八月十五日・・・昭和天皇の「聖断」







「かみつくⅢ 」の目次
目次

維新の会が沖縄の政治を変革する  又吉康隆

生徒に一番必要なのは学力だ  三
大坂維新の会と沖縄の政党そうぞうが協定を結ぶ 一一
維新の会が沖縄の政治を変革する  一三

橋下市長と慰安婦問題  二八

関西ネットワークの大嘘はまる隠しされた  四九

ブログ・狼魔人日記  江崎孝

稲嶺名護市長、選挙違反で告発さる  七九
浦添市長選「無党派」松本哲治氏(四十五)初当選 八五

ブログ・光と影  古代ヒロシ

那覇から普天間に民間空港を移転できないか?  八八

じんじんのブログ  じんじん

米統治により、
沖縄は近代化されたことを忘れてはダメ   九三
                        
ブログ・沖縄に内なる民主主義はあるか
                     又吉康隆

二年連続教え子へのわいせつ行為ができる島・沖縄 九五


短編小説  又吉康隆
港町のスナックはてんやわんや  九九


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本当の天皇とは・・・・


集団自決は軍命令がなかったことが「パンドラ裁判」で明らかになった。軍命令はなかったが集団自決は起こった。なぜ集団自決は起こったのか、原因はなにか。
集団自決の根本的な原因を証明するために明治から昭和にかけての歴史を調べていると、昭和天皇が太平洋戦争を終わらした時の言葉を見つけたので掲載する。

「聖断」(せいだん)
 ①天皇が決断したことを敬して差す言葉。
 ②昭和二十年八月九日、同年八月十四日にそれぞれ開かれた「最高戦争指導会議」に於いて、天皇が下した戦争終結に関する決断のことを言う。
 昭和二十年八月九日の会議で争点となったのは、ポツダム宣言の受諾に関する条件の付加であった。

 鈴木貫太郎首相、東郷茂徳外相、米内光政海相は、条件は「国体護持」の一点のみにすべきだと主張したのに対して、阿南惟幾陸相、梅津美治郎参謀総長、豊田副武軍令部総長は、「皇室存置の確認」、「自主的な国外からの撤兵」、「戦争責任者を日本主体で裁くこと」、「日本を保障占領せざる事」の四点を受諾条件に挙げ、譲らず、時刻は移り、鈴木首相が起立して、天皇に対しおそれながら、聖断を求めたのである。

 天皇は、鈴木首相に席に復するように指図すると、
「それならばわたしが意見を言おう。わたしの意見は、先ほどから外務大臣の申しているところに同意である」
 と前提した上で、大要下のように語った。
 (軍部は)本土決戦本土決戦と云ふけれど、一番大事な九十九里浜の防備も出来て居らず、又決戦師団の武装すら不十分にて、之が充実は九月中旬以後となると云ふ。飛行機の増産も思ふ様には行って居らない。いつも計画と実行とは伴はない。之でどうして戦争に勝つことが出来るか。勿論、忠勇なる軍隊の武装解除や戦争責任者の処罰等、其等の者は忠誠を尽した人々で、それを思ふと実に忍び難いものがある。而し今日は忍び難きを忍ばねばならぬ時と思ふ。明治天皇の三国干渉の際の御心持を偲び奉り、自分は涙をのんで原案に賛成する。
                                         「木戸日記」(1223ページ)
 こうして「国体護持」の一点が受諾条件となったが、八月十二日のバーンズ国務長官の回答はこれをも否認するものであった。
 八月十四日の指導会議はまたも紛糾、鈴木首相、東郷外相、米内海相が「即時受諾」をかかげ、阿南陸相と梅津、豊田の両統帥部総長は再照会を主張してまたも会議はまっぷたつに割れた。
 鈴木首相は、二度目の聖断を求めた。

 二度目の聖断の記録を、下村海南・情報局総裁がのちにしている。これは、米内海相、左近司国務相、太田文相の手記と照合し、鈴木首相の校閲も経た、もっとも真に近いものだという。

 外に別段の発言がなければ私の考を述べる。
 反対側の意見はそれぞれよく聞いたが私の考は此前に申したことに変りはない。私は世界の現状と国内の事情とを十分検討した結果、これ以上戦争を継続することは無理だと考へる。

 国体問題に就いて色々疑義があるといふことであるが、私は此回答文の文意を通じて先方は相当好意を持って居るものと解釈する。先方の態度に一抹の不安があると言ふのも一応は尤もだが私はさう疑ひたくない。要は我国民全体の信念と覚悟の問題であると思ふから、此際先方の申入を受諾してよろしいと考へる、どうか皆もさう考へて貰ひたい。

 更に陸海軍の将兵にとって武装の解除なり保障占領と云ふ様なことは誠に堪へ難い事で夫等の心持は私には良くわかる。しかし自分は如何にならうとも万民の命を助けたい。此上戦争を続けては結局我邦が全く焦土となり万民にこれ以上の苦悩を嘗めさせることは私としては実に忍び難い。祖宗の霊にお応へが出来ない。和平の手段によるとしても素より先方の遣り方に全幅の信頼を措き難いことは当然ではあるが、日本が全く無くなるという結果にくらべて、少しでも種子が残りさへすれば更に又復興と云ふ光明も考へられる。
 私は明治大帝が涙を呑んで思ひ切られたる三国干渉当時の御苦衷をしのび、此際耐え難きを耐え、忍び難きを忍び一致協力、将来の回復に立ち直りたいと思ふ。今日まで戦場に在て陣没し或は殉職して非命に倒れたる者、又其遺族を思ふときは悲嘆に堪へぬ次第である。又戦傷を負ひ戦災を蒙り家業を失ひたる者の生活に至りては私の深く心配するところである。此際私としてなすべきことがあれば何でも厭はない。国民に呼びかけることが良ければ私はいつでも「マイク」の前にも立つ。一般国民には今まで何も知らせずに居ったのであるから突然此決定を聞く場合動揺も甚しいであろう。陸海軍将兵には更に動揺も大きいであらう。この気持をなだめることは相当困難なことであろうが、どうか私の心持をよく理解して陸海軍大臣は共に努力し、良く治まる様にして貰ひたい。必要があれば自分が親しく説き諭してもかまはない。此際詔書を出す必要もあらうから政府は早速其起案をしてもらひたい。
 以上は私の考えである。
                                       下村海南「終戦記」(152ページ)



「天皇メッセージ」なるものを取り上げて、昭和天皇は沖縄を米軍に差し出して命乞いをしたなどと主張する人たちがいる。大田昌秀を筆頭にした左系の学者や運動家たちだ。あまりにもゲスな主張なので「天皇メッセージ」に反論するのもバカバカしく、私は「天皇メッセージ」批判をやらなかった。
 天皇が命乞いをすると考える人間はゲスだ。彼らに「小心者で俗的なお前たちと天皇は違う」と私は言いたい。昭和天皇は自分の命を惜しむ気持ちは全然なかった。必要であればいつでも死ぬ覚悟を持っていた。それが昭和天皇だった。
「しかし自分は如何にならうとも万民の命を助けたい」
 と昭和天皇ははっきりと言っている。昭和天皇は敗北宣言をすると決めた時、死を覚悟したはずである。昭和天皇が望んでいたのは自分が生き残ることではなかった。日本国民が生き残ることだった

 昭和天皇は驚くほど状況を把握していた。軍部のこと、敵国のこと、国民のこと、そして自分がなにをするべきか。
 「国民に呼びかけることが良ければ私はいつでも『マイク』の前にも立つ」と国民を混乱させない方法まで考えている。
昭和天皇の「聖断」を読めば昭和天皇が命乞いをしたなんてバカバカしいことが分かる。私は昭和天皇、今上天皇(現在の天皇)を崇拝はしていない。しかし、とても尊敬している。
「平成天皇」と呼んだ場合は(それが確定されていなくても)諡号に当たるので、存命中であらせられる陛下に対して使うのは不敬の極みにあたります。ただ、平成を時代の名前として「平成の天皇」とか「平成の帝」という呼び方はあると思います。ただし、これは正式な呼び方ではありませんので、公的な場では「今上天皇」や単に「天皇陛下」とお呼びするのが正しいかと思います」



40年以上も前の私が学生の頃、昭和天皇を批判する学生が多かった。しかし、私は皇太子が一般人である美智子さんと結婚したことや天皇一家の行動を見ていると本当の昭和天皇は民主主義を理解していたのではないかと思った。調べてみると昭和天皇が皇太子の時にイギリス留学をしていたことが分かった。昭和天皇が若かりし頃はイギリスをかなり気に入っているようだった。
 昭和天皇が望んでいたのは民主主義国家ではなかったのか。そして、「君臨すれど支配せず」のイギリス式の天皇制を望んでいたのではなかったかと私は思った。ただ、天皇制追究に熱心であったわけではなかったから、私の天皇への追究はそれで終わった。

 「国家とは共同体的幻想である」というマルクスの言葉がある。つまり、国家というのは本当は存在していない、国民の幻想であるということである。私は国家を天皇に置き換えてみた。「天皇とは共同体的幻想である」。すると、国民が崇拝している昭和天皇は政府や軍部がつくり上げた幻想であったと想像できた。戦前の国民がイメージしていた昭和天皇は実物の天皇ではない。政府と軍部がつくり上げた幻想の昭和天皇だ。本当の昭和天皇が考えていることと政府と軍部がつくり上げた昭和天皇とは大きなずれがあるだろう。そう、私は考えた。学生の時、そう考えていたことを思いだした。

 今でも戦前の政府や軍部がつくり上げた幻想の天皇を信じている人達がいる。それを天皇崇拝という。天皇否定論者もまた戦前の政府や軍部がつくり上げた幻想の天皇を信じている。幻想の天皇への批判は政府や軍部への批判である。そのことに気づかなければ間違った天皇批判になる。
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