沖縄の記者は革新政治家のようだ


マスコミは客観的な視点が大事だ。沖縄のマスコミだからといって沖縄の政治傾向にべったりではいけない。
普天間問題が暗礁に乗り上げたのは名護市の市長が自民党から革新側の市長に代わったからである。沖縄タイムスの平安名純代記者は、暗礁に乗り上げた普天間問題を動かすには、「まず抑止論に終止符を打たなければならない」と述べている。
この「抑止力」という言葉を革新政党は戦後一貫して口にすることはなかった。「抑止力」というのは明らかに中国や北朝鮮に対する「抑止力」ということになる。「抑止力」を声にすること自体が中国や北朝鮮を敵視することになる。沖縄の共産党(復帰前は人民党)、旧社会党、社大党は社会主義よりの政党であり資本主義アメリカを敵視していた。反米主義だからアメリカ軍事基地撤去を主張する革新政党が中国や北朝鮮の脅威を口にしたことはなかった。アメリカ軍基地撤去運動には「抑止力」は禁句だった。

「抑止力」という言葉が出てきたのはつい最近で、それも「海兵隊には抑止力がない」というふうに「抑止力は使われている。過去にアメリカ軍には「抑止力」あると言ったことのない沖縄の政治家、知識人、マスコミが「抑止力」を問題にするのなら、アジアに駐留しているアメリカ軍は「抑止力」あるかどうかを明確にするべきである。もし、アメリカ軍全体に抑止力がないのなら、海兵隊に抑止力がないというのではなくアメリカ軍に抑止力がないと発言するべきだ。もしアメリカ軍に抑止力があると考えるなら、どのアメリカ軍には抑止力があが、しかし、沖縄駐留の海兵隊には「抑止力」がないと説明するべきだ。

平安名記者が「抑止論に終止符をうつべきだ」と述べているのは、暗に海兵隊には「抑止力」ないと言いたい気持ちが現れている。

アメリカの当事者たちの大半は、抑止力とは「中国に対する抑止力」と述べているが、それは戦後一貫したアメリカ政府の考えである。ソ連、中国は社会主義国家であり、社会主義対資本主義の対立は戦後の冷たい戦争といわれ、多くの戦争悲劇を生み出してきた。アジアでは朝鮮戦争、ベトナム戦争、カンボジア内戦があり、三つの内戦で1000万人近くの人間が犠牲になっている。

平安名記者は「国家間のパワーバランスを唱える層にとって、在沖米軍を縮小するということは中国に有利に働くという論理となり」と述べてているが、アメリカは中国・北朝鮮とのパワーバランスを取りながらも在沖米軍を縮小してきた。
残波岬、読谷飛行場、美浜、志真志、トリーステーションの一部、嘉手納弾薬庫の一部が開放された。読谷に住んでいる私でもこれだけの開放された土地がすぐに頭に浮かぶ。那覇の新都心も軍用地だった。つまりね復帰後に多くの軍用地が解放された。そして、在沖米軍人も復帰当時に比べて半分に減少している。
中国が軍事力の拡大を進めているのに沖縄のアメリカ軍基地は縮小しているのだ。そして、海兵隊9000人もグアムに移動する計画を立てている。

アメリカが沖縄のアメリカ軍を縮小している理由は、中国が資本主義経済を取り入れ、外国の資本が中国経済の発展を支え、アメリカとの貿易なしには中国経済は成り立たないようになり、日本やアメリカと戦争すれば中国経済が破綻するから、中国の軍事的脅威が弱くなったからだ。


平安名記者は、「よって在沖海兵隊は必要だという答えになるわけだ」と述べて、在沖海兵隊は現状維持しようとしている印象を与えているが、実際は沖縄のアメリカ軍は縮小し続けているし、今後も在沖海兵隊が9000人縮小する計画を立ている。平安名記者は自分の理屈を正当化するために、故意に在沖海兵隊9000人削減を書いていない。

普天基地の問題は海兵隊の問題ではなくヘリコプター基地の問題だ。普天間基地を辺野古に移設するかわりに、海兵隊を9000人削減し、嘉手納飛行場以南のアメリカ軍基地は全て解放するとしている。アメリカ軍にとってヘリコプター基地は重要であり、沖縄になくてならない存在であると判断しているということだ。
ヘリコプターは万能な飛行機であり、局地戦闘から救出活動まで多くの性能をもっている。アメリカ軍があるところにヘリコプター基地は絶対に必要である。

日本政府は沖縄の声に耳を傾け、負担軽減を考えたから普天間基地の危険性を取り除くために辺野古移設案を考え、在沖海兵隊の9000人削減、嘉手納飛行場以南の米軍基地の開放を実現しようとしているのだ。日米政府の気持ちを理解していないのが平安名記者である。

普天間基地問題の解決法については日米政府は合意しているし、野党の時に『最低でも県外」と無責任発言をした前鳩山首相も辺野古案を認めたのだ。「問題解決の鍵は、日本が自立した外交政策が追及できるかいなかにかかっている」などとかっこういいことを言わないで、平安名記者は普天間基地が県外移設できる場所を真剣になって探したほうがいい。そうすれば「県外移設」できる場所がないことを理解するはずだ。

普天間基地は、辺野古に移すか、県外か国外に移すかでなければ普天間に継続するしかない。これは感情や希望だけでかなうものではない。今までの新聞情報で明らかになったのは「県外移設」も「国外移設」も不可能であるということだ。新聞の情報を無視する平安名記者は革新政治屋に近いといえる。

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