唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
富士には「待宵草」がよく似合う
今日の神奈川新聞5面企画特集に、富士山が世界遺産に登録されたことを記念する「おめでとう!富士山」と云う記事。今回の登録が自然遺産ではなく文化遺産であることが、いまだに良く理解出来な郷秋<Gauche>であるが、まっ、それはここでは論じない。
その神奈川新聞に「太宰治は『富岳百景』で『富士には、月見草がよく似合う』との名文を残した。」とあるが、この記事を執筆した神奈川新聞の記者は、本物の月見草が白い花を咲かせることを、果たして知った上で書いているのだろうか。
太宰が「富岳百景」の中で書いたのは、三ヶ月に及ぶ天下茶屋での生活も終わろうとしている頃、御坂峠の頂上からバスで三十分程ゆられてたどり着く河口湖畔の郵便局に郵便物を取りに出かけた帰りのバス車中のことである。以下、原文を転載する。
「老婆は何かしら私に安心していたところがあったのだろう、ぼんやりとひとこと、『おや、月見草』そう言って、細い指でもって、路傍の一箇所をゆびさした。さっと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらりとひとめ見えた黄金色の月見草の花ひとつ、花弁も鮮やかに消えずに残った。
三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと言うか、金剛力草とでもいいたいくらい、けなげにすくっと立っていたあの月見草は、よかった。富士には、月見草がよく似合う。」
太宰は「黄金色の月見草」と書いているが、本物の月見草は夕暮れ時に白い花を咲かせる。だから、太宰が、そして老婆が天下茶屋に向かうバスの車窓から見たのは待宵草あるいは大待宵草なのである。太宰が間違ったからと云って『富岳百景』の文学的な価値が減ずるわけではないが、事実と違う部分があるとすれば、それはただしておく必要があるだろうと思う郷秋<Gauche>である。
「本物の月見草は白い花を咲かせます」はこちら
「『太宰も筆の誤り』の現場を訪ねる」はこちら
今日、恩田の森で撮影した写真は明日「恩田の森Now」に掲載予定です。どうぞお楽しみに。
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