大学を卒業してから入った事務所を8年で退職し、自立するべく先輩の事務所をお手伝いしたりしている時に、機械の設計施工を行っている湯島の叔父さんから、手が空いていたら手伝ってくれないかと云うことで、湯島の工場に行って昔からいる職人さんと、作業を行っていた時のことです。
今度、常磐線に乗って泊まりで仕事をしてもらうので、上野駅まで来て欲しいと云うのです。 行き先も告げられず、何となく浪江駅に近づいて来た時に、叔父さんから降りるよと云われました。
これは、ひょっとすると原発がらみの仕事かなと、思いながら宿舎まで行きました。 私は生協の仲間たちから、原発の危険性を聞いておりましたので、これはやばいなと感じながらも、叔父さんのことも配慮し、仕事はすることにしました。
宿舎から乗合バスで原発近くの作業小屋まで、職人さんたちが話をしておりましたが、自分は子供を産まないようにしているのだと、原発関連の仕事をすると奇形児が生まれると云うことは、常識のように伝わっておりました。
私は煮沸したと云えども、原発内で使われていたバルブの修理を、結局10日間行いました。 私は、自分の遺伝子が傷つけられたと感じ、それ以来、子供を作る機会を得ましたが、残念ながら断念しております。
幸いにも既に長女と長男が生まれてはおりましたが。