胸式肺呼吸から逆腹式呼吸を行うにあたっては、当初は体の中へ吐く息を、自分自身で入っていくのを確かめるように、わざと息音をたてながら、吐いていきます。 吐く息だけに、体に入っていく息を追うようにして、そこだけに意識を集中します。
私は、下腹にある臍下丹田が、実際どこにあるか分からず、どこだろうどこだろうと思いながら、息をゆっくりと体の中へ吐きながら、捜し求めていました。 今は丹田が、心臓のようにいつも動いていますので、どこにあるかはよく分かっていますが、当時は、丹田が動くことも知らず、ひたすら逆腹式呼吸を行いながら、座禅を行っていました。
座禅を始めた時から、座禅は最低でも1時間は行っていましたので、今はそれが当たり前になっています。 始めた当初は、ガンに罹った友人の女性の無事を願い、3時間の座禅を行っていました。 意識さえ集中していれば、3時間はあっという間に過ぎてしまいます。 勿論、足の痺れもありません。
私が大学の級友からの呼びかけで始めた静功会(静かな功ー座禅)は、初めから何も分からないのに、無我夢中で普段行っている胸式肺呼吸で、吐く息だけゆっくり吐き、ゆっくり長く吐こうとすると、自然に息は体の中へ吐くようになるのか、静かな空間で私の息音だけが、よく聞こえていたようで、1週間に1回の座禅会が3回終わったあとに、友人から「もう少し静かにしろよ」と注意を受けました。
考えてみれば、日常的にあらゆる時間、場所を通していつも逆腹式呼吸を、目を瞑っては練習していましたので、そのころには、もうだいぶ呼吸に慣れていましたので、翌週からは体の中へ吐く息が、殆ど聞こえないようにするようにしました。
初めから息音をたてないよりは、たてた方が息の動きを追うのには、分かりやすいのではないかと思われます。 体の中へ息が入るのが実感できるようになってから、息を立てないほうが、よいのではないかと感じます。
できるだけ長く、細く息を体の中へ吐くことが、当たり前のようにできるようになったならば、体が微妙に変化する何かを、感じることができるようになるはずです。 呼吸を、座禅を楽しんでください。
私は、下腹にある臍下丹田が、実際どこにあるか分からず、どこだろうどこだろうと思いながら、息をゆっくりと体の中へ吐きながら、捜し求めていました。 今は丹田が、心臓のようにいつも動いていますので、どこにあるかはよく分かっていますが、当時は、丹田が動くことも知らず、ひたすら逆腹式呼吸を行いながら、座禅を行っていました。
座禅を始めた時から、座禅は最低でも1時間は行っていましたので、今はそれが当たり前になっています。 始めた当初は、ガンに罹った友人の女性の無事を願い、3時間の座禅を行っていました。 意識さえ集中していれば、3時間はあっという間に過ぎてしまいます。 勿論、足の痺れもありません。
私が大学の級友からの呼びかけで始めた静功会(静かな功ー座禅)は、初めから何も分からないのに、無我夢中で普段行っている胸式肺呼吸で、吐く息だけゆっくり吐き、ゆっくり長く吐こうとすると、自然に息は体の中へ吐くようになるのか、静かな空間で私の息音だけが、よく聞こえていたようで、1週間に1回の座禅会が3回終わったあとに、友人から「もう少し静かにしろよ」と注意を受けました。
考えてみれば、日常的にあらゆる時間、場所を通していつも逆腹式呼吸を、目を瞑っては練習していましたので、そのころには、もうだいぶ呼吸に慣れていましたので、翌週からは体の中へ吐く息が、殆ど聞こえないようにするようにしました。
初めから息音をたてないよりは、たてた方が息の動きを追うのには、分かりやすいのではないかと思われます。 体の中へ息が入るのが実感できるようになってから、息を立てないほうが、よいのではないかと感じます。
できるだけ長く、細く息を体の中へ吐くことが、当たり前のようにできるようになったならば、体が微妙に変化する何かを、感じることができるようになるはずです。 呼吸を、座禅を楽しんでください。
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