座禅をしてますと話すと、すぐに「無」とか「無心」とかの言葉が、連想されます。 これまでの生活の中で、およそ「無」や「無心」には無関係であったために、座禅のときにそのような状態を維持するのは、とても難しいのが当たり前です。
先ず意識を集中するために、数をひたすら数える数息法という、考え方もありますが、ここでは、吐く息だけに意識を集中する方法を述べます。 呼吸に意識を集中したほうが、簡単ではないかと思うからです。
私自身は、鼻だけで呼吸をし、吐く息をゆっくり吐き、吐く息を体の中へ吐く胸式肺呼吸ー逆腹式呼吸を、行ってきました。 鼻で息を吐くことを忘れ、下腹にある臍下丹田が活性化することを念じながら、ひたすら息を体の中へ吐いていました。
当時、下腹に丹田があるということは、本によって知ってはいましたが、具体的にどこにあるかは分かっておらず、ひたすら体の中へ息をゆっくり吐きながら、どこだどこだと息を追いながら、探していたのでした。 ましてや、丹田が心臓のように鼓動するなどということも、知りませんでした。
あるとき、自分の下腹を斜め上から見るようなことも、想像しながら一所懸命、息を体の中へ吐いていました。 また、空を飛び上がるようなイメージをしたこともあります。
体の中へゆっくり息を吐き、吐く息だけに意識を集中し、体の中へ吐いていった息を追いかけながら、ひたすら座禅に集中する、そんな毎日であったような気がします。 吐く息に意識は集中できますが、やはり私達は日常生活の色々な悩みから、解放されているわけではなく、時々そんなことも頭をよぎります。
そんな雑念も、暗闇の静かな中で行う座禅では、ある程度意識は集中していますので、宇宙の叡智のサジェスチョンを、そっと受けられるかも知れません。 何かを期待するのではなく、ひたすら吐く息だけに、意識を集中することから、ひょっとすると何かを感じ、体に微妙な変化を与えることに、なるかも知れません。 楽しんでください。
先ず意識を集中するために、数をひたすら数える数息法という、考え方もありますが、ここでは、吐く息だけに意識を集中する方法を述べます。 呼吸に意識を集中したほうが、簡単ではないかと思うからです。
私自身は、鼻だけで呼吸をし、吐く息をゆっくり吐き、吐く息を体の中へ吐く胸式肺呼吸ー逆腹式呼吸を、行ってきました。 鼻で息を吐くことを忘れ、下腹にある臍下丹田が活性化することを念じながら、ひたすら息を体の中へ吐いていました。
当時、下腹に丹田があるということは、本によって知ってはいましたが、具体的にどこにあるかは分かっておらず、ひたすら体の中へ息をゆっくり吐きながら、どこだどこだと息を追いながら、探していたのでした。 ましてや、丹田が心臓のように鼓動するなどということも、知りませんでした。
あるとき、自分の下腹を斜め上から見るようなことも、想像しながら一所懸命、息を体の中へ吐いていました。 また、空を飛び上がるようなイメージをしたこともあります。
体の中へゆっくり息を吐き、吐く息だけに意識を集中し、体の中へ吐いていった息を追いかけながら、ひたすら座禅に集中する、そんな毎日であったような気がします。 吐く息に意識は集中できますが、やはり私達は日常生活の色々な悩みから、解放されているわけではなく、時々そんなことも頭をよぎります。
そんな雑念も、暗闇の静かな中で行う座禅では、ある程度意識は集中していますので、宇宙の叡智のサジェスチョンを、そっと受けられるかも知れません。 何かを期待するのではなく、ひたすら吐く息だけに、意識を集中することから、ひょっとすると何かを感じ、体に微妙な変化を与えることに、なるかも知れません。 楽しんでください。