新報社説に見える日本ではなく沖縄の民主主義機能不全



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新報社説に見える日本ではなく沖縄の民主主義機能不全
 2019年6月18日の新報社説は、
米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を巡り、総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会」(係争委)が県の承認撤回を取り消した国土交通省の採決を不服とした県の審査申し出を却下したことに対して、
「自治にとどまらず、日本の民主主義制度全体が機能不全に陥っているとしか思えない」
「沖縄以外の人々にとっても人ごとではないはずだ。このあからさまな実態に目を向けてほしい」
と主張している。
 新報社説は、県民投票で約7割が埋め立てに反対したにも拘わらず政府は埋め立て姿勢を変えなかった中、総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会」(係争委)が県の審査申し出を却下したことを根拠に日本の自治、民主主義制度が機能不全に陥っているというのである。

新報社説は、
「係争委は、国と自治体の関係を『上下・主従』から『対等・協力』に転換した1999年の地方自治法改正に伴い設置された。自治体の行政運営に対する国の介入が違法・不当だと判断すれば、是正を求める役割がある」
を強調し、県の審査申し出を再び却下したことは多くの行政法研究者の批判を無視して国の主張をうのみにした係争委の判断であると述べ、係争委のあるべき姿から程遠く、本来の役割を放棄し、国の追認機関と化していると述べている。

国地方係争処理委員会
 国の関与のうち是正の要求、許可の拒否その他の処分その他公権力の行使に当たるものについて不服のある地方公共団体の長等からの審査の申出に基づいて審査を行い、国の関与が違法等であると認めた場合には、国の行政庁に対して必要な措置を行う旨の勧告等を行う。

委員
(1)人数 : 5人(地方自治法第250条の8)
(2)選任 : 優れた識見を有する者のうちから、両議 
院の同意を得て、総務大臣が任命(地方自  
治法250条の9)
(3)任期 : 3年(地方自治法250条の9第5項)
(4)委員長 : 委員の互選により選任(地方自治法第 
250条の10)

国地方係争処理委員は優れた識見を有する者のうちから選ばれ、衆参両議院の同意で決まる。係争処理委員は多くの行政法研究者の意見に左右されるのではなく自分の責任ある判断をするべきである。新報社説は多くの行政法研究者が批判したことを強調し、係争処理委は批判に耳を傾けるべきと暗に批判に従った判断をするべきと主張しているが、係争委は批判に屈するべきではないし国に従うべきでもない。係争委は中立の立場に徹するべきである。
 係争委は県の審査申し出を却下した日、ふるさと納税の新制度から大阪府泉佐野市を除外した総務省の対応の是非も審査していて、「国の関与」に当たると認めた。国に寄り添うのが係争委ならば国の関与に当たらないとの判断を下したはずである。係争委は国にも地方にも中立の立場で判断していることを新報社説は認めるべきである。

行政不服審査制度を用いて撤回の審査を申し出た沖縄防衛局は一般私人と同様の立場にないため審査請求できないという県の主張が正しいと新報社説は主張しているが、それは間違っている。
日本は内閣が独裁政治にならないために省を配置し、省と省は独立した関係にある。埋め立てを管轄しているのは国土交通省である。防衛省には管轄する権限はない。独裁国家であれば防衛省が承認撤回を取り消すことができるが、日本は独裁国家ではないから防衛相が取り消すことはできないし、首相が取り消すこともできない。取り消すか否かを判断できるのは埋め立てを管轄している国土交通省である。埋め立てを法的に管轄している国交省は県の埋め立て承認撤回は不当であると判断して県の承認撤回を取り消したのである。
内閣の一員である国交相は、防衛局の申し立てを判断できる立場にないと主張している県は日本の内閣制度を理解していない。内閣の一員であっても省が違えば管轄する権限が違う。それぞれの省は独立機関である。だから、埋め立てに関しては防衛省は国交省に法的判断を委任しなくてはならないのだ。
埋め立てに関しては防衛省であろうが他の省であろうが、自治体であろうが私人であろうが立場は同じであり、国交省の法的判断をゆだねなければならない。国交省は他省である防衛相の埋め立てに関する審査依頼に法的判断を下すだけである。

県が係争委に申し出たのは、いくら対話による解決を求めても政府が聞く耳を持たないからだと新報社説は指摘しているが、対話による解決は2008年にすでに終わっている。仲井真知事と政府は何度も対話=協議を重ねて辺野古崎沿岸の埋立てを合意した。1Ⅰ年前に合意したたからこそ政府は辺野古埋め立てをやっているのである。ところが対話を強調している県は対話をする条件として埋め立て中止を要求している。それは1Ⅰ年前の県と政府の合意を無視した要求である。政府は県との対話には応じるが埋め立て中止はしないと言った。政府のほうが正しい判断である。「政府が聞く耳を持たない」という新報社説のほうが1Ⅰ年前の政府と県の合意に聞く耳を持っていない。

新報社説は、
「投票者の約7割が埋め立てに反対した県民投票後も政府が姿勢を変えない」
と政府を責めているが、県民投票条例を決めたのは県議会である。政府ではない。条例には県民投票の結果を日本、米国首脳に通知すると書いてあるだけで、県民投票の結果に日本政府は従わなければならないとか考慮しなければならないという言葉は一言もない。つまり、県民投票の結果に対して政府は通知を受け取るだけであり、政治的な対応をする必要がないという内容の県民投票条例であった。
 県民投票条例が「通知する」するではなく、
「政府は県民投票の結果に従わなければならない」「対応しなければならない」
と条文に書いてあったら政府が姿勢を変えないことを批判することができるが、条文には書いてなかったのだから政府が県民投票に応じる義務はなかった。新報社説の政府批判はお門違いである。新報社説は政府を批判するのではなく県民投票条例を作成した県与党を批判するべきである。いやそうではない。新報社説が認識しなければならないのは県は「政府は県民投票の結果に従わなければならない」と条令に書けなかったことである。書けば県民投票が違法行為になるからだ。

2006年―V字型滑走路飛行場建設で名護市長と政府が合意
2008年―辺野古沿岸埋め立てで県知事と政府が合意
2013年―県が沖縄防衛局の埋め立て申請を承認
2016年―最高裁が県の埋立て承認取消は違法と判決

 辺野古移設には県も名護市も政府と合意した。現知事と市長は前知事が政府と合意したことを一方的に破棄することはできない。破棄は違法行為であり、認められない。無論、県民投票の結果に政府が従う義務はないし、応じるか否かは政府の自由である。条例に県民投票の結果に政府が従わなければならないとか対応しなければならないと書けば県民投票そのものが違法行為になってしまう。そのことを知っていたから県与党は書かなかったのである。
辺野古埋め立てを進めることは政治的にも法的にも正当である。県民投票に左右されない。政治的にはなんの権利もないのが県民投票だった。なんの権利もない単なるパフォーマンスの県民投票を県民に強いたのが県政与党だったのである。

65年前にキャラウェイ高等弁務官は「沖縄の自治は神話である」の演説で、
「政治とは実際的な問題を処理していくことであって空想的な計画を作ったり、圧力団体がスローガンを叫ぶことではないのである」
と沖縄の政治を批判した。キャラウェイ高等弁務官の批判は今でも通用している。
 県民投票は実際的な問題である辺野古移設を処理することはできないものだったのに、あたかも県民投票の結果が辺野古埋め立てを左右するものと思わせた。県民投票は非現実の空想的な計画でしかなかった。辺野古移設反対派である与党のスローガンを叫ぶための県民投票であったのだ。米民政府統治時代であった63年前の高等弁務官の批判が現在も通用する沖縄政治であるのは残念である。

 琉球新報は、総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会」(係争委)が県の審査申し出を却下したことについて、
「第三者機関が機能しないのでは、自治にとどまらず、日本の民主主義制度全体が機能不全に陥っているとしか思えない」
と述べているが、第三者機関はちゃんと機能した。機能したから却下したのだ。却下したから第三者機関が機能しないと決めつけるのは新報社説が辺野古移設反対のイデオロギーに凝り固まっていて報道機関としての客観性を見失っているからである。
 地方処理委が判断するのは県の承認撤回が法的に正しいか否かではない。承認撤回が正しいか否かの判断をするのは司法である。係争委ではない。係争委が判断するのは国交省が承認撤回を取り消した行為が合法であるか否かである。係争委は合法であると判断したのである。注意しなければならないのは係争委は承認撤回の内容が違法であるから却下したのではないということである。取り消した行為が合法であると判断しただけである。

 国全体の埋め立てを管轄する国交省であるから辺野古の埋立ても管轄する立場にあり、防衛省から提出された県の埋立て撤回は無効であるか否かの審査依頼を国交省が判断するのは当然である。当然であるから係争委は埋め立て承認撤回を取り消した国土交通相の裁決を不服とする県の申請に対して県の主張を退けたのである。係争委は「国が主張する内容の適法性を判断するものではない」と承認撤回の内容が正しいか否か法的に正しいかを判断するものではないということを断っている。その判断は係争委ではなく司法が判断するものである。
 それなのに新報社説は、
「国が進める埋め立てには疑問が尽きない」と述べた後に、大浦湾の軟弱地盤の改良は工期や工費を示せていないと指摘し、埋め立て工程の変更に関して環境保全を理由に県が国へ行政指導を再三実施していることで環境面にも疑念が残るなどと述べている。だから係争委の県の申請却下は民主主義の機能不全だと述べているが係争委は承認撤回の正否を審査する機関ではない。
 新報社説はこうした問題含みの工事について中身に踏み込まず形式論で門前払いしたことは、係争委が第三者機関として機能していないことを意味すると批判している。しかし、係争委が新報社説が主張しているようなことをすれば司法への不当介入であり違法行為である。ところが新報社説は「国交相の(承認撤回を違法とした)判断が違法かどうかなど実質的な審議はせず形式論に終始し、またもや門前払いにした」と批判し、係争委に埋め立てへの法的違法介入を要求しているのである。
 係争委は形式論ではなく国交省の承認撤回取消の行為が違法か否かを冷静に協議しているし県を門前払いにもしていない。新報社説がそう思うのは県の承認撤回は正しいと信じこんでいるからである。信じ込んで承認撤回が実現することを熱望しているから、係争委の役割を無視し、係争委に違法な司法判断をさせて県の主張を認めさせたいのである。新報社説の期待は空しく、係争委は係争委の任務に徹し県の申請を却下した。
 
日本国家の法律に則った合法的な手続きで辺野古埋め立ては決まったのに政府の独裁的な強制と決めつけているのが新報社説である。辺野古埋め立て反対政治だけが新報社説の民主主義政治である。新報社説のほうが沖縄の自治や、沖縄の民主主義制度を機能不全に陥らそうとしている。それは沖縄左翼政治と呼べるものである。
 沖縄左翼政治は議会制民主主義国家日本には通用しない。それを証明したのが翁長前知事当選以後の沖縄であった。
 辺野古移設反対の翁長氏が県知事に当選し、県議会も移設反対派が与党になった。それに衆議院選挙も移設反対派が圧勝し続けた。それなのに辺野古移設工事は着実に進み、翁長氏死去による知事選では翁長氏の後継者であるデニー氏が当選し、県民投票では辺野古埋め立て反対が7割以上になった。それにも拘わらず、辺野古移設工事は進み、埋め立て工事が着実に進んでいる。

 辺野古移設工事が進んでいるのは、日本が独裁国家で地方の権利は一切認めず中央政府のやりたい放題であるからではない。日本は議会制民主主義国家であり、地方自治権も認めている。
 辺野古移設工事が着々と進んでいるのは政府と県、名護市が辺野古移設に合意したからであり、合意は一方的に県が破棄できないからである。これが日本民主主義のルールである。民主主義ルールを無視した空想的な計画や、辺野古移設反対派のスローガンを叫ぶパフォーマンス政治は実際的な問題を処理していく民主主義政治に敗北していくだけである。
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