議会制民主主義国家樹立こそがシリア難民を根本的に解決






新発売・沖縄内なる民主主義8 A4版  148ページ
定価1620円(税込み)

本土取次店 (株)地方・小出版流通センター
http://neil.chips.jp/chihosho/ TEL.03-3260-0355 
chihosho@mxj.mesh.ne.jp
県内取次店 株式会社 沖縄教販
電話番号098-868-4170
shopping@o-kyohan.co.jp

みなさんの意見・感想は
ヒジャイ掲示板へ

ヒジャイ掲示板



にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
クリックお願いします


翁長県知事公選法違反告発状が沖縄県警に正式に受理される





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

オスプレイの民間機AW609のデモンストレーション映像を紹介する。360度回転、左移動、右移動、バックが自在である。とにかくすごい飛行機である。新聞社やテレビ局とても欲しい飛行機である。
画像をクリックすればユーチューブ映像になります。



アラブの春は終わっていない
2010年12月17日、チュニジア中部シディ・ブジド(英語版)(スィディ・ブーズィード)にて失業中だった26歳の男性モハメド・ブアジジ(ムハンマド・ブーアズィーズィー)が果物や野菜を街頭で販売し始めたところ、販売の許可がないとして警察が商品を没収。これに抗議するためにガソリンをかぶり火をつけ、焼身自殺を図った。
このトラブルがブアジジと同じく、大学卒業後も就職できない若者中心に、職の権利、発言の自由化、大統領周辺の腐敗の罰則などを求め、全国各地でストライキやデモを起こすきっかけになった]。次第にデモが全年齢層に拡大し、デモ隊と政府当局による衝突で死亡者が出るなどの事態となった]。やがて高い失業率に抗議するデモは、腐敗や人権侵害が指摘されるベン=アリー政権の23年間の長期体制そのものに対するデモとなり、急速に発展していった。その後、チュニジアの政権は崩壊した。
チュニジアでの一連の出来事はジャスミン革命と呼ばれ、瞬く間にアラブ諸国へ伝わった。

ヨルダンではサミール・リファーイー内閣が2011年2月1日に総辞職。エジプトでは30年以上に亘るホスニー・ムバーラク大統領下による長期政権が崩壊した。リビアも42年間に及ぶカダフィ政権が崩壊した。イエメンではこれまで続いてきた抗議運動の高まりにより、北イエメン時代から約33年間に渡り政権を維持してきたサーレハが大統領権限を委譲し辞職するに至った

民衆の力で独裁支配が崩壊していった時、アラブに民主主義国家が次々と誕生すると期待されたが、現実は違った。
 政権の打倒が実現したエジプトやリビアでは国内の対立や衝突が起きるなど政治は混乱した。他のアラブの国々も政治混乱し民主化は滞った。シリアでは内戦に発展し、22万人が死亡し、人口2200万のうち400万人以上が難民になった。ISISの登場によってアラブはますます混乱している。

「イスラーム国などの過激派によるテロリズムの世界的な拡散、難民・移民の大量発生、そして、それにともなう世界各地での憎悪、不寛容、暴力の再燃。今や中東には希望ではなく絶望が蔓延し、その絶望は中東を越えて世界を覆い尽くそうとしているように見える」と「アラブの春は挫折した」と考えるマスコミや評論家は多い。しかし、それは早計である。

 アラブの民主主義の火は消えていない。議会セ民主主義国家を築くには長い時が必要だ。1968年にチェコスロバキアで民主化運動が起こった。それをプラハの春と呼んだ。しかし、ソビエト連邦軍主導のワルシャワ条約機構軍による軍事介入によって潰された。
 チェコスロバキアが議会制民主主義国家になったのは1989年である。プラハの春から21年後だ。民主化は簡単に実現できるものではない。粘り強い長い闘いによって実現できるものだ。
 アラブの春で民主化の芽が出て来た。春先のまだ寒い春の中で民主化の芽は寒さに耐えながらしかし着実に育っている。プラハの春がアラブの花であるなら、やがてアラブにもチェコスロバキア、東ドイツ、ハンガリー、ルーマニアなどの東ヨーロッパのように民主化革命が必ずやってくる。

ジャスミン革命を起こし、アラブの春の走りとなったチュニジアでは政治混乱を繰り返しながらも民主化は発展していって議会制民主主義国家になった。
2011年10月に新憲法制定のための議会(制憲国民議会)議員を選出する選挙が実施された。同選挙はチュニジア史上初の自由選挙である。選挙の結果,大統領・首相・議長ポストが決まったが、2013年2月に野党「民主愛国主義者運動」のベライード党首暗殺事件が発生し、政治混乱が起こるが、2014年10月には新憲法下で初となる議会選挙が実施された。そして、2014年11月から12月にかけて革命後初の直接大統領選挙が実施された。そして、連立内閣が成立して革命後初の本格政権が発足した。
ベン・アリ政権下では,言論・報道の自由,情報アクセス権の制限,政府による検閲等,政府による人権の抑圧が指摘されていたが,革命後の新政権はこれらの自由・権利を認めた。その結果,多くの報道機関が生まれ,NGO等の市民活動が活発になった。
しかし、他方で労働争議や暴力的な抗議活動,また,サラフィストと呼ばれる保守的なイスラム主義者による暴力行為が頻発し,これが経済活動を停滞させることになったのも事実である。チュニジアは多くの問題を抱えているが民主化への道を着実に歩んでいくだろう。

