗っている携帯を見ながら、
「じゃあ。12月の6日にしよう」
中村さんは本気で話しているのかどうかわからないような気まぐれ風の話し方をする。
話の内容もころころ変わり落着きがない。
しかし、きまぐれのような話でも決める話はちゃんと決める。
つまり、廊下を歩きながら、
私と俊子さんの対談は12月6日にぱっぱっと決まった。
そういうことである。

法廷の入り口付近には傍聴予定の人が多くさん集まっていた。
当然のことであるがほとんどの人が私の知らない人たちである。
みんな社会的にそれなりの地位がある人たちなのだろう。
その中で一人だけ浮浪老人のような人がいた。
背は低く、白い髭をはやし頭がはげている。
服はよれよれである。
最近、深夜のコンビニエンスの周囲でうろうろし、
時々、トイレに入ってくる白髭浮浪老人を見るようになったが、
裁判所の男の風体は彼らと似ていた。
彼らと違うところは態度は堂々としていて
なぜか忙しそうに歩き回ってることだった。
もしかしたらこの浮浪者のような老人が上原正稔さんなのではと思っていたら、
その人は裁判が始まった時に原告席に座った。
やはり上原正稔さんたった。

裁判の判決は一分足らずで終わった。
上原正稔さんが敗訴した。
そのことについては狼魔人日記に詳しく書いてある。

絶対勝つと思っていた人たちはかなりのショックを受けたようで、
判決が終わってもすぐに立ち上がる人は少なかった。
法廷から出てきたほとんどんの人が帰らないで廊下で立ち話をしていた。
江崎さんが私を上原さんに紹介した。
「ほら、例の本を書いた人間ですよ」
例の本とは「沖縄に内なる民主主義はあるか」である。
江崎さんと上原さんは話し合っていたが、
わたしは話すことがないので黙っていた。
江崎さんと話していた上原さんが急に私を向いて、
「来い、人を紹介しよう」
と私に言い、
廊下の壁の側に立っている男のところに私を連れて行った。
その男は上原さんと同じくらいの背の高さだった。
上原さんは、この男を知っているだろうというような顔をしたが、
私は老眼なので顔の輪郭がはっきりとは見えない。
その人間が誰であるか知らなかった。
そもそも裁判所にやってくるような人間の知り合いは私にはいない。
私が返事に戸惑っていると、
「目取真だよ、目取真」
私は驚いた。
目取真氏にとってここは敵の陣地のようなものである。
敵の陣地に入ってきた目取真氏に感心した。
幸いなことに目取真氏は私のことをを知っていて、
ときどき私のブログを見ていると言った。
同じ琉大の国文科であることを私は言い、
先輩後輩だななどと私は話したが、
目取真氏は芥川省作家である。
私は琉球新報や沖縄タイムスの文学賞さえ取れない人間である。
小説家としては私にとって目取真氏は雲の上の存在である。
敬意を持って話さなければならないのに、
私は目取真氏に対して先輩面をして横柄な態度をとってしまった。
「小説は書かないのか」
「今はちょっと・・・」
「上原さんの記者会見にも参加するのか」
「いえ、高江がありますから」
そんな話をした。
「いつか、ゆっくり話し合いたいね」
というと目取真氏は黙っていた。
それはそうだ。
目取真氏にとって私と話しあう理由がない。
なんて横柄なやつだろうと目取真氏思っただろう。
目取真氏が黙ることによって、
私と目取真さんとの話は終わった。

目取真氏は上原さんの訴訟に関心があって裁判所に来たと私は思ったが、
そうではなかった。
同じ日に高江訴訟の判決もあり、
目取真さんは高江訴訟を見るためにやってきたのだった。
私は勘違いして、
これから東村の高江に行く予定があるので記者会見には参加できないのだと思ってしまっていた。
上原さんは目取真氏を連れて私から離れていった。
暫くすると上原さんが、
「負けるとは思わなかったので負けた時の言葉を準備していなかった」
などと敗戦の弁をはなした。
上原さんの敗戦の弁が終わると、
「記者会見は3時からやります」
とスーツをつけた初老の男性が言った。
3時の記者会見に参加すると
睡眠不足の私は帰りに居眠り運転をやりかねない。
しかし、すぐ帰るのもおもしろくない。
私は江崎さんたちとコーヒーを飲みながら裁判の反省会をやってから帰ることにした。

「まさか負けるとはな」
江崎さんはくやしがっていた。
「裁判官が途中で変わったのがまずかった」
板谷さんが言った。
江崎さんは、新報社の主張をことごとくやっつけたのに
負けるとは考えられないなどと話した。
板谷さんは江崎さんに同調してくやしがった。
民事裁判で争われるのはどちらの主張が正しいかを争うのではなく
賠償金を払うか払わないかを争う。
裁判長は、上原さんに賠償金を払わなければならないほどの精神的ダメージを琉球新報社が与えなかったから、
賠償金を払わなくてもいいと判断したのではないかと私がいうと、
「それが民事裁判のむつかしいところなんだな」
と言って、
民事裁判で争うために上原さんの主張を変更したことを江崎さんは話した。
私は反省会の途中で喫茶店を出て、家に向かった。

家に帰ると仮眠を取ろうとしたが、
なかなか寝つくことができなかった。
私は寝るのを諦めて、
パソコンでニュースを見、
それから他のブログを見たりしていた。
そのうちに頭がぼやーっとしてきた。
側にある子機がけたたましくなったのはその時である。

      つづく

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