最高裁判決 テルさん完全勝訴


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最高裁判決 テルさん完全勝訴
 那覇市松山公園の「孔子廟(びょう)」の無料賃貸は政教分離に対して最高裁は政教分離に違反しないとは言えないという判決を下した。二重否定は肯定である。孔子廟は政教分離に違反するということだ。最高裁は久米三十六姓に1年間の使用料として576万七千二百円を那覇市に支払うように命じた。
 最高裁大法廷判決は儒教そのものが宗教かどうかを問題にしたのではなく、儒教の開祖・孔子を崇(あが)める孔子廟に公有地を無償で使わせた行為が、憲法の政教分離に反するか否かを問題にした。
最高裁判決文
国または地方公共団体が一般的には宗教的施設としてその性格を有する施設であっても同時に歴史的、文化財的な建造物として保護の対象なるものであったり、観光施設、国際親善、地域の親睦の場など他の意義を有していたりすることも少なくなく、それらの文化的あるいは社会的な価値や意義に着目して当該免除されることもありうる。 
これらの事情のいかんは、当該免除がされる場合もあり得る。これらの事情のいかんは、当該免除が、一般人の目から見て特定の宗教に対する援助などと評価されるか否かに影響されるものと考えられるから、政教分離原則との関係を考えるに当たっても、重要な考慮要素とされるべきものといえる。
    「最高裁判決文」
孔子廟が文化財の価値があったり観光施設など、文化、社会的な価値がある施設であれば政教分離に違反していないから那覇市の無料賃貸は合法であると最高裁は述べている。最高裁は政教分離の判断は「一般人の目から見て特定の宗教に対する援助などと評価されるか否かに影響される」と述べている。原告である金城テルさんは那覇市の一般市民の立場からの孔子廟に感じたことを最高裁に提出した。
テルさんの弁論書
① 私は今年の三月で九十三歳になります。
平成二十六年に提起した時からこの裁判を戦  
って参りました。
  私は中市民として、沖縄県民として、そして日本国民の一人として、久米至聖廟(孔子廟)に対して感じているところを率直に申し上げたいと思います。
② 私がはじめて釋奠祭禮(せきてんさいれい)
をことを知ったのは久米崇聖会がホームページに挙げている動画を見た時のことでした。
黒い礼服を着た祭司たちが出てくると、「至聖門」が開かれ、そこからそこから中には入ってこられる孔子様の御霊をお迎えし、お線香をあげ、ろうそくを灯し、お供物を揚げ、お像の前で、中国式の独特の礼法を繰り返し、やがて提灯を持って、孔子様の御霊をお送りし、「至聖門」を閉め、提灯の灯を消して終わるのです。
見終わった時、「これは宗教」だと直感致しました。
平成二十六年九月、実際の釋奠祭禮をこの目で見ましたが、その思いはますます強くなりました。エイサーやハーリーと同じ沖縄の習俗だという意見がありますが、それは間違っています。
釋奠祭禮は長い間、久米三十六姓(クニンダチュ)の儀式として伝えられてきたものあって、沖縄の一般市民にとっては全くなじみのないものでした。
③ 久米至聖廟の移設に伴って行われたセンザ
ウガンの動画も久米至聖会のホームページの動画で見ました。
紳義による拝みを移した動画でした。
それがユタかノロなのかはわかりませんが、神霊的な力を持つた霊媒師による拝みや占いは今でも沖縄ではよく見らります。そして、そのこともまた、私の「これは宗教だ」という思いを強くしたのでした。
④ 久米至聖廟の前では、御座や座布団を敷い
て座り込んで、一心不乱に祈りを捧げる方々をよく見かけます。中国や台湾の方々のようですが、熱心な礼拝から久米公子廟にかかわる儒教の信者さん達に間違いがないように思えます。
⑤ 今は、もうなくなりましたが、以前は「学
業成就」の御礼が販売されていました。
  ありがたい「灰」が封入され、御利益があ 
 るというふれこみでした。それは、そのことを有難く思う信者が多数いるという証拠です。
⑥ 私が釋奠祭禮や久米孔子廟を宗教だと感じ
ている理由の概略は以上の通りです。菅原道真を奉る天満宮とどこが違うのでしょうか。
  こうした施設を公園に設置し、使用料を全額免除することが特定の宗教に対する援助になることは当たり前のことです。
  多くの那覇市民、沖縄県民、日本国民は、私と同じように感じるはずです。

最高裁判所の裁判官におかれましては、「一般人の評価」を量る上で今、私が申し上げたことを充分にご配慮いただきますように心からお願いします。
  令和三年一月十六日
      金城照子(テルは戸籍上は照子)

テルさんの一般の那覇市民としての孔子廟に対しての気持ちは最高裁の判定の参考になった。
最高裁は孔子廟についてあらゆる面から考察していくと、孔子廟が宗教施設であるとの結論に達した。
最高裁判決文
本体施設で行われる釋奠祭禮は、その内容が供物を並べて孔子の霊を迎え、上香、呪文奉読等をした後にこれを送り返すというものであることに鑑みると、思想家である孔子を歴史上の偉大な人物としては顕彰するにとどまらず、その例の存在を前提として、これを崇め奉るという宗教的的意義を有する儀式というほかはない。また、参加人は釋奠祭禮の観光ショー化などを許容しない姿勢を示しており、釋奠祭禮が主に観光振興等の世俗的な目的に基づいて行われるなどの事情もうかがわれない。そして、参加人の説明によれば、至聖門の中央の扉は、孔子の霊を迎えるために1年に1度、釋奠祭禮の日にのみ開かれるものであり、孔子の霊は、御庭空間の中央を進み、大成殿の正面階段の中央部分に設けられた石龍階を超えて大成殿へ上るというのであるから、本件施設の建物等は、上記のような宗教的意義を有する儀式であるから、本件施設の建物などは、上記のような宗教的意義を有する儀式である釋奠祭禮をじっしするという目的に従って配置されたものであるということができる。
        「最高裁判決文」
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