ジュゴンやサンゴより宜野湾市民の「命どぅ宝」



第1章 日本・沖縄の米軍基地はアジアの民主主義国家の平和に貢献している 第2章 戦後沖縄の非合法共産党・米民政府 第3章 辺野古移設の真実 第4章 辺野古埋め立ての真実 第5章 辺野古の真実を捻じ曲げた者たち 第6章 辺野古の真実を捻じ曲げた沖縄タイムス・琉球新報 第7章 辺野古の真実を捻じ曲げた翁長知事 第8章 辺野古の真実を捻じ曲げた落合恵子 第9章 辺野古の真実を捻じ曲げた宮崎駿 第10章 自民党県連批判 

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ジュゴンやサンゴより宜野湾市民の「命どぅ宝」

翁長知事の「埋め立て承認取り消しは違法」だといって12人の宜野湾市民が翁長知事を提訴した。原告団の団長である平安座唯雄氏は「承認取り消しで普天間飛行場の返還が遅れれば、騒音被害や墜落の危険にさらされたまま、住民の生存権が侵害された状態が続く」と主張している。
 平安座唯雄氏の言う通り、辺野古移設は宜野湾市民の命の危険性や騒音被害をなくすのが目的であり、宜野湾市民の生存権の問題である。
 辺野古移設に反対するということは宜野湾市民の命をないがしろにすることである。

 辺野古移設問題はジュゴンの命と宜野湾市民の命とどっちを大事にするかという問題である。私は宜野湾市民の命が大事だと思う。もし、辺野古飛行場を建設するために二匹のジュゴンが死ぬとしても私は辺野古移設に賛成である。沖縄のジュゴンが死滅しようとも私は辺野古移設に賛成である。そして、辺野古移設でサンゴが死滅しようとも私は辺野古移設に賛成である。サンゴの命より宜野湾市民の命が大事だからだ。ジュゴンやサンゴより人間の命が大事だと私は考える。
 しかし、キャンプシュワブで辺野古新基地反対を主張し辺野古移設に反対している人々は宜野湾市民の命よりジュゴンやサンゴの命が大事だと主張しているようなものである。名護市長は「ジョゴンを守ろう」と主張して辺野古移設に反対した。名護市長も宜野湾市民の命よりジュゴンの命を大事にしているのである。
 宜野湾市民は名護市長やキャンプシュワブに集まる県民と同じ県民である。そして人間である。自分たちと同じ県民であり人間である宜野湾市民よりなぜジュゴンやサンゴの命が大事なのであろうか。動物の命も自然環境も大事ではある。守らなければならない。しかし、辺野古移設の場合は宜野湾市民の命とジュゴン・サンゴの命のどちらを選ぶかの問題である。キャンプシュワブに集まる辺野古移設反対の人々はジュゴン・サンゴの命を選び、宜野湾市民の命を見放しているのである。どうして市民の命を見放したのか私は納得できない。

 2004年8月13日沖縄国際大学に米軍ヘリコプターが墜落した。死者が出なかったことが奇跡とも言われたくらいの大事故であった。

 普天間飛行場のヘリコプターが宜野湾市内に墜落するということが現実となったのである。次にヘリコプターが墜落すれば確実に宜野湾市民の命が奪われる。普天間飛行場が宜野湾市民の生存を脅かす深刻な存在であることを知らしめたのが沖国大のヘリコプター墜落であった。
 その時には普天間飛行場を辺野古の沖に移設することが決まっていた。多くの県民は一日も早い辺野古沖移設を願ったはずである。しかし、辺野古沖移設に反対する集団がいた。キャンプシャワブで辺野古移設反対で結集している人たちの仲間である。
 彼らは、政府がボーリング調査をしようとした時、やぐらを占拠してボーリング調査の邪魔をした。


