カヌー隊は戦争をしている・目取真俊氏批判

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カヌー隊は戦争をしている・目取真俊氏批判

目取真俊氏の1月18日のブログ「海鳴りの島から」に掲載している「市民の命を危険にさらして新基地建設強行を支える海上保安庁」を読んだ。

 目取真氏は海上保安庁が市民の命を危険にさらしていると述べているが、それは妙なことである。海上保安庁は海の安全を守るのが仕事である。市民が遊泳中に沖にながされたり、ボートが転覆したりして危険な状態になった時に助けるのが海上保安庁である。
海上保安庁が市民の命を危険さらすことはないはずである。しかし、目取真氏は海上保安庁が市民の命を危険にさらしていると書いている。目取真氏の文章は、海上保安庁が新基地建設強行を支えるためになにもしない辺野古の海の市民に襲い掛かっているのをイメージさせる題名である。
理解しにくい題名である。その原因は私にあるのではなく目取真氏にある。目取真氏が私たちのような正常な意識ではない状態にあるからである。

目取真氏のブログに書いてあるように目取真氏が参加しているカヌー隊は辺野古で作業がない日も連日練習している。カヌーを漕ぐのが下手だから練習しているのではない。上手な人たちが練習しているのだ。練習と言うより訓練と言ったほうが正しいだろう。
どのようにすれば海上保安庁の守りを突破できるか、フロートを超えることができるかの戦術を練り、戦術を実行するために訓練をしているのだ。
カヌー隊は過去に海上保安庁の守りを突破してフロート超えを成功している。成功は綿密な作戦と訓練のたまものであった。
守りを破られた海上保安庁はカヌー隊を阻止する作戦を練り直して新しい守備体制をつくった。海上保安庁とカヌー隊の戦いが辺野古の海で展開されている。

17日は3隻の船に曳航されてカヌーチームが松田ぬ浜を出発するとすぐに、待ちかまえていたように海上保安庁のゴムボートが集まって併走し始めた。浮き桟橋付近まで来たときには海保の船やゴムボートなど30隻ほどがまわりを囲んでいた。新基地建設を強行しようとする安倍政権の意思を示した形だろうが、海保の職員たちは目の前の海を埋め立てて破壊することに、何の痛みも感じないのだろうか。
「海鳴りの島から」
 海保のカヌー隊への対応が厳しくなっている。カヌー隊のカヌーを漕ぐ技術は高く、少しでも油断すれば海保の守りを突破することを知ったからだ。

 目取真氏の言う通り、安倍政権の強い意志が海保に表れている。そのことについてはは目取真氏の指摘は当たっているが、「目の前の海を埋め立てて破壊する」というのは嘘である。目の前の辺野古崎沿岸部は埋め立てる。埋め立て部分は自然を破壊するが、埋め立て部分は大浦湾のわずかな部分である。その程度で自然を破壊するなどというのは変である。名護湾の埋め立てをしたが、その広さは辺野古の埋め立ての何十倍もあった。
また、辺野古と同時進行している那覇飛行場第二滑走路の埋め立てのほうが自然破壊は大きい。

那覇空港第2滑走路増設 “市最後の海岸”生態系影響も懸念

 那覇空港の第2滑走路増設で沖縄総合事務局が提出した埋め立て申請を県と那覇港管理組合は9日、承認し、今月にも工事が始まる。埋め立てられる予定の那覇市に残った最後の海岸「大嶺海岸」は200種以上の希少な生物が息づく海だ。
発着便の増加で観光の発展に期待が高まる一方、埋め立てにより潮流が変化し、生態系にも影響が想定される。大嶺海岸の自然を見続けてきた沖縄自然環境ファンクラブの賀数弘さんは「十分な通水性を確保しなければ底質の環境は変わってしまう。環境が変われば、大嶺海岸は生物が多様な場所ではなくなる」と訴える。

 市環境保全課は市民を対象に毎年3、4月の大潮に大嶺海岸の観察会を開く。参加者する親子連れからはサンゴやヒトデなど豊かな自然に感嘆の声が上がる。大嶺海岸はアカウミガメの産卵も確認されている。
 日本自然保護協会の亀山章理事長は2013年11月、仲井真弘多県知事に提出した公有水面埋め立てに関する意見の中で、大嶺海岸に希少種が豊富に生息する同海岸を「数少ない良好なサンゴ礁生態系」と評価した。
 沖縄自然環境ファンクラブの賀数さんは「西海岸地区の海草藻場、生物が多様な環境をぜひ残したい。持続可能な開発の見本となるような事業であってほしい」と訴えた。
   「琉球新報2014年1月21日」
 辺野古崎沿岸は軍用地であるから県民は入れない。県民は誰も行かない。しかし、那覇空港第二滑走路の大嶺海岸は多くの那覇市民が観察会を開いてきた。希少種も豊富、サンゴ礁も良好である。辺野古崎沿岸部の埋め立てより大嶺海岸の埋め立てのほうが自然破壊は大きい。
 目取真氏が本当に自然破壊反対の気持ちが強いのなら第二滑走路埋め立て反対を優先させるはずである。
 海保を「何の痛みも感じないのだろうか」と批判している目取真氏であるが、第二滑走路埋め立てにはなんの痛みも感じていないのだから、本当は辺野古沿岸部の埋め立てによる自然破壊にもなんの痛みも感じていないと見るべきである。
 目取真氏は同じ飛行場の埋め立てでも那覇空港の埋め立てには関心がなく辺野古の埋め立てに強い関心を持っている。それは辺野古埋め立ては米軍基地をつくるためであり、那覇空港の埋め立ては米軍基地ではないからである。埋め立てが空港用地であろうと商業用地であろうと目取真氏にとっては興味がない。目取真氏は米軍基地用地でなければ関心がないのである。


 県知事選挙や衆議院選挙の結果にも目を閉ざし、上からの命令だから…と思考停止することで自我を守る。そうやって米軍基地を押しつけて自らも沖縄差別者となる。全国から集まった海上保安官たちは、いま沖縄で辺野古の海を埋め立てるために頑張っている、と肉親に語っているのだろうか。人名や災害の救助という本来の任務を行えば、いくらでも市民に感謝されるだろうに、辺野古の海で暴力的弾圧をくり返し、海の破壊者の汚名をかぶるわけだ。
       「海鳴りの島から」
 目取真氏は心底から米軍基地を悪だと信じている。だから、海上保安官も米軍基地には心の底では反対していると錯覚している。上からの命令だから海上保安官たちは良心の呵責に悩み、思考停止をすることでなんとか自分の自我を守っていると目取真氏は思い込んでいる。
 目取真氏は海保官を理解していない。彼らは目取真氏と違って政治思想家ではない。
 海上保安官は①海上における人命および財産の保護ならびに②法律違反の予防、捜査および鎮圧を任務とする公務員である。海上保安官にとって悪とは違法行為する者である。選挙も政治も関係ない彼らには関係ない。辺野古埋め立てで違法行為を取り締まるのが彼らの任務である。

 米軍基地を押し付けるとか沖縄差別であるとかは海上保安官にとっては目取真氏の主観であり、主観に立ち入ることを彼らはしない。彼らは人々の思想には立ち入らない。彼らが取り締まる対象は思想ではなく違法行為である。彼らはカヌー隊の違法行為を取り締まっているだけである。

 目取真氏は「辺野古の海で暴力的弾圧をくり返し、海の破壊者の汚名をかぶるわけだ」と述べているが、破壊者とは法律を破り、暴力行為で建設などを中止させる人間のことである。
ボーリング調査を暴力で中止させることこそが破壊行為である。破壊者からボーリング調査を守るのが海上保安官であり彼らは破壊者ではない。
 目取真氏たちカヌー隊の目的は暴力でボーリング調査を中止させることである。



 海上建設では反対派の暴力行為でボーリング調査が中止になった。 中止をさせたのは反対派の暴力行為である。暴力行為こそが破壊行為であるのだが、ボーリング調査を阻止することを信条としている目取真氏は阻止行為の全てを正しい行為だと錯覚しているために自分が破壊者である自覚がない。

 抗議と暴力行為は違う。この違いを自覚して大衆運動をしなければならない。
日本は議会制民主主義社会である。国民の選挙によって国会、県議会、市町村議会議員が選ばれ、議員の賛成多数で法律がつくられる。民主主義は法律を遵守することによって成り立っている。法律を破る違法行為を正当化する思想は民主主義を破壊するものである。
辺野古移設は安倍政権が決定したものではない。日本は司法・立法・行政の三権分立国家である。安倍政権は行政をつかさどるのであり、法律をつくることはできない。法律をつくるのは国民に直性選ばれた国会議員である。国会議員の賛成多数によって辺野古移設は決まり、移設工事費はすべて国会で決定する。国会の決定は国民の民意である。
辺野古移設を阻止するには移設反対の議員が国会の過半数を占めることである。議会制民主主義国家日本ではそれ以外の方法はない。しかし、目取真氏は暴力行為で辺野古埋め立てを阻止し、辺野古移設を中止させようとしている。それこそが民主主義の破壊行為である。

目取真氏は海上保安官を海の破壊者と言っているが、海上保安官は国会で決まった法律を守っているのであり、法律を破壊しているカヌー隊から法律を守っているのだ。もし、海上保安官が法律を破るような暴力行為をカヌー隊にやれば法的に処分される。法治主義が議会制民主主義の根本だ。



目取真氏は「県知事選挙や衆議院選挙の結果にも目を閉ざし」と保安官を非難している。目取真氏は沖縄の知事選と衆議院選挙にこだわっているが、全国規模では辺野古移設推進の自民党が圧勝し、民主党や維新の党は辺野古移設に賛成である。今度の衆議院選挙では475人の中、辺野古移設反対している共産党、社民党、生活の党に仲里議員を加えてたったの26人である。10倍以上の議員が辺野古移設に賛成である。国民の民意に目を背けているのが目取真氏である。

 目取真氏は辺野古移設反対の県知事と衆院議員が選挙で勝利し、稲嶺名護市長も辺野古移設反対しているから、辺野古移設反対が民意であると主張している。民意を主張しているから目取真氏が民意を優先にしているかと言えばそうではない。
目取真氏は高江ヘリパット建設にも反対している。
高江で緊急集会 抗議の座り込み継続へ気勢

 東村高江周辺でのアメリカ軍のヘリパッド建設に対し、抗議の座り込みを行っているテントが排除されるとの一部報道を受けて、テント前で19日、緊急集会が開かれました。
 座り込みの抗議を続ける高江のテント前で行われた緊急集会には、地元の市民グループや那覇からバスで駆けつけた人たちなどおよそ400人が集まりました。
 「こんなに沢山の人が集まれば工事を止めることができる。ぜひともこの高江にも関心を持っていただきたい」(ヘリパッドいらない住民の会・伊佐真次さん)
 市民グループは、アメリカ軍との共同使用となっている県道の路側帯について「テントを排除するため沖縄防衛局が米軍専用区域に変更しようとしている」などと危機感を募らせていて、集まった人たちに団結を呼びかけました。
 「歩道の部分、共同使用になっているのを米軍に返すのはもってのほかで、逆に基地を返して欲しい」(参加者)
 参加者は、集会の最後にガンバローを三唱し、建設反対の決意を新たにしていました。
  「WEBニュース」
2015年1月21日 05:30
 高江の集会では「民意」発言がない。なぜか、高江ヘリパット反対は民意ではないからだ。ヘリパットがつくられる東村は村長も議会もヘリパット建設に賛成である。もし、目取真氏が辺野古移設反対が民意であり辺野古移設は中止するべきと考えるなら、東村ではヘリパット建設賛成が民意であるから、目取真氏はヘリパットを建設を認めなければならない。
 しかし、目取真氏は高江ヘリパット建設に反対している。東村の民意を無視している目取真氏が民意を理由に辺野古移設反対を主張するのは矛盾している。
目取真氏は「県知事選挙や衆議院選挙の結果にも目を閉ざし」ていることを理由にして海上保安官を非難しているが目取真氏にその資格はない。
目取真氏は知事選や衆院選で辺野古移設反対派が勝利したことを辺野古反対の盾理由にしているが、もし、辺野古移設反対派が敗北していたら辺野古移設反対を中止していたか、東村の高江のヘリパットに対する目取真氏の態度を参考にすれば、例え辺野古移設反対派が敗北していたとしても、目取真氏は辺野古移設に反対をしカヌー隊と一緒に行動していただろう。ブログの文章は多少違っていても内容は同じだっただろう。

 







