ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

吐く息をゆっくり吐くことによって気が動くことを知る

2009-01-19 17:45:52 | 
 生まれて以来、呼吸を意識することなしに、過ごしてきた私達ですが、呼吸を意識し、吐く息をゆっくり吐く事によって、目には見えませんが、体の中を動き回るものー気を感じることになります。 また、自分がイメージするとおりに、気が動くことも知ります。

 静かな暗闇の中で、ひとり呼吸法を伴いながら、胡坐を組んで座禅を行っていますと、体に微妙な変化を感じさせます。 意識しなくても、自然と感じるようになるのです。 

 私は、座禅仲間には、いつも座禅時間は最低でも1時間は行ってくださいと、話しています。 禅宗のお寺では、30分ぐらいの座禅時間が一般的のようですが、30分ではこれから本格的な練習をするための、野球の肩慣らしでしかありませんよ、ぜひ最低でも45分から1時間は、座禅を行ってくださいねと話します。

 何故か、自分で座禅を行って感じることですが、体の中を流れる気の動きは、30分ぐらいでは、まだ動きも硬く荒々しい感じがします。 その流れも、45分から1時間しますと滑らかになり、脳を刺激する感覚も、いわゆる至福感を感じるような雰囲気になってきます。 座禅の真髄は、脳や心を癒してくれる感覚を、与えてくれることではないかと、深夜に行う座禅の雑念として、いつも感じることなのです。

伊倉姓を訪ねて旅をして

2009-01-17 09:56:17 | 文化
 友人に伊倉という方がいます。 仕事を退職してから、日本全国の鉄道路線を踏破したという話をしながら、最後に行った熊本の肥後伊倉という駅に関する話をしてくれました。 

 伊倉という姓名は、余りないそうですが、駅を降り立ってから、観光案内所で伊倉神社があるのを知り、電話で連絡し、自分が伊倉姓であることを、事前に話したそうです。 すると神主さんが正装で出迎えてくれ、伊倉神社にまつわる様々な話をしてくれたそうです。 

 話を聞いた後で、弟の分も含め神社で売っているお守りを、お土産に買ったそうですが、お金を払おうとしたら、神社を守る立場からすれば、伊倉さんは神様みたいなもので、お金は要りませんと言われたとのことです。

 東京に帰ってきて、弟さんに事の次第を話した折に、どうも静岡の御殿場の方に、伊倉姓の方がいるらしいと聞き、今度は御殿場にふらりと行きました。 やはり駅前の観光案内所に入り、伊倉姓を訪ねてきたことを話したところ、観光案内するボランティアを紹介され、電話で話してもらったら、何か用がありその時案内することは難しいような雰囲気でしたが、電話を変わり直接話をしたところ、何かを感じたらしく、快く案内してくれたといいます。 

 そこで分かったことは、新田義貞が出てくるころ、争いの渦中で天皇の皇子を守る軍勢の下級武士として九州から参加し、戦いの後でそのまま御殿場の地に、住み着いたという話を聞きました。

 友人の伊倉さんは、父親が新潟の直江津市ですが、今年から改めて新潟の伊倉姓を訪ねる旅をするということでした。 旅の話やその他自分が今までかかわった話をまとめ、本にして残すようですが、30部製作で15万円かかるということでした。 昨日は、人の話を聞きながらも、楽しいひと時でした。

逆腹式呼吸の良さはどこにあるか

2009-01-16 09:30:03 | 逆腹式呼吸
 呼吸法には様々なやり方があり、私自身は本でしか知らない。 それぞれのよさがあり、例えば長息法は、鼻で吸って口から吐く呼吸法です。 できるだけ長く吐く(おおよそ30秒から1分ぐらい)呼吸です。 私の友人が行っているというので、試してみましたが、1分近くできたことを記憶しています。

 また、息を吸って、息を止めて、息を吐くという呼吸を1分間の中で、1回転する呼吸法もあります。 これは息の途中で息を止めるという行為が、私達が生来行ってきた呼吸からすれば、不自然と感じますので、行ったことはありません。 ものの本には、余り色々な呼吸法を行うのは、よくないと書いてありましたので、逆腹式呼吸法以外は、行ったことがありません。 ただし、逆腹式呼吸の過程で胎息が行えるようになってからは、現在では座禅のときだけでなく、静かに動かないときには、胎息でいることが多くなりました。

 息をゆっくり吐くことによって、体の中にある気がイメージするように動くことを知ります。 逆腹式呼吸では、体の中へ息を吐いていきますので、宇宙に無尽蔵にある気が、自分がイメージするように体の中へ入っていきます。 体の中の経絡を通して入った気は、基本的には全て経穴(鍼や灸のツボ)から、排出されます。

 息を体の中へゆっくり吐く行為を通して、経穴の気の通りを調節する弁としての機能を、正常にもっていってくれます。 鍼や灸は、病に関係する部位の経穴(ツボ)を刺激することによって、病気の改善を図るのです。 病気になると、必ずその部位に関係するツボの、気の調節機能が悪くなるので、鍼や灸を施術するのです。

 逆腹式呼吸を普段から行っていれば、病気になりにくい体を作ることになります。 例え病気になったとしても、軽く済むのです。 どこか体の一部に具合が悪い部位がありますと、息を体の中へ吐いていったときに、その一部は次第に病に関係するツボのところで、溜まっていきます。

 私自身が座禅を始めた当初、腎臓の中に結石があり、電気ショックで破砕したものの、まだその一部が残っていましたので、息を体の中へ吐いていきますと、次第に息が体の中へ溜まり、もうこれ以上入らないという状況になったことがあります。 当時は何がなんだか分かりませんでしたが、今思えば、上記のようなことだったと推察されます。

 胸式肺呼吸で吐く息をゆっくり吐き、イメージで吐く息を体の中へ吐き、吐く息だけに意識を集中することによって、微妙に私達の体に変化を与え、その何かを感得できるのです。 それは自分自身で、実践することによってしか、感ずることはできません。

はじめ息音をたて慣れたら息音をたてなくする

2009-01-15 18:00:59 | 逆腹式呼吸
 胸式肺呼吸から逆腹式呼吸を行うにあたっては、当初は体の中へ吐く息を、自分自身で入っていくのを確かめるように、わざと息音をたてながら、吐いていきます。 吐く息だけに、体に入っていく息を追うようにして、そこだけに意識を集中します。

 私は、下腹にある臍下丹田が、実際どこにあるか分からず、どこだろうどこだろうと思いながら、息をゆっくりと体の中へ吐きながら、捜し求めていました。 今は丹田が、心臓のようにいつも動いていますので、どこにあるかはよく分かっていますが、当時は、丹田が動くことも知らず、ひたすら逆腹式呼吸を行いながら、座禅を行っていました。

 座禅を始めた時から、座禅は最低でも1時間は行っていましたので、今はそれが当たり前になっています。 始めた当初は、ガンに罹った友人の女性の無事を願い、3時間の座禅を行っていました。 意識さえ集中していれば、3時間はあっという間に過ぎてしまいます。 勿論、足の痺れもありません。

 私が大学の級友からの呼びかけで始めた静功会(静かな功ー座禅)は、初めから何も分からないのに、無我夢中で普段行っている胸式肺呼吸で、吐く息だけゆっくり吐き、ゆっくり長く吐こうとすると、自然に息は体の中へ吐くようになるのか、静かな空間で私の息音だけが、よく聞こえていたようで、1週間に1回の座禅会が3回終わったあとに、友人から「もう少し静かにしろよ」と注意を受けました。

 考えてみれば、日常的にあらゆる時間、場所を通していつも逆腹式呼吸を、目を瞑っては練習していましたので、そのころには、もうだいぶ呼吸に慣れていましたので、翌週からは体の中へ吐く息が、殆ど聞こえないようにするようにしました。

 初めから息音をたてないよりは、たてた方が息の動きを追うのには、分かりやすいのではないかと思われます。 体の中へ息が入るのが実感できるようになってから、息を立てないほうが、よいのではないかと感じます。

 できるだけ長く、細く息を体の中へ吐くことが、当たり前のようにできるようになったならば、体が微妙に変化する何かを、感じることができるようになるはずです。 呼吸を、座禅を楽しんでください。

座禅の時には上体をいかに力を抜きリラックスするかが大切

2009-01-14 08:22:52 | 座禅
 座禅を行う時に、一番大切なことは、肩の力を抜きいかにリラックスするかです。 お尻から頭のてっぺんまで、まっすぐに直立させます。 お尻全体でゆったり上体を受け止め、足の膝はあくまで、直立の状態を補足的に支持するだけに、とどめるべきなのです。

 然るに禅宗の作法ででは、お尻と両膝の3点で支持しなさいとあります。 高校時代に物理の授業を思い出せば、すぐ分かることですが、3角形の3点に力がかかれば、当然重心は3角形の中にできます。 上体はまっすぐに維持しなければならないのに、重心は上体の芯ではなく、両膝とお尻の中心との間にあることになり、状態を少し前傾姿勢にしないと、成り立ちません。

 3点で上体を維持することによって、本来はいかに力を抜くかに視点を置かなければならないのに、実際はどこかに力がかかってしまい、長く胡坐を組んだ座禅はできなくなります。 苦痛の中で座禅を行うことになってしまいます。

 禅宗の作法では、私は作法だけが一人歩きしてしまって、何故そのようにしなければならないかの考えを、述べてないことがあります。 

 座禅の時の座り方は、私が述べているように、お尻全体でどっかりと座り、あくまでも両膝は上体がいつまでも直立できるように、ふらふらしないように補足的なものとして、あるべきものと感じます。 そんなことをいつも深夜に行う座禅の雑念の一つとして、感じることなのです。

座禅会の交流がありましたー普門庵の新年会

2009-01-13 15:32:34 | 座禅
 昨日、月曜日から土曜日まで、毎朝5時から座禅を行っている方々と、第2、第4日曜日の朝7時からの座禅を行っている方たちとの交流会を兼ねて、新年会を行いました。 一品持ち寄りで会費1000円の集まりで、和尚さんも含めて12人の参加でした。

 毎朝、来られるようになって5年になる方は、5年前に、お寺で開かれる音楽会に参加しようと思い、早朝の散歩を兼ねてお寺を探していたら、朝早くから座禅を行っているのを知り、それ以来参加するようになったといいます。 その方は、現在75歳になる方です。 正月に座禅会がなかったときには、体の調子が悪かったと、話してくれました。 いつも暁天座禅会の参加者は、7,8人おられるということでした。

 私は、日曜日に2回参加しておりますが、自宅で深夜に1時間座禅を行ってから、また普門庵での座禅会に参加します。 一時期3時間の座禅を行ったせいか、足が痺れることはないのですが、寒くなってからは窓は閉め、玄関の扉だけは開いているだけですので、後半の座禅時に、丁度お線香の煙が私の傍まで漂ってきますが、私は、そのお線香の煙に弱く、唾液を飲み込むときなどに、微妙に韻頭部を刺激し、咳が出そうになって、いつもその苦しさを我慢するのが、大変です。

 涙を出しながら我慢したり、鼻水をたらしながらの座禅です。 どうしても我慢ができない場合は、紙で唾を出したり、静かな場の中で咳き込んだりしてしまいます。 冬場の寒い時期だけのことだとは思いますが、これから先が思いやられます。 

逆腹式呼吸と順腹式呼吸の違い-3

2009-01-12 09:49:19 | 逆腹式呼吸
 逆腹式呼吸は、ここでは下腹の動きはあえて無視します。 何故か。 それは胸式肺呼吸を行う中で、自然と下腹は、ものの本に書いてあるように動くからです。 むしろ下腹の動きを意識しないほうが、自然に逆腹式呼吸に移行するからです。

 大きく息を吸い胸を膨らまします。 すると下腹は、自然と凹みます(この事実は後から確認するだけでよいのです)。 吸った息を今度はゆっくりと吐いてきます。 鼻で息を吐くことを一切忘れ、体の中へ吐いていきます。

 喉から胸の中心を通り、下腹の臍下丹田(どこにあるかは分からないとは思いますが)へ向けて吐いていきます。 10秒以上(できれば15秒以上)かけて、ゆっくりと吐いていく息を追うようにして吐いていきます。 このようにイメージしながら吐いていくことが大切です。

 ゆっくり息を吐くことによって、忘れていた体の気を動かすことになります。 息を吐くときには、吐ききるつもりで吐いていきますが、全部吐ききると苦しくなりますので、そのちょっと手前で、また息を大きく吸い、繰り返しまた息を体の中へ、吐いていきます。 大きく吸ってゆっくりと体の中へ息を吐く、この単純な呼吸の繰り返しでよいのです。

 この呼吸に慣れてきますと、次第に息をいっぱい吸っているつもりでも、息を吸うことなしに、胸は膨らむ感じて下腹だけが凹むようになります。 息をゆっくり吐いていくときにも、息ではない何かが、体の中へ入っていく感じがしてくるはずです。 勿論、息を体の中へ吐いていくと、下腹は元の大きさに戻ります(膨らますという感じてはありません)。

 普段行っている胸式肺呼吸を、吐く息だけゆっくり吐く、吐く息を体のなかへ吐くだけでよいのです。 ほかの事は余り考える必要はないのです。 このような呼吸がスムーズに、リズムよくできるようになれば、逆腹式呼吸ができたも同然になります。 始めは、吐く息を自分でも聞こえるように、また体の中へ息が入っていくのを実感できるように、息音をたてるのが、この呼吸のコツです。 呼吸を楽しんでください。 座禅を楽しんでください。

逆腹式呼吸と順腹式呼吸の違い-2

2009-01-11 10:59:18 | 逆腹式呼吸
 胸式肺呼吸から逆腹式呼吸につながる呼吸法は、私達が生来行ってきた胸式肺呼吸を、吐く息をゆっくり吐き、吐く息を体の中へイメージで吐くことで、ごく自然にできる呼吸法です。

 
 よくものの本によれば、下腹の動きを注目しなければならないような雰囲気がありますが、胸式肺呼吸の場合は、下腹の動きを意識しなくても、呼吸を行っていれば、下腹の動きは自然と出来上がってきます。 むしろ、下腹の動きは意識しないほうがよいのです。

 然るに、順腹式呼吸は生まれながら行ってきた胸式肺呼吸をいったん忘れ、下腹(丹田)を意識しながら、息を吐くときに下腹を凹まし、息を吸うときには下腹を膨らますという、胸式肺呼吸と反対の動きをしますので、ちょっと取り組みにくい呼吸法です。 下腹の動きを意識しないとできない呼吸法です。

 逆腹式呼吸は、息を吸うときに胸は膨らみ、それにつられて下腹は、自然と凹みます。 息をゆっくり吐くときには、胸は縮まり下腹は、元に戻ります。 下腹の動きは意識しなくても、自然と動きます。 むしろ下腹の動きは、意識しないほうがよいのです。 

 鼻だけの呼吸で大きく息を吸って、、吐くときには鼻から吐くことを一切忘れ、ゆっくり体の中へ吐くことが、胸式肺呼吸を逆腹式呼吸へ変質させていくコツです。 できるだけゆっくり息を吐くことを心がけ、またスムーズに自然な呼吸になるように、意識します。 吐く息だけに意識をを集中すれば、雑念が沸く余地はないはずです。 雑念が沸くとすれば、まだ胸式肺呼吸が、自分のリズムに(自然のリズムに)なっていないからです。 スムーズに呼吸ができるように、日常的なあらゆる時間、場所で行い、癖をつけてしまうのが早道です。 呼吸を、座禅を楽しんでください。

逆腹式呼吸と順腹式呼吸の違い

2009-01-10 10:55:58 | 逆腹式呼吸
 私がこのブログ上で言う胸式肺呼吸から逆腹式呼吸への動きは、割合とスムーズに下腹にある臍下丹田を意識しなくても、自然とできる呼吸法ですが、順腹式呼吸は、胸式肺呼吸に慣れた私達にとっては、ちょっとやりずらい呼吸法です。

 順腹式呼吸は、一般的には息を吐くことから始めます。 逆腹式呼吸と同じように、鼻だけで呼吸します。  いつも下腹の丹田を意識しながらの呼吸になります。 息を吐くときに下腹を意識し、下腹から吐き出すようにします。 したがって息を吐くときには、下腹は凹みます。

 息を吸うときには、下腹で吸うようにイメージして行います。 したがって息を吸うときには、下腹は膨らみます。 いつも下腹を意識しながらの呼吸になります。 胸式肺呼吸になれた私達にとっては、ちょっと呼吸を整えにくい呼吸法に感じます。 逆腹式呼吸と同じように、息を吐くときには、ゆっくり吐きます。

 逆腹式呼吸の下腹の動きは、順腹式呼吸とは反対になるため、逆腹式呼吸と言われています。 私自身は、順腹式呼吸は行いません。 誰に教わることもなく、胸式肺呼吸を行いながら、吐く息だけをゆっくり吐くようにしただけで、自然と逆腹式呼吸に移っていったせいも、あるかもしれません。

 吐く息をできるだけ長く吐くようにし、吐く息だけに意識を集中し続けた結果、無理をせずに逆腹式呼吸が、自然にできるようになったからです。 もともと私自身が、気を感じやすかった性もあるでしょうが、生まれて初めて行った座禅で、頭のてっぺんにある百会が、電子の輪を作るような感じで、活性化したのでした。 

 逆腹式呼吸は、体の中へイメージで息を吐くことによって、体の中の気の通り道(径絡)を強く刺激し、気の通りをよくするように感じます。 然るに、順腹式呼吸では、体内にあるものをゆっくりと体外へ、排出してしまうために、経絡には逆腹式呼吸ほどは、強く働きかけることはありません。 

 そのことは、逆腹式呼吸が、唯一、自己免疫力を高める呼吸法であるかについても、無関係ではありません。

逆腹式呼吸ー先ずは胸式肺呼吸から始める

2009-01-08 17:08:09 | 逆腹式呼吸
 座禅を行うときには、姿勢と整え、呼吸を整え、意識を整えるといいますが、これではなんだか分かりません。 具体的には頭のてっぺんが、天から引っ張られているような感じで、上体を維持します。 決して姿勢をよくしようとして、反ってはいけません。 

 呼吸は、吐く息をゆっくり吐き、鼻だけで呼吸します。 普段行っている胸式肺呼吸で、大きく胸いっぱいに吸います。 胸が膨らむと、自然と下腹は凹みます。 息を吐くときには、鼻から息を吐くことを一切忘れ、体の中へ(特に下腹へ)息を吐くようにゆっくりと吐きます。 10秒以上かけ、全部吐ききるつもりで行います。 全部吐ききると苦しくなりますので、そのちょっと手前で軽くすっーと。息を吸います。 無理をしないで、できるだけ自然に呼吸が行える感覚で行います。

 吐く息が体の中へ入っていくのを実感するために、息音が聞こえるように吐いていきます。 大きく胸いっぱいに息を吸って、ゆっくりと体の中へ息を吐く、その繰り返しの呼吸を、ただ続けるだけでよいのです。 ゆっくり息を体の中へ吐く胸式肺呼吸が、自然とできるようになるまで、日常的なあらゆる時間、場所を使って行ってみます。 

 自然と胸式肺呼吸ができるようになりますと、息を吸っても下腹が凹むだけで、空気を吸っていないことに、気がつくはずです。 人によってそのような状態になるには、時間の差ができますが、いつの日にか、そのような状態にはなります。 胸式肺呼吸が、逆腹式呼吸に変化した瞬間なのです。