 写真で分かるように、ボーリングの邪魔をしているのが沖国大にヘリコプターが墜落した同じ年の2004年である。彼らの激しい妨害活動はヘリコプター墜落後も続き、政府は翌年の2005年06月にボーリング調査をあきらめ、事実上辺野古沖移設を断念した。 
ボーリング調査を阻止した理由にジュゴンも絡んでいた。施設局側は4月26日未明から作業を始め、夜間、作業船を出してきたが、5月30日から、夜間は作業船を出さず、警戒船の巡視だけにし、夜間作業は「当面見合わせる」としたが、周辺海域のジュゴンの生態を守るため夜間は作業をしないで、日中だけに限定した作業をするように移設反対は要求していたために夜間作業をしなかった。しかし、日中は反対派の妨害行為が激しく作業ができなかった。そのために夜間作業を始めたが、反対派が猛反発した。そのために施設局側は夜間作業を断念したのである。昼は反対派の暴力によるやぐら占領があり作業ができない状態だったので、夜間作業の断念はボーリング操作を断念するのと同じであった。夜間作業の断念は辺野古沖移設の終焉であった。
 沖国大へのヘリコプター墜落があってもボーリング調査を徹底して妨害した辺野古移設反対派は宜野湾市民の命よりジュゴン保護が大事だったのである。宜野湾市民の命は辺野古移設反対派にとって虫よりも軽いものであったのだろう。

沖国大のヘリコプター墜落から10年以上が経った。県民の記憶の中からヘリコプター墜落は次第に風化していっただろう。それにつれて普天間飛行場の危険性に対する気持ちも薄れていった。そして、宜野湾市民の命に対する思いも軽くなっていった。
辺野古移設反対はキャンプシュワブに集まっている人たちだけではない。70%以上の県民が辺野古移設に反対である。宜野湾市民の命より辺野古の自然を守るのが大事というわけである。ヘリコプター墜落の風化とともに普天間飛行場の危険性を県民の多くが感じなくなったのだろう。
しかし、普天間飛行場の周辺に住む市民は違う。オスプレーが普天間飛行場に配備された時、沖縄2紙はオスプレーを「空飛ぶ棺桶」と呼び、墜落する可能性が高いことを新聞のトップに何回も何回も掲載した。最近ハワイで墜落したオスプレイについても沖縄2紙は大々的に報道した。普天間飛行場の周辺の市民はますます恐怖が募っただろう。
普天間飛行場の危険性はますます高まり宜野湾市民の心配もますます高まっているのが現状である。だから、宜野湾市民12人は辺野古埋め立て承認を取り消した翁長知事を訴えたのである。

キャンプシュワブの辺野古移設反対派の人々が反戦平和の格言として誇示しているのが「命どぅ宝」である。米軍がアフガンに進行した時、戦争の犠牲者はか弱い女性や子供であると言い、「命どぅ宝」を掲げてアフガン戦争に反対した。彼らは戦争反対には「命どぅ宝」を誇示するが普天間飛行場の危険性に対しては「命どぅ宝」は使わないし、宜野湾市民の命にも目を向けない。
宜野湾市民の命は大事である。できる限り命の危険性や騒音被害はなくすべきである。それには一日も早い辺野古への移設が必要である。辺野古移設は埋め立て申請が承認され、ボーリング調査はもう少しで始まろうとしている。埋め立て工事も始まった。

70%以上の県民が辺野古移設に反対している中で宜野湾市民は孤立している。それではいけない。ジュゴンやサンゴの命より宜野湾市民の命が大事である。宜野湾市民の「命どぅ宝」である。ジュゴンやサンゴの命より人間の命が大事だと考えるなら県民は辺野古移設に賛成するべきだ。

辺野古移設は米軍基地問題ではない。宜野湾市民の生存権の問題だ。
ジュゴンより宜野湾市民の「命どぅ宝」。
サンゴより宜野湾市民の「命どぅ宝」。
私はそのように考える。多くの県民が翁長知事を提訴した宜野湾市民原告団の主張を理解し、支持してほしい。
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