キャンプ・シュワブ前県民集会の玉城デニー衆議員を批判する




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キャンプ・シュワブ前県民集会の玉城デニー衆議員を批判する

次に演壇に立ったのは玉城デニー衆議員である。


玉城衆議員は、高江も辺野古も政府が作るのだから止めることはできない。あきらめたほうがいいと言った農家の人に、反対であったら、今言わないといけない。なにも言わないと政府がやっていることを認めていると思われてしまう。そうじゃないだろう。だったら反対の意志をはっきりと言うべきだ。だからみんな集まっているのだと言い、「その気持ちはあなたがウチナーンチュだつたら分かるよね」といったらその農家の人は分かると言ったと言い、玉城衆議員は「私たちの気持ちは正義です」と言い、「正義は揺るがないから行動を続けることができる」と述べた後に翁長知事を支え、うるま市長選挙の勝利を訴えた。

玉城議員は国会議員である。彼が国会議員になれたのは選挙で選ばれたからである。選挙で選ばれなかったら国会議員になれなかった。彼が国会議員になれたのは選挙で多数の票を獲得したからである。多数の票を得た政治家が国会議員にになり、国会議員の多数決で法律が決まる。議会制民主主義における正義は多数決である。人はそれぞれに自分の考えが正しいと思うし、自分の考えこそが正義と思う。百人居れば百の正義があり、100万人居れば100万の正義がある。政治は100万の正義をそのままにしていては実行することはできない。多数の正義をひとつの正義にまとめ上げて実行することができる。ひとつの正義にまとめるのが多数決である。

議会制民主主義の原理は多数決である。玉城デニー氏が国会議員になったのは選挙という多数決の原理によるものである。
県民集会で言った玉城議員の正義は辺野古基地建設反対を主張する玉城議員や集会に集まった人たちの正義であって民主主義の正義ではない。少数の正義である。辺野古基地建設反対が正義だと信じている人たちは反対運動を続けるだろう。しかし、辺野古基地建設反対が少数の正義であり続け多数の正義にならない限り、彼らの正義は辺野古基地建設賛成の多数の正義に敗北していく運命である。
玉城デニー氏は多数決の原理によって国会議員になった。しかし、国会では彼が正義とする辺野古建設反対派は少数である。国会では辺野古建設反対は正義ではない。国会で正義にするには他の国会議員を説得して辺野古基地建設反対を多数にしなければならない。しかし、玉城デニー衆議員にはその力がない。彼は国会では少数派である。彼の説得に多くの国会議員は首を横に振るだろう。
キャンプ・シュワブゲート前の県民集会では辺野古基地建設反対が正義であっても国会では正義ではない。

2006年4月7日に滑走路をV型にすることで島袋名護市長と政府は合意した。宜野座村も政府と合意書を締結した。辺野古飛行場を建設するかしないかの権利は名護市長にあるのであって県知事にはない。だから政府は島袋市長と交渉して、滑走路をV字型にすることで許可を取り付けたのである。県知事にある権利は海の埋め立てである。埋めたても仲井眞知事と政府は合意した。
最終的に辺野古飛行場建設が決まったのは民主党政権時代の2010年6月4日である。建設が決まったから防衛局は埋め立て申請をしたのである。埋め立て申請は審査の結果瑕疵がないというので2013年12月27日に仲井眞知事が承認した。
玉城デニー氏が国会議員であるならこの歴史的事実を認識するべきである。この事実を無視するならば国会議員の資格はない。

玉城議員は辺野古建設反対こそが正義だという。それは一部の正義でしかない。普天間飛行場は県外移設ができない。
県外移設ができない理由ははっきりしている。本土で普天間飛行場を受け入れる自治体はないからだ。本土では12キロ離れている無人島の馬毛島に米軍戦闘機の離着陸訓練のための飛行場建設さえ反対している。普天間飛行場を受け入れる自治体がないことははっきりしている。そんなことを知らない民主党政権時代の鳩山首相が徳之島に移設しようとしたら大反対に会い、交渉さえ拒否された。沖縄でも民間地に普天間飛行場を移設することはできない。キャンプ・シュワブが米軍基地だからなんとか移設することができるのである。
本土でも沖縄でも民間地に普天間飛行場を移設することはできない。だから県外移設はできない。私は「沖縄に内なる民主主義はあるか」で、県外移設を主張する政治家は絶対に自分が県外移設場所を探すとは言わない。なぜなら、彼らは県外移設ができないことを知っているからと書いたが、出版後に誰一人として自分で探すと言った政治家は鳩山元首相以外にはいない。県外移設の先頭に立っているのが翁長知事であるが、彼は一度も自分で探すと言ったことはない。彼も県外移設はできないと知っているからだ。
県民に本当に問われているのは普天間飛行場を固定するかそれとも辺野古に移設するかの二者択一の問題である。
玉城議員が辺野古移設反対こそが正義たというのは玉城議員が歴史的事実を無視し、県外移設が可能か否かを真剣に考えない結果から生まれた正義である。真剣に考えれば普天間か辺野古の二者択一に行きつく。
今まで沖縄二紙が二者択一の世論調査をしたことがない。沖縄二紙や政治家、識者が県外説場所の検討をしたこともない。そんな状況であるから辺野古移設反対の主張が成り立っているのである。逆に言えば辺野古移設反対を正当化するために二者択一の世論調査をしないし、県外移設場所の検討もしないのだ。県民世論を操作することによって成り立っているのが辺野古基地建設反対である。

玉城デニー議員は辺野古基地建設反対を続けていくのが正義だといっている。しかし、正義の向こうに辺野古基地建設を阻止できるとは言っていない。ということは玉城議員は辺野古基地建設を阻止することはできないと言っていることに等しい。阻止することはできないが反対を主張し続けていこうと玉城議員は言っているのである。政治は実現するか否かである。実現しないことを前提に行動するものではない。ところが玉城議員は実現できないことを前提に反対運動を続けていこうと呼びかけ、それが正義だと言っているのである。
玉城議員は政治家であるとは言えない。宗教家のようである。これが沖縄の政治家である。
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