アメリカ兵がとなりにいた頃の話

私が最初にアメリカ人を見たのは二、三歳の時だった。それも黒人だった。私は読谷村の大木に生まれ、四歳の時に比謝に引っ越した。だから、大木の記憶は三歳以下ということになる。

最初に黒人を見たのは大木に居た時であった。姉は私をおぶって一歳年下のシズエさんの家に遊びに行った。二人は話しているうちに戦前の話になり、黙認耕作地になっている戦前の屋敷を見たいという話になった。
姉は私をおんぶし、シズエさんは私より一歳年下のチョウトクをおんぶして数キロほどはなれている黙認耕作地に行った。黙認耕作地は、耕作している場所は少なく、広大な草原になっていた。私の姉が住んでいた屋敷を過ぎ、シズエさんの住んでいた屋敷に向かって歩いていると、遠くに嘉手納弾薬庫から出てきた数人の黒人兵が見えた。
姉とシスエさんは黒人兵を見た途端に、恐怖になり一目散に逃げた。道路はなく畑跡の草原を走ったので、姉は草に覆われた溝に足を取られて転んでしまった。
私の記憶は姉が転んだところで終わっている。

人気のない草原の中で黒人兵を見た姉とシズエさんは非常に怖かっただろう。

大木に住んでいた時に二回アメリカ人を見たが、二回目は逃げたのではなく姉がアメリカ人を見に行った。
これもシズエさんの家にいた時のことである。大木の南はずれでアメリカ人たちがお祝いかなにかをやっているという噂があり、姉とシズエさんは見に行くことにした。
大木のはずれには石灰かなにかを敷いた小さな広場があり、十数名のアメリカ人と一台のヘリコプターがあった。見物人も大勢いた。

アメリカ兵たちの前には若い沖縄の女性がいて、アメリカ兵たちから祝福されていた。女性と一人のアメリカ兵はヘリコプターに乗った。二人は笑いながら盛んにアメリカ兵たちに手を振っていた。アメリカ兵たちは手を叩いたりしながら祝福の言葉をかけていた。ヘリコプーは舞い上がり、次第に小さくなっていった。ヘリコプターの沖縄女性とアメリカ兵はいつまでも手を振っていた。

私たちが見たのは沖縄女性とアメリカ兵の結婚式だったのだ。沖縄女性は私の周りにいる女性よりあか抜けていて華やかで堂々としていたのを覚えている。
1951年のことである。

戦争が終わって6年後にはこのようにアメリカ人と沖縄女性と恋がめばえ、結婚することもあった。沖縄女性は沖縄戦でアメリカ軍に攻撃されたはずである。アメリカ兵は敵であり怖い存在であるはずである。しかし、アメリカ兵と恋をし結婚した。

新聞ではアメリカ兵の犯罪が掲載され、沖縄人が差別されている内容の記事がほとんどであり、沖縄女性がアメリカ兵と結婚するのはありえないように思えるが、現実はそうではない。多くの沖縄女性がアメリカ兵と恋をし結婚した。

アメリカ兵が隣にいる生活では、犯罪はほとんどなく、フレンドリーなアメリカ人の普通の姿があるだけであった。私の村にはアメリカ兵と沖縄女性が同棲するための貸家がつくられていった。

アメリカ兵がとなりにいた頃の思い出を書いていこうと思う。
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