議会制民主主義・法治主義・地方自治権を否定する新報民主主義



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議会制民主主義・法治主義・地方自治権を否定する新報民主主義
日本は議会制民主主義国家であり、法治主義である。そして、地方自治権を保障している国である。このことを念頭に置いて琉球新報の社説を分析していく。

うるま市の企画総務常任委員会が投票事務経費約2560万円の予算案を賛成少数で否決したことに対する批判を琉球新報は社説「県民投票予算案否決 自己決定権を奪わない」で展開している。
新報は県民投票に反対し、補正予算案を否決することは民主主義の否定であると断じている。

県民投票に反対する意見書を可決するのは議会の意思表明であり、自由だ。しかし、投票の予算案まで否決してしまうのなら民主主義の否定である。権限を乱用してはいけない。市民が意思表明する機会を保障するのが、議会としての大事な務めではないか。
       琉球新報社説
もっともな主張のように見えるが、新報は宜野湾市、石垣市、うるま市の三市が反対する県民投票の内容を問題にしていない。県民投票は県議会で与党の多数決によって辺野古移設賛否の二択で決めた。自民党などの野党が要求したのは四択であった。四択であれば石垣市議会とうるま市議会委も賛成していた。二択に反対だから県民投票に反対しているのだ。うるま市議会委が反対しているのは県民投票の内容である。石垣市議会とうるま市議会委が反対する原因をつくったのは県政与党である。
新報は県民投票の予算委に反対するのは民主主義に反するというが本当にそうだろうか。うるま市が反対せざるを得ない内容の県民投票を決めた県議会も民主主義に反している。民主主義に反する内容の県民投票を実施しないのも地方自治権による民主主義である。

住民投票は間接民主制の短所を補う直接民主制で、参政権の根幹だ。市民が意思表示する機会を議会が奪うのは民主主義の自殺行為ではないか。
      琉球新報社説
住民投票ではない。県民投票である。なぜ、県民投票を住民投票の言葉にしたか。住民投票は市町村の住民の利益に直接関係する場合にやるものである。今回は県民投票である。住民投票ではない。
新報社説は間接民民主制の短所を補うのが直接民主制であると述べているが、県民投票は県議会で決まったのだから間接民主制によって決まったものである。直接県民が投票で決めるといっても直接民主制ではない。間接民主制による県民投票である。直接民主制の県民投票であるなら県民投票に政治的な決定権がなければならない。しかし、間接民主制の県民投票であるから政治的な決定権はない。なんの権限もない県民投票であるのだ。
日本で直接民主制が認められているのは憲法に関する国民投票だけである。
県民投票を要求できる署名が集まった時に県に県民投票をやるように申請することができる。申請があれば県民投票が決まるというものではない。県民投票を実施するか否かを決めるのは県議会である。県議会がやらないことを議決すれば県民投票は実施しなかった。今回は県議会で与党の賛成多数で決まった。間接民主制によって県民投票は決まったのだ。辺野古移設賛否の二者択一の県民投票は間接民主制で決まったのである。
間接民主制によって決まったのだから県民投票は直接民主制ではない。
 辺野古移設の賛否を県民投票で決めることは民主主義の地方自治県を否定するものである。辺野古に海兵隊の飛行場建設を受け入れるか否かは名護市の問題である。名護市が決めるものであって県民が決めるものではない。もし、県民が決めるということになると、米軍基地や自衛隊基地の建設は県民が決めることになる。浦添市に軍港を作ること、沖縄市や読谷村にのキャンプ・キンザの倉庫を移すことも県民のほうに決定権があることになる。石垣市と宮古島市に自衛隊基地を建設するのも県民に決定権があることになる。そうなると地方の自治権を県と県民が奪うことになる。
 現在の日本は議会制民主主義国家であり地方自治権が保証されている。もし、新報社説が主張するように辺野古移設の決定権が県民にあるとするなら、米軍や自衛隊基地建設については地方の自治権はないことになる。

辺野古移設は2006年に島袋名護市長が辺野古にV字型滑走路飛行場を建設することで政府と合意したから決まった。地方自治体である名護市の合意によって辺野古移設は決まったのだ。名護市と政府の合意を県議会、県知事、県民投票で否定することこそが議会制民主主義・法治主義・地方自治権を否定するものである。
新報社説は辺野古移設の賛否を問う県民投票が地方自治権を奪うものであり、議会制民主主義、法治主義に反することを認識するべきである。
 
 辺野古新基地をやむを得ず容認するのなら、県民投票の際に、説得力ある主張で県民に訴えるべきである。本質の議論を避けて、投票の在り方という入り口論で足踏みするのは良くない。
        琉球新報社説
 「辺野古新基地をやむを得ず容認するのなら」の「やむを得ず」は新報社説のイデオロギー丸出しである。県民は辺野古移設に反対であるが、事情によって賛成せざるを得ない一部の県民が居ると新報社説は決めつけている。
 辺野古移設は安倍首相が言うように宜野湾市民の危険性除去が目的である。それに米軍基地であるキャンプ・シュワブに移設すれば普天間飛行場は閉鎖・返還されるから米軍基地の減少にもなる。辺野古移設は歓迎するべきであって、やむを得ず容認するものではない。
 県民投票そのものが非民主的であるから県民投票に反対しているのに投票しろというのは的はずれである。本当の問題は辺野古移設にイエスかノーだけを問う県民投票が民主主義の精神にそぐわないことである。
 投票の在り方が本質の議論であり、県民投票を押し付けるのは地方自治権を押さえつける中央集権のイデオロギーである。投票の在り方こそが本質論である。

 新報社説が中央集権主義あることを露骨に表しているのが次の文章である。

地方自治法177条によると、議会が予算案を否決した場合、市町村長は再議に付す必要がある。議会が再度経費を削除、減額しても、市町村長は予算を計上、支出できる。
       琉球新報社説
 新報のいう通り議会が反対しても市町村長の権限で県民投票ができる。行政の長が市町村長であり、立法機関が議会であるが、市町村民の選挙で選ばれた首長は権限が強く、議会が否決しても首長の判断で県民投票を実施することができる。新報は首長の権限で県が決定した県民投票を実施できることを強調しているが、県民投票を実施するのは首長の判断が左右するのであって県が強制できるものではない。それに議会の議決に反する行為が民主主義といえるのか。
 議会が否決した場合、首長は県民投票に賛成なら再議に付すことができるが議会と同じ考えなら祭儀に付さなくてもいい。地方自治法177条を実施するか否かは主張の自由である。義務ではない。それを義務であるかのように新報社説は書いている。理由は県が決めたことは地方は従わなければならないと考えているからである。これは県に市町村は従わなければならないという中央集権丸出しのイデオロギーである。

 県民投票はやるべきではない理由が県民投票条例の第9に書いてある。
第9条
1 県民投票において、賛否いずれか過半数の結果が、投票資格者総数の4分 の1以上に達したときは、知事はその結果を直ちに告示するとともに、これを尊重しな ければならない。
2 知事は、内閣総理大臣及びアメリカ合衆国大統領に対し、速やかに県民投票の結果を 通知するものとする。

 知事が県民投票の結果を告示し尊重するのは当然である。しかし、県民投票の結果は内閣総理大臣とアメリカ合衆国大統領に通知するだけである。条例が示しているのは、辺野古移設に賛成であれば建設工事に県が国に協力し、反対であれば辺野古工事を国と県が止めるのを目的にした県民投票ではないことである。
 辺野古移設の賛否を問う県民投票であるならば辺野古移設に影響を与える政治的な効果がなければやる意味がない。

 県税5億4432万7千円と市町村税数億円を使っても県民投票の結果が県民になんの利益もないのが今回の県民投票である。県民になんの利益ももたらさない県民投票はやる価値がない。
 辺野古移設は現実問題であり、現実に移設を推進するか阻止するかである。辺野古移設は民主的な手続きによって決まった。阻止できるのは民主的な手続きのみである。辺野古飛行場建設を阻止するには政府と名護市長が阻止で合意する以外にはない。そして、埋め立ては県知事と政府が埋め立て中止に合意することだけが埋め立てを阻止することができる。
デニー知事が埋め立てを阻止するには政府を説得して埋め立て中止を合意させる以外にはない。埋め立てを阻止すれば辺野古飛行場は建設できないから辺野古移設を阻止することができる。政府を合意させることができなければ埋め立てを阻止することはできない。だから辺野古移設を阻止することはできない。それが現実の辺野古移設問題である。
県民投票で移設反対の結果が出てもデニー知事は政府に通知するだけである。そんなことで政府を動かすことはできない。政府になんの影響も与えないことがはっきりしている県民投票である。
政治になんの影響もない県民投票はやるべきではない。

議会制民主主義・法治主義・地方自治権を否定しているのが琉球新報流の民主主義である。
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