日弁連会長の「今回の任命拒否及びこれに関する政府の一連の姿勢は、学問の自由に対する脅威とさえなりかねない」声明を徹底批判する


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日弁連会長の「今回の任命拒否及びこれに関する政府の一連の姿勢は、学問の自由に対する脅威とさえなりかねない」声明を徹底批判する

日弁連会長は声明で、
(日本学術)会議は、「わが国の科学者の内外に対する代表機関」(日本学術会議法第2条)である。同法前文においては、「科学が文化国家の基礎であるという確信に立って、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命」とするとされ、同法第3条には職務の独立性が明定されている。
と述べている。注意しなければならないのは、それは学術会議の会員の使命であることである。会員ではない学者の使命ではない。第3条に明定されしている会員の職務とは学術会議で発言し、賛否することである。その職務は政治から独立性があるということである。第2.3条は首相が任命した会員についての職務を述べたものである。3条の職務の独立性も首相に任命されて会員になった学者だけの権利である。首相の任命について規定したものではない。
 問題になっているのは日本学術会議の幹部が推薦した105人の中で6人を任命しなかったことである。2、3条は任命された会員について規定しているのだから6人を任命しなかったことを批判する根拠にはならない。

日弁連会長生命
会員選出方法について、設立当初、全国の科学者による公選制によるものとされた。すなわち、職務遂行のみならず、会員選出の場面においても、名実ともに政府の関与は認められていなかった。会議が、一方では内閣総理大臣が所轄する政府の諮問機関とされながら、政府からの高度の独立が認められていたことは、学問の神髄である真理の探究には自律性と批判的精神が不可欠だからであり、学問の自由(憲法第23条)と密接に結び付くものである。会議の設置が、科学を軍事目的の非人道的な研究に向かわせた戦前の学術体制への反省に基づくと言われる所以でもあろう。

日本学術会議が設立されたのは1949年 1月20日である。70年以上前である。
設立当初は全国の科学者の公選制よるものであった。日本は議会制民主主義国家である。公選制こそが日本の民主主義の基本である。公選という民主的な手続きで選ばれた学者を政府が無条件で会員に任命したのは当然のことであった。しかし、現在の会員は公選制ではない。民主主義に則っていない会員推薦になっている。菅首相が6人を任命しなかったのは非民主的な手続きに対する警告であると言える。

 「会議の設置が、科学を軍事目的の非人道的な研究に向かわせた戦前の学術体制への反省に基づくと言われる所以でもあろう」と日弁連会長は述べているが、学術会議の条令にはそんな条文はない。条文がないのだからこれは日弁連会長の主観である。学術会議が日弁連の主観に縛られる必要はない。
 戦後の日本は戦争放棄を宣言し、戦力の不保持を約束した。しかし、侵略されないためには軍隊が必要である。専守防衛の軍隊である自衛隊を設立した。現在は軍隊であっても自国を防衛するための自衛隊は国民が認めている。軍事目的=非人道は一部の人間の主観である。
学問が自由であるなら軍事目的の研究も認めなければならない。軍事開発に開する科学研究を禁じている学術会議は学問を不自由にしている。日弁連会長も学問は自由ではないと宣言しているに等しい。

日弁連会長は1983年の法改正により、公選制が廃止され一部の幹部が推薦した候補者を内閣総理大臣が任命するという方法に変更されたことを強調する。会員の選出方法が民主的に後退したことには目もくれない。そして、中曽根康弘内閣総理大臣が、「政府が行うのは形式的任命にすぎません。したがって、実態は各学会なり学術集団が推薦権を握っているようなもので、政府の行為は形式的行為であるとお考えくだされば、学問の自由独立というものはあくまで保障されるものと考えております。」と答弁したことを強調する。
条例に学術会議が推薦した学者を首相は全員任命しなければならないとは書いてはいない。会長は条令ではなく条令に関する中曽根首相の解釈発言を強調しているだけである。
内閣府は6日に首相が任命の拒否ができるかどうかについての見解をまとめた2018年の内部文書を、野党側に公開した。学術会議の会員が特別職の国家公務員であることを踏まえ、首相が「推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えないと考えられる」と結論づける内容である。中曽根首相とは解釈が違ったのである。守るべきものは条令であり中曽根首相の解釈を守る義務はない。学問の自由独立を保障するのは学術会議の会員になった学者への補償であって学術会議の任命の自由ではない。任命が自由であるなら「推薦」をする必要はないし、学術会議が任命し、首相は容認すればいい。しかし、学術会議は推薦し、首相は任命すると条令には明記している。学術会議が推薦した学者を首相は全員任命しなければならないとは条令に書いていない。
日弁連会長は公選制が廃止されて会員の民主的な選出されなくなったことを軽視し、学術会議の幹部が推薦することになった条令を重視している。公選制を軽視する会長には民主主義が欠落している。そして、中曽根首相の解釈を根拠にして菅首相が6人を任命しなかったことを非難している。弁護士でありながら学術会議の法律よりも過去の首相の発言を優先しているのである。法律の専門家らしくない発言である。。

日弁連会長は、政府の政策を批判したことを理由に任命を拒否されたのではないかとの懸念を示し、そうであれば政府に批判的な研究活動に対する萎縮をもたらすものであると述べている。ところが任命されなかった6人の学者は記者会見を開き、盛んに政府批判を展開している。萎縮どころか発奮しているのだ。
国会で決めた政策を実現するための行政分野を受け持っているのが政府である。政府の政策を批判するということは政府を批判しているのではなく国会で決めた法律を批判するということである。安保法制や共謀罪創設は国会で決めたことであって政府が決めたことではない。政府は国会で制定した安保法制や共謀罪を遵守する政治を行わなければならない。行政をつかさどる政府の義務である。
学術会議で学問の自由を根拠に安保法制や共謀罪に反対する運動を展開するならば国会で制定した法律を遵守しなければならない行政を乱す。政府の諮問機関である学術会議の会員であるならば国会で制定した法律に反対するのは控えるべきである。それが三権分立の精神である。三権分立を破壊する自由は日本では許されない。

日弁連会長は、任命を拒否された科学者のみならず、多くの科学者や科学者団体が今回の任命拒否に抗議の意を表明していると述べているが、6人を任命しなかった菅首相に賛同する科学者や団体も多くいる。学術会議が学問の自由を奪っていると主張する学者も多く居る。
日弁連会長は、任命拒否及びこれに関する政府の一連の姿勢は、学問の自由に対する脅威になりかねないと結論しているが、左系学者の脅威にはなっても学者全体の脅威とはなっていないし、学問の自由に対する脅威にもなっていないのが事実である。
学術会議=推薦、菅首相=任命とそれぞれの権限を学術会議が理解していれば、学術会議は新たに6人以上の学者を首相に推薦するべきであった。新たに推薦をしないで6人を任命しろと首相に強要するのは首相には任命権はなく任命義務しかなくて実質的な任命権は学術会議の少数の幹部にあると宣言しているに等しい。独裁者は学術会議幹部である。会員の任命権が国民の代表である首相にはなく、国民とは関係のない学術会議の学者の一部にあると日弁連会長は主張しているのである。議会制民主主義、三権分立をないがしろにする日弁連会長である。
日弁連会長の主張は安全保障関連法に反対する学者の会と同じである。日弁連も安全保障関連法に反対する学者の会も共産党の支配下にあるのだから当然と言えば当然のことである。
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