国家の第一は民主主義である。美しさとか品格はまやかしの国家論である。新聞に掲載されている論文を中心に批判する。
品格より民主そして自由
辺野古の陸も海も辺野古区民のためのものだ
「かみつく」を改名「沖縄 民主主義4」
定価1000円(税抜)
12月県内書店で発売予定
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辺野古の陸も海も辺野古区民のためのものだ
東海岸の辺野古と名護市の中心街である西海岸の名護とは十キロも離れ、間には山がある。環境も生活も違っていて関係が薄い。辺野古の海と陸について名護市民が決定する権利はない。
辺野古の陸と海は先祖代々守り続けてきたのは辺野古の民である。辺野古の陸と海の決定権は辺野古区民にあるのはいうまでもない。戦後間もない頃、米軍が土地接収しようとした時、辺野古の土地を守るために米軍と直接交渉したのは辺野古民である。
名護市長といえども勝手に辺野古の土地と海を自分の思う通りにするのは許されないことである。
辺野古移設反対を主張した稲嶺氏を選んだのは辺野古とは別社会の西海岸の市民であり、辺野古区民ではない。
辺野古の陸と海のことは辺野古区民が決める。
それこそが地元の意思を尊重する民主政治である。
国や県が決めた辺野古移設を辺野古の民意を無視して反対する稲嶺市長はあまりにも身勝手である。独裁者である。稲嶺市長は辺野古区民を虫けらのように扱っている。民主主義では許されないことだ。
辺野古区民が移設賛成している間は辺野古移設反対する権利は稲嶺市長にはない。
辺野古の陸と海は辺野古区民のためにある。辺野古区の民意こそが辺野古の陸と海の行方を決定するのだ。
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