玉城デニー知事敗北宣言2



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玉城デニー知事敗北宣言2
「打つべき手必ずある」玉城知事、

市民ら約500人がゲート前に駆け付け、玉城知事を迎えた。玉城知事は土砂投入が始まった14日を「耐えがたい日を迎えねばならなかった。しかし我々が打つべき手は必ずあると確認した」と振り返り「我々の闘いは止まらない」と力を込めた。

ゲート前を訪れた後、辺野古漁港の岸壁から15日も続けられる土砂投入の作業を確認し、漁港内にある拝所で手を合わせた。記者団の取材に「平和な未来をつくろうとしている県民に力を与えてください」と祈ったことを明かした。

土砂投入の様子を見て「胸がかきむしられる思いだ。必ず原状回復させ、民主主義国家としてあるべき姿を求めていく」と語った。
【琉球新報電子版】より一部抜粋
昨日は共同通信の報道を見て書いたが、共同通信に書いていないことを琉球新聞は書いてあるので、琉球新聞に書いてあることに批判する。

玉城デニー知事が「打つべき手は必ずある」と言ったのは、現在は打つべき手はないということの裏返しである。
デニー知事は埋め立て阻止するための打てる手はすべて打ってきた。しかし、その効果はなく埋め立て工事は始まった。「耐えがたい日を迎えねばならなかった」状況に追い込まれたデニー知事である。再開した埋め立て工事はもう止まることはない。
デニー知事はキャンプ・シュワブの反対派に向かって
「我々が打つべき手は必ずあると確認した」
と言ったが、であれば打つべき手を公表したはずである。しかし、公表しなかった。打つべき手は見つかっていないからである。「確認した」は反対派を勇気づけるための方便でしかない。

反対派に「打つべき手は必ずある」と言った後にデニー知事が行ったのは漁港内にある拝所であった。拝所に手を合わせて、
「平和な未来をつくろうとしている県民に力を与えてください」と祈ったのである。デニー知事は神頼みをしたのである。
打つべき手がなくなったから神様に救いを求めたのである。

デニー知事は、
「平和な未来をつくろうとしている県民に力を与えてください」と祈ったというが、沖縄は沖縄戦が終わった1945年から73年間戦争はなく平和であった。アジアでは朝鮮戦争、ベトナム戦争、カンボジア内戦、フィリピン内戦など多くの戦争があったが沖縄が戦争に巻き込まれたことはなかった。米軍による被害はあったが、沖縄戦のような戦争被害はなかった。沖縄が戦争に巻き込まれなかったのは米軍が駐留してきたからである。
デニー知事は県民が平和を守ることができると信じているがそれは根本的に間違っている。もし、沖縄が独立国で米軍も自衛隊も駐留していなかったら、沖縄は人民解放軍やISISに侵略されていただろう。
 
沖縄の平和を神に祈るなんて議会制民主主義国家の政治家がやるものではない。現実を冷静に分析して沖縄が平和になるためにはどのような政治をすればいいかを追及するべきである。県知事が神頼みするということは平和のための政治を放棄したことを意味する。平和への祈りは神を信じている県民がやればいい。

デニー知事は土砂投入の様子を見て「胸がかきむしられる思いだ」という。デニー知事の脳裏には宜野湾市民の苦しみがひとかけらもないのだろう。デニー知事にとって宜野湾市民は沖縄県民ではないのだ。辺野古区民は普天間飛行場の辺野古移設を容認している。辺野古区民もデニー知事にとって沖縄県民ではないかも知れない。

デニー知事は、
「必ず原状回復させ、民主主義国家としてあるべき姿を求めていく」と主張している。今の安倍政権は民主主義国家としてあるべき姿ではないとデニー知事は思っているようである。その根拠にしているのが辺野古移設反対を選挙公約にして立候補したデニー知事の当選にある。辺野古移設反対の立候補者が県知事選に当選したのだから民意は辺野古移設反対であるのに辺野古移設工事を進めるのは民主主義ではないというのがデニー知事の主張である。

2006年 島袋名護市長と政府は辺野古移設で合意
2008年 仲井真県知事と政府は辺野古沿岸埋め立てで合意
2010年 民主党政権の菅首相が辺野古移設を決定
2014年 仲井真知事が公有水面埋立法に則って辺野古の沿岸埋め立て承認

民主的な手続きによって合意し進めてきたことが辺野古移設反対の知事が登場したことでその一切が取り消されることが民主主義とデニー知事は主張するのである。
 もし、民主的な手続きによって進めてきたことが、新たな県知事によって一方的に取り消すことができるのなら、常に新しい県知事がすべてを決定する権力を所有することになる。それは民主主義ではなく県知事独裁である。デニー知事の民主主義は民主主義という名の独裁主義である。
 もし、県知事が独裁主義であるならば、辺野古移設は知事が変わるたびに計画を進めたり中止したりしなければならない。政府は辺野古移設工事を進めたり、中止して元に戻したりしなければならないのだ。そうなると長期にわたる政府の工事はめちゃくちゃになる。そうならないために民主的なルールを法律にし、法律に則って進めていくのである。それが法治主義である。
 議会制民主主義国家日本の法治主義を認識していたなら、県知事選で辺野古移設反対を選挙公約にしてはいけないことを知っていたはずである。認識していなかったから選挙公約にすることができない辺野古移設反対を公約にしたのである。

 違法な辺野古埋め立て反対は敗北するのが宿命である。
デニー知事は。
「我々の闘いは止まらない」
と宣言したが、敗北し続けても反対運動はいつまでもやることができる。打つ手はもうないのに「打つべき手必ずある」と自分に暗示し、神頼みしながらデニー知事や反対派の闘いは続くだろう。

デニー知事の、
「打つべき手は必ずある」
「我々の闘いは止まらない」
は敗北を認めない敗北宣言である。
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