オイルフェンスのそばで、海上保安官に排除されるカヌー隊のメンバー=20日午前11時すぎ、名護市辺野古沖


 米軍普天間飛行場の返還に伴う名護市辺野古への新基地建設作業で、沖縄防衛局は20日、前日に大浦湾側へ設置したオイルフェンスを延長した。作業前には、海上保安庁の職員が建設に反対する市民らの船を一斉に制止。船上でもみ合う場面もあった。
     「WEBニュース」
 カヌー隊の目的はフロートを超えて進入禁止区域に入ることである。海上保安官はそれを止めるのが役目である。しかし、ひたすら禁止区域に入ろうとするカヌー隊を止めるのは大変である。しかも、彼らに怪我をさせないように止めるのだからなおさら大変である。
 怪我をさせないように止めるのが海上保安官の弱点である。抵抗すればどうしても力を入れなければならない。そのはずみで怪我をさせる可能性が高い。何度も何度も繰り返す内に若い海上保安官はイライラしてつい手荒い扱いをして怪我をさせてしまうことがあるだろう。カヌー隊はそれを待っているのだ。怪我をすればブログで取り上げ、沖縄二紙も大きく掲載する。県民の海上保安官への嫌悪が増す。そして、辺野古移設反対する県民が増える。そういう戦略の先頭に立っているのが目取真氏である。



 現場に着くと曳航ロープを解いて、フロートを引き出している作業船に抗議した。言うまでもなくカヌーを漕いでいるときは写真は撮れない。パドルを置いて波に揺られているわずかな時間にしかカメラを持てないので、カヌーの行動はなかなか写真では伝えられないが、作業船に近づこうとするカヌーやゴムボートに対し、例によって海保の暴力的弾圧がくり返された。
 作業船の近くまで迫ったカヌーを沖へ運び、さらに移動しようとした市民船に乗り込んで航行を妨害する。金属の棒で引っかけることができなかったカヌーには、保安官が海に飛び込んでカヌーを転覆させ、ライフジャケットの首部分を後ろからつかんで海に引きずり込み、わざと海水を飲ませていた。そうやって苦しめれば怯えてカヌーに乗らなくなると考えているのだろう。
 
 ゴムボートに引き上げたあとも、マスメディアのカメラが向けられていないのをいいことに、カヌーメンバーのカメラを力尽くで奪い取ろうとし、止めようとしたメンバーに暴力をふるっていた。前日16日には、ゴムボートに引き上げられたカヌーメンバーが、海保に強引に引き上げられ、もみ合うなかで肋骨を骨折し、全治3週間の怪我を負っている。
    「海鳴りの島から」
 目取真氏はカヌー隊が抗議していることしか書いていない。カヌー隊の目的は目取真氏のいうような抗議が目的ではない。フロートを乗り越えて進入禁止区域に入ることである。それを止めようとしているのが海上保安官である。
辺野古の海で展開されているのは進入禁止区域への侵入をしようとしているカヌー隊とそれを止めようとしている海上保安官との戦いである。
海上保安官はカヌー隊を弾圧しているのではない。カヌー隊がフロートを超えて侵入するのを防いでいるだけである。もし、カヌー隊が進入禁止区域に侵入しないで、フロートの外から抗議をするだけであるなら海上保安官はカヌー隊を見守るだけでなにもしないだろう。

「作業船に近づこうとするカヌーやゴムボートに対し、例によって海保の暴力的弾圧がくり返された」
暴力的弾圧ではない。作業船に近づくことを防いだだけである。作業船を守らなければならない海保にとって当然の行為である。作業船に近づくのを防いだだけで暴力的弾圧だと目取真氏が錯覚するのは作業船に近づいて作業を止めるのが正義の行為であると信じているからである。
目取真氏にとってカヌー隊の正義ある行動を実力で防ぐ海保の行為は暴力に見えるのである。


カヌーメンバーの多くがデジカメやスマホを持っているのは、記録を取るだけでなく自らの身を守るためでもある。自分たちは常時カヌーメンバーを撮影しているくせに、カヌーメンバーのカメラを奪い取ろうとするのは、撮られてはまずい実態があるからだ。「確保」という名の不当拘束のやり方のひどさを知られたくないのだ。
     「海鳴りの島から」
 デジカメやスマホを持っているのは海保が乱暴行為をした一瞬を撮るためである。目取真氏の言う通り自らの身を守るためであるが、拘束されるのは違法行為をしたからである。自らの違法行為は棚にあげて海保を正当な拘束を不当拘束だと非難するのは違法行為を違法行為と思っていないからであり、自分たちを独善的に正当化しているからである。


 瀬嵩の浜で昼食をとったあと、カヌーを漕いで辺野古の浜に戻ろうとしたのだが、辺野古崎と長島の間をフロートでふさいだうえ、海上保安庁は長島の間もゴムボートでふさいで通そうとせず、平島の北側の危険なコースを通って辺野古に戻れと指示した。カヌーメンバーを拘束するときには「安全確保」を理由に挙げるくせに、平気で危険な嫌がらせをやる。海保の言う「安全確保」が弾圧の方便でしかないことがよく分かる。
     「海鳴りの島から」
 なにからなにまで不平だらけである。目取真氏よ、あなたは不平老人かと苦笑してしまう。
 海保はカヌー隊の行動を分析した上でフロート設置を決める。海保の狙いはカヌー隊を無力化させ、フロート内への侵入ができないようにすることである。
 辺野古の海では海保とカヌー隊の戦いが展開されているのだ。カヌー隊が過激な行動をすればするほど海保の取り締まりは厳しくなる。カヌー隊が知恵を絞って高度な戦術を取れば、海保も知恵を絞りフロートの配置や海保の配置を工夫し、完全封鎖を狙う。
 辺野古の海で展開しているのは海保とカヌー隊の戦争である。カヌー隊は日本の法律を無視している。辺野古の海はカヌー隊にとって無法地帯であるのだ。海保は敵であり、海保を破るのがカヌー隊の目的であるが戦力は圧倒的に海保が大きい。真っ向勝負で海保に歯が立たないのは目に見えている。
 過激暴力行為で海保の守りを破ろうとすれば全員逮捕されて刑務所行きになる。そうなればカヌー隊は消滅する。消滅は完全敗北である。
 消滅しないで戦う戦法が現在カヌー隊がやっていることである。つまり、逮捕されて刑務所行きにはならない戦法で辺野古移設を阻止することである。
 カヌー隊はあまりにも強大で歯が立たない海保に唇を噛みしめながら戦っているだろう。しかし、白旗をあげるわけにはいかない。わずかながらあるかも知れない勝利を目指して彼らは戦っているのである。
 彼らの行動は大衆運動ではない。大衆運動であるなら法律の存在を認める。しかし、彼らは法律の存在を認めていない。彼らにとって海保は法律を守り違法行為を取り締まる存在ではない。カヌー隊の正義の行為を弾圧する存在である。
 彼らは海保と戦争をしているのだ。それもブログ、沖縄二紙を味方にして、戦力が弱いことをうまく利用した高度な戦術の戦争である。
 記者以上に表現力のある目取真氏はカヌー隊の広報係である。


 長島の間を抜けようとしたカヌーチームに対し、海上保安庁は恐るべき対応を行った。現場は長島の断崖や岩場の近くで、波も荒い。ふだん練習のときも気を使う場所だが、海保は近づいたカヌーの不当拘束をはじめ、意図的にカヌーを転覆させ始めた。動画にはひっくり返ったカヌーが映っている。さらに海に投げ出されて海保のゴムボートにすがりついているメンバーを引きずって進行させることまでした。

 もし流されて岩場に叩きつけられたら、大けがをするどころではすまない。命に関わる問題だ。何が「安全確保」か。海保がやっていることは殺人未遂ではないか。海保の狙いは危険な場所でわざとカヌーを転覆させ、肉体的苦痛と恐怖心を与えて、カヌーメンバーを減らそうというのだろう。それにしてもやり方が悪質すぎる。
    「海鳴りの島から」
 練習というより、訓練である。海保に対する戦術を立てて、スムーズに移動する訓練を重ねたことは容易に予想できる。
 フロートを超えて侵入しなければ海保はなにもしない。海保が悪質すぎると非難する前に侵入を止めればいい。
 

 さらに海保は、自分からゴムボートに移らなかったということで、女性メンバーの1人をゴムボートで引きずり回し、抗議しても止めようとしなかった。止まっていても体が冷える冬の海で、ゴムボートを走らせて風にさらし、波に揺らせて転覆の恐怖を与える。これも実に悪質な脅しである。「安全確保」をいうなら、そばにいる市民の船に乗せればいいだけのことだ。

 引きずり回しているゴムボートの様子を撮っている海保のカメラマンは、ずっと薄笑いを浮かべていた。安倍政権の意志を体現する海上保安庁のあからさまな暴力と嫌がらせを許してはいけない。抗議と怒りの声を上げましょう。
      「海鳴りの島から」
 目取真の文章はフロートの外で抗議しているカヌー隊に海保が理不尽な弾圧をしている印象が強い。
 目取真氏の文章はカヌー隊のメンバーは紳士的でひ弱い女性も参加しているのに海保は見境なく乱暴な行為でカヌー隊を弾圧している印象を与えている。
 カヌー隊が紳士的でフロートを超えて侵入しなければ目取真氏のいう「弾圧」を海保はやらない。


【東京】名護市辺野古での新基地建設工事に伴う海上保安庁の警備態勢について、海保の担当者は22日、「法に従い、一番安全かつ最小限の手法でやっている」との認識を示した。警備が過剰だと指摘する照屋寛徳衆院議員(社民)が求めた説明で回答した。
 海保の担当者は、「拘束」と指摘される対応について「やむを得ず(海保の)ゴムボートに乗ってもらった後、仲間の船に引き渡すなど責任を持っている。それを拘束と言われるが理解いただきたい」と説明。報道機関の船への規制には「報道、表現の自由を不当に妨害するつもりは全くない」と述べ現場に指導していく考えを示した。
 辺野古海域では15日の作業再開後、反対活動をする市民が海保職員に一時拘束されたり、海保職員が乗るゴムボートに強く押しつけられたと訴える市民が肋骨(ろっこつ)を骨折するなどの事案が発生している。
沖縄タイムス 1月23日(金)
 海保の担当者は「法に従い」と述べている。海保は法律を守る立場であり、法律を破っているカヌー隊を法律に従って取り締まっている。一方目取真氏やカヌー隊は辺野古のボーリング調査を阻止するのが目的であり、目的のためには法律を平気で破っている。
 照屋議員がはカヌー隊がフロートを超えて進入禁止区域に侵入しやすいために海保の警護を手薄にするための援護射撃をしている。
 照屋議員、目取真氏は海保が法律を守り、カヌー隊に乱暴しない紳士的な行動をとるように要求するが、同じことをカヌー隊には要求しない。日本の法律は彼らにとって自分たちの目的を達するために利用するものであって遵守するものではない。
 目取真氏にとって安倍政権は敵なる存在である。それだけである。安倍政権が議会制民主主義制度によって選ばれた国民を代表する存在であるとは決して思っていない。

「安倍政権の意志を体現する海上保安庁のあからさまな暴力と嫌がらせを許してはいけない。抗議と怒りの声を上げましょう」

 目取真氏にとって海保は敵である安倍政権の手先でしかない。
海上保安庁が、日本の行政機関の一つであり、①海上における人命および財産の保護ならびに②法律違反の予防、捜査および鎮圧を目的とする機関であることを目取真氏は無視している。海保が安倍政権の意思を体現するのは安倍政権が国民に選ばれた国家の最高機関だからである。海保が安倍政権の意思を反映しないことこそがあってはならないことである。

 カヌー隊は武器を持っていないし、カヌーという小さな船に乗って抗議活動をしているから大衆運動だと思うの勘違いである。彼らが武器を持っていないのは逮捕されて刑務所に入れられてカヌー隊が消滅する恐れがあるからである。彼らの希望は戦力が海保と同等になり実力で辺野古埋め立てを阻止することである。
 戦力がとても弱いだけであって、彼らは彼らの実力に合わせた最高の戦争をしているのだ。辺野古戦争の広報係が目取真氏である。



2015/01/14 に公開


平成27年1月14日水曜日に放送された『沖縄の声』。連日賑わいを見せている辺野古­移設問題、本日は辺野古移設、翁長知事・革新・政府の三つ巴の駆け引きについて、後半­は又吉康隆自身が著者の「ウチナー特報」について紹介します。
※ネット生放送配信:平成27年1月14日、19:00~


出演:
 又吉 康隆(水曜日担当キャスター)
 新川 優子(水曜日担当キャスター



沖縄の声
次のニコ生放送配信は平成27年1月28日(水)、19:00~




ウチナー特報2(無料)を発行しました

「ウチナー特報」2を発行しました。
「ウチナー特報」は無料です。
チャンネル桜沖縄支局に置いてありますので自由に取ってください。
「ウチナー特報」は私が実験的に発行しています。過去に保守系の新聞をつくったり、機関誌をつくったが失敗した話を聞きました。新聞を新たにつくろうとしている話も聞きました。しかし、新聞をつくるのは非常に困難だと思います。
機関誌をつくるにしても、保守系はばらばらな活動をしているし、ひとつにまとまったグループをつくるのには強力なリーダーが必要です。現実的には難しいと思います。

しかし、インターネットを見ない県民に文字で伝えるのは必要です。
私はワードで原稿がつくれます。「沖縄内なる民主主義」の表紙から本文まですべて私がつくっています。また、インクジェットプリンターがあるので印刷もできます。小部数なら自分で作れるので実験的に「ウチナー特報」をつくりました。
これで基本的な形はできました。

「ウチナー特報」は多くの人々の意見を発表する目的でつくりました。次は「ウチナー特報」に寄稿してくれる人を増やすことです。今、複数の人にお願いしています。
複数の人の意見が定期的に掲載されるようになれば「ウチナー特報」は充実します。


皆さんへのお願い。
「ウチナー特報」は無料です。より多くの人に読んでもらいたいから無料にしました。
しかし、多くの人に読んでもらうには私一人では限界があります。皆さんの協力が必要です。
10部程度を配布できる人を募集しています。
「ウチナー特報」は無料ですので配布のプレッシャーはないと思います。
友人知人に10部なら配布できる人は電話番号と住所をメールで送ってほしいです。
10部をメール便で送ります。ただし県内在住者のみです。県外の人にも送りたいのですが、資金が乏しいので申し訳ないですがご遠慮ください。
メールはhijai@outlook.comです。

ネットを見ていない県民にも沖縄二紙が隠している事実を知らせたい。保守の人たちの活動を知らせたいです。





「沖縄に内なる民主主義はあるか」が全国の書店で買えます。
書店に本の題名と地方・小出版流通センターが取次店であることを伝えれば注文できます。

  目次
1、琉球処分は何を処分したか・・・琉球を処分したのではなく、琉球王朝を処分し、四民平等にしたのが琉球処分であり、農民を解放した。
2、命どぅ宝とソテツ地獄・・・暴風や日照りの度に農民は飢え、毒のあるソテツを食べて命をしのいだ。「命どぅ宝」の格言は琉球王朝時代の生きることだけで精いっぱいの農民の生活から生まれた。
             反戦平和から生まれた格言ではない。
3、県議会事務局の
米軍基地全面返還したら
9155億5千万円
経済効果資産の
真っ赤な嘘・・・・・・翁長知事は「米軍基地は経済発展の阻害である」と繰り返し発言している。今では沖縄の常識となっている。その発端となったのが県議会が発表した9155億円経済効果である。
           嘘が常識となってしまった。
4、普天間飛行場の移設は辺野古しかない・・・普天間飛行場は日本にとって必要であること説明した上で、閉鎖・撤去・県外移設・国外移設が不可能であることを説明してある。
                  県外移設を主張する政治家は絶対に自分たちで移設先を探すとは絶対に言わない。なぜなら、移設先を探せば、移設先がないことを自分たちが証明することになるからとこの本に書いた。現実に県外移設を主張する政治家で自分たちで咲かずと宣言した政治家はいない。
                  沖縄二紙も候補地を上げたことは一度もない。
5、八重山教科書は何が問題だったか・・・根本的な問題は竹富町が違法行為をしたことにある。革新=左翼イデオロギーの塊である竹富町教育委員会が八重山教科書採択地区協議会で採択されたにも関わらず東京書籍を使用したもんだいである。
                   竹富町は違法行為をしたが、違法行為に対応した法律がなかったために国、県、八重山、竹富町の争いが泥沼になっていった。

                   安倍政権は市町村それぞれが教科書を採択できるように法律を改定して、八重山教科書問題に終止符を打った。
                   その結果、竹富町は単独で教科書研究、採択をしなければならなくなった。結局、竹富町の負担が増えただけだ。


5は法律改訂で解決した。1,2は思想問題であり決着はなかなかつかないだろう。
3、4は現在進行中の問題である。これから熾烈な闘いをしていかなければならない。
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