ミャンマーの民主化
スー・チー氏が率いるNLDが大勝利
「2011年の民政移管後初となるミャンマー総選挙で、アウン・サン・スー・チー氏(70)が率いる最大野党・国民民主連盟(NLD)が改選議席の8割を獲得し、政権交代が実現する見通しとなった。
 地元メディアが10日、NLDの独自集計の結果として伝えた。

 総選挙は、上院(定数224)と下院(同440)の計664議席のうち、軍に割り当てられている軍人枠(166議席)を除く498議席が対象。地元紙ミャンマー・タイムズ(電子版)によると、NLDは上院で135議席、下院で271議席を獲得し、軍に配分されている「軍人枠」を考慮しても、政権交代に必要な過半数に達する見通しとなった。

 総選挙では、テイン・セイン大統領(70)の与党・連邦団結発展党(USDP)が民政移管後の改革路線の実績を強調した。NLDは、国民の圧倒的な人気を誇るスー・チー氏を前面に出して変革を訴え、選挙戦を優位に進めていた。憲法の規定で、息子が外国籍のスー・チー氏は大統領に就任できない。大統領選出手続きは、総選挙結果を反映した議会で行われる。

 連邦選挙管理委員会の公式発表によると、10日午後6時現在(日本時間午後8時30分現在)、確定した121議席のうち、NLDが107議席を獲得し、USDPは7議席にとどまっている」(読売新聞)
 アウン・サン・スー・チー氏(70)が率いる最大野党・国民民主連盟(NLD)が改選議席の8割を獲得し、政権交代が実現する見通しとなった。素晴らしいことである。

 タイが軍事政権に戻り、エジプトも軍事政権が続いている。議会制民主主義の実現は困難である。
 ミャンマーでも軍人枠(166議席)があり、まだ議会制民主主義とまではいっていないが、軍人枠があってもNLDが過半数を獲得した。ミャンマーの民主化は大きく前進するだろう。
 ただ、ミャンマーの民主化には軍人の理解が大きく貢献しているのも忘れてはならない。テイン・セイン大統領の民主化への貢献も忘れてはならない。そして、米国のミャンマーの軍事政権への経済制裁も大きい。
 アウン・サン・スー・チー氏、テイン・セイン大統領、米国などの総合的な努力がミャンマーの民主化を実現した。
 これからアウン・サン・スー・チー氏には大きな試練が待っている。
「「正直、国民はNLD候補者の大半が嫌いです。NLDという組織も魅力的だとは思っていない。にもかかわらずNLDに投票したのは、変革を求めたから。その一点です」。地元紙ミャンマー・タイムズの政治部キャップ、イイトールイン記者(33)は、NLD躍進の背景をこう分析した。

 スー・チー氏は選挙遊説で「候補者個人ではなく、党の名前(NLDかどうか)で投票してほしい」と繰り返した。候補者について「玉石混交。当然教育する」との本音を吐露したことがある。候補者に対して「メディアの個別取材に応じてはならない」とかん口令も出した。全体の15%と女性が比較的多くを占める候補者は、いわば「駒」だ。あえて有能な人材を登用しなかった面もあり、有権者には不評だった。

 ある選挙区から下院選に出馬した女性(27)は法律を学ぶ現役の学生で、政治囚として2年間服役した経験がある。公募で選ばれた彼女はかん口令について「余計なことを話して問題になる可能性があり、微妙な時期なので仕方がない」と漏らした。これに対し、テイン・セイン氏が率いる与党USDPの候補者は、軍出身者だけでなく、法律家、ビジネスマンなど年齢層も高く、NLDに比べ地元の「名士」と呼ばれる人物が多いのが特徴だ」(毎日新聞)

スー・チー氏率いるNLDは政治に素人の人間が多いことである。人気では政治はできない。NLDが政権を握ったとしても政治をうまくこなせることができないで混迷する可能性が高い。スー・チー氏の政治手腕が問われる。
 しかし、ミャンマーの民主化は確実に進むたろう。

議会制民主主義国家樹立こそがシリア難民を根本的に解決
アフガン
 2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件をきっかけに米軍のアフガン進攻が始まり、タリバン政権を倒して15年になる。タリバン政権後は米国の指導により大統領も国会議員も国民の選挙で選ぶ議会制民主主義国家になった。 
タリバンのテロ行為は繰り返されているが内戦状態には発展していない。平和は維持されている。アフガンの平和維持には米軍の駐留が大きい。もし、米軍が駐留していなければ再びタリバン政権になっていた。450万人以上の難民も戻った。
一方、政府の腐敗のために民主化が進展しないという問題もアフガニスタンは抱えている。

イラク
イラクは大量破壊兵器の保有を過去に公言し、かつ現在もその保有の可能性が世界の安保環境を脅かしているとして米国、イギリス、オーストラリア、ポーランド等が加わる有志連合の軍事介入でフセイン軍事独裁支配が崩壊した。新しいイラクは大統領、国会議員を選挙で選ぶ議会制民主主義国家になったが、シーア派とスンニ派の宗教対立が原因となりイラクの民主化は進まなかった。
2011年12月には米軍は完全撤収した。

イラクではイスラム教はシーア派が人口の60%、スンニ派が20%を占めているがフセイン政権時代はスンニ派が優遇されてきた。しかし、フセイン政権が倒れ、マリキ首相が政権を樹立すると、出身母体のシーア派を優遇した。
マリキ首相は首相就任直後はスンニ派との融和を目指していだが、11年の米軍撤退後、軍や主要官庁の高官をシーア派で独占して、シーア派の独善的な政権運営をするようになった。スンニ派住民の抗議デモは強制排除した。
米軍の撤退により、宗教対立はますます激しくなり、軍部は腐敗し、弱体化していった。
ISISがイラクに侵略すると弱体化したイラク軍は戦わずして敗退をした。ISISのイラク侵略が成功したのはイラク政権の宗教対立と軍の腐敗が原因だ。米軍の空爆支援がなければイラクがISISに支配されたいた可能性は高い。
アフガニスタンには米軍が駐留していたからタリバンに侵略されることはなかった。イラクは米軍が駐留していなかったからISISに侵略された。そして、米軍が空爆などで支援したからISISの侵略拡大を防いだのである。アフガン、イラクを見れば米軍が両国の民主化と平和に貢献していることが分かる。

2011年にチュニジアで起きたジャスミン革命の影響によってシリアでも民主化運動が始まった。シリアでの抗議運動は初めのうちはささやかなものであったが、アサド政権の無慈悲な弾圧にデモは勢いを増していった。
デモ隊の要求は、全ての政治犯の釈放、抗議者を殺害した者に対する裁判の実施、48年間に及ぶシリア非常事態法の撤廃、さらなる自由、及び汚職の終息であった。シリア各地の主要都市で一斉にデモが行われ抗議運動が拡大し、武力衝突による内戦へと発展していった。
内戦は長引き、2013年以降のシリア内戦の死者数は26万758人に達した。難民は登録されているだけでも400万人を超える。

難民受け入れを巡っては国際的な問題になっている。 ドイツでは日々増加する難民に激怒する国民が急増している。ドイツにやって来た難民達への待遇は医療費、保育園、ドイツ語教育が無料、月約17万円の生活支給(4人家族)、1家族に1部屋を割り当てする。
 難民反対のドイツ人の声
「ドイツが築いた富にたかるなんて許せない」「メルケルが今やってるのはドイツ国民の税金を使って、イスラム難民を優遇してるだけになってる!」「老人ホームは造らないくせに寄生虫みたいなやつらの施設はつくる」「まるでドイツを占領するような勢いだ。ドイツ社会になじもうとしていない」「このままではドイツやヨーロッパはメチャメチャになってしまう」
難民待遇に反発するドイツ国民は増加している。それは当然だ。

アフガン、イラク、シリア、ドイツを検討していって確信できることは、シリア難民の根本的な解決は受け入れにあるのではなく、シリアの議会制民主主義国家の樹立にある。議会制民主主義国家を武力で破壊しようとするテロ組織を国際連合軍で壊滅させることである。アフガンとイラクの独裁国家を倒して議会制民主主義国家を樹立させた米国は正しい。シリアが議会制民主主義国家になり、テロを壊滅させれば難民問題は根本的に解決する。

【沖縄の声】熊本地震オスプレイ派遣に対する沖縄二紙の報道はヒューマニズム[桜H28/4/22]
2016/04/22 に公開
平成28年4月21日木曜日に放送された『沖縄の声』。本日は、キャスターの又吉康隆­がテーマ「熊本地震オスプレイ派遣に対する沖縄二紙の報道はヒューマニズム」、コラム­コーナー”又吉康隆のこれだけは言いたい”では「沖縄の内なる民主主義8を出版」につ­いて解説いただきます。
※ネット生放送配信:平成28年月4月21日、19:00~
出演:
  又吉 康隆(沖縄支局担当キャスター)

※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千­人委員会』の会員を募集しております。以下のページでご案内申し上げておりますので、­全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます。
http://www.ch-sakura.jp/579.html
◆チャンネル桜公式HP
http://www.ch-sakura.jp/

チャンネル桜映像




「大阪で生まれた女」は萩原健一の歌で有名であるが、「大阪で生まれた女」が18番まであるのには驚いた。この歌は女の半生の歌であり、今までのイメージとは違った。いい歌である。萩原健一の歌もボロの18番までの歌もいい。

【ドラマ】「大阪で生まれた女」全18番のストーリーに大泣きしてください



大阪で生まれた女 上田正樹&桑名正博



萩原健一 「大阪で生まれた女」

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )