ドボコン、モツレク、グンポロ

 「合コン」の変形や間違いではない。「今度の『ドボコン』、楽しみにしています」と聞いて、お判りになる方はどのくらいおいでだろうか。どうだろう、10人にお一人と云ったところか。今やもっぱらカメラとF1blogとして定着してしまった「郷秋<Gauche>の独り言」ではあるけれど、古くからのファンの方にとってはサンデーチェリスト「郷秋<Gauche>」のblogだから、このページの読者に限れば3人にお一人にはお分かり頂けるかも知れない。

 

『ドボコン』とは、ドヴォルザーク作曲のチェロ協奏曲(コンチェルト)、『モツレク』はモーツァルトのレクイエム、グンポロは、漢字で「軍ポロ」書けばお気づきいただけるかも知れない、ショパンの「軍隊ポロネーズ」の事である。しかしだ、いずれも、ことごとく、まったくもって汚い、厭な、心地の悪い響きの言葉である。

 

しかし、この『ドボコン、モツレク、グンポロ』を自他ともに認めるクラシック音楽ファンが、実は結構好んで使ったりしているから不思議である。判り易い所では、寿司屋で「お茶」とか「生姜」と云わずに「上がり、ガリ」と云って、ちょっと通ぶるのに似ているのかも知れない。しかしだ、例えばエルガーのチェロ協奏曲が「エルコン」と呼ばれているのを、少なくとも郷秋<Gauche>は聞いたことがない。常に「エルガーのコンチェルト」と呼ばれているように思うのだが、これはやはりデュ・プレの功績と云うべきかも知れないな。

 

『モツレク』と云えば、合唱愛好家ならば一度は歌ってみたいレクイエムだが、もつ鍋じゃあるまいし、いかにも汚らしい響きである。もう一つ、是非とも歌ってみたいレクイエムに、フォーレがある。郷秋<Gauche>として感心はしないが、『フォーレク』と云う響きは、『モツレク』と比べれば十数段よろしい。耳障りの点では『弦セレ』(チャイコフスキーの弦楽セレナーデ)や『ミサソレ』(ベートーヴェンの荘厳ミサ曲)なども、それ程気にならないのは確かである。

 

どの世界にも、符丁が存在し、それを使うことで互いに仲間と認め合う事実があることを否定はしないけれど、ドヴォルザークもモーツァルトもショパンも、自分の作品が『ドボコン、モツレク、グンポロ』などと呼ばれていると知ったら、顔を真っ赤にして墓から出てくるのではないだろうか。こんな耳障りな、いかにも汚らしい響きの「符丁」は、勿論使うこともないし、聞きたくもない郷秋<Gauche>であるぞ。

 

 

例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、来週には咲いている、咲いていて欲しい、梅の蕾。しかしだ、春に梅の花が咲いているのは当たり前で、咲きそうで咲かない今こそが梅の「華」かも知れないな。

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