平安夢柔話

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大河ドラマ「義経」第35回&能登殿最期

2005-09-08 09:35:00 | 2005年大河ドラマ「義経」
 大河ドラマ「義経」第35回の感想です。

 今回はいよいよ壇ノ浦合戦ということで、期待半分、心配半分という気分で観ていました。確かに感動的な部分もありましたけれど、つっこみ所も多かったです。
そして、終わってみると、私の頭の中に一番強く焼き付いていた場面は阿部寛さん演じる知盛の入水シーンでした。「あれこそ武士の鏡!」という感じでしたね。それに対して、主役であるはずの義経の印象はなぜか薄かったです。これはいったいどういうわけなのでしょうか…。

 では、今回は義経と知盛を中心に感想を述べてみたいと思います。

 まず、今回の最初の方で義経と梶原景時が口争いをしていましたね。「ぜひ、それがしに先陣を。今回の遠征においてはほとんど活躍の無かったそれがしに働く場を」と訴える景時に対して、「先陣は三浦義澄に決めてある(からだめだ)。」という義経。
この場面を観て私は、役者さんの演技力のせいかもしれませんが、景時の方が筋が通っているように思えてしまいました。そして、義経はやっぱり大将の器ではないなと思ってしまったのですけれど…。だんなさんもこの場面で、「義経には武士としての面目や、心意気というものが、全くわかっていない。こんな義経は不自然だ!」と言って、呆れていました。

 実は「平家物語」ではこの場面、義経と景時が先陣争いをしたことになっています。「大将は先人などするものではない。」と言う景時に対して、「大将は鎌倉にいる兄頼朝だ。九郎も雑兵にすぎない。」と言ってのける義経。それを聞いた景時は「九郎殿は所詮大将軍の器ではないわ。」とつぶやきます。景時のこの言葉を聞いた義経は怒って刀に手をかけました。そのうち二人はお互いの一族や郎党を巻き込んで今にも同士討ちをしそうになったため、三浦義澄と土肥実平が仲介に入り、やっと騒ぎがおさまったと言うように記しています。
 ドラマで、「平家物語」にあるような「義経と景時の先陣争い」にしなかった理由は、今までの優等生義経のイメージが崩れるからなのでしょうね。きっと…

 でも実際、このドラマでの義経は壇ノ浦での自分の役割がわかっていたのでしょうか?
史実での義経の心情は多分、「頼朝兄さんに認めてもらうために、何が何でも平家を倒す!そして、三種の神器を取り返す。」と言う事なのでしょうけれど、今回のドラマでの義経は、能子のことで頭がいっぱいだったように思えてなりません。
ウーン、やっぱりこの描き方は違和感があります。
 そして知盛に追われて、ただぴょんぴょん跳びはねているだけなんて…。
「え?あれが八艘飛びなの?!何か変~。」と思ったのは私だけだったでしょうか。

 さて、その知盛ですが……、義経に反して最初から最後まで格好良かったです!
 指揮官としての知盛も、一武将としての知盛も観ていてほれぼれしました。義経を追いかけ回しているときなど、「八艘飛びをやっているのは知盛じゃないの。」と思ったほどです。
 そして、敗色が濃くなったことを時子たちに伝えたときの知盛の態度は、とても胸に迫るものがありました。
圧巻だったのは最期の入水のシーンです。「見るべきものは全部見た。」と言って錨を抱いて海に飛び込むシーンは、今でも目に焼き付いていて離れません。
 頼朝と重衡の対面と並んで、知盛入水のこの場面は、間違いなくこのドラマのNo1シーンです。とにかく感動しました。
 このような知盛の格好良さが、主役の義経の影を薄くしてしまったような気がします。

 ところで、やっぱりやってしまいましたね、安徳天皇と守貞親王のすり替え…!。
安徳天皇が、「清盛のじいに早く会いたい。」と言ったとき、ひょっとしたら時子さん、考え直してくれるかも……と思いました。しかし時子の口から出たのは、「なりませぬ。帝はこの先、守貞親王として生きていただきます。」という言葉でした。
ああ、やっぱりすり替えは実行されるのだ……と、がっかりしました。
 時子のいさぎよい入水シーンも、道連れにしている相手は守貞親王なのだと思うと、やっぱり観ていて興ざめしてしまいました。この設定、絶対に納得できないです…。それとも、安徳天皇と守貞親王のすり替えが、義経の今後の人生に何らかの影響を与えるのでしょうか…。
 それにしても女性たちが次々と入水していくシーンはさすがに哀れでした。それに対して、平家の総大将であるにもかかわらず、宗盛の情けないこと…。海に突き落とされて泳いでいるところはこっけいにさえ思いました。でも、すぐに景季に救い出されてしまいましたよね。どうせならもっと泳ぎ回っていればいいのにと思ってしまいました。総大将としての重圧もあったでしょうから、宗盛は宗盛なりに悩み苦しんでいて可哀想な部分もありますけれど、壇ノ浦で捕虜になるシーンは、どうしても知盛のいさぎよさと比較してしまいます。そして、「やっぱり宗盛は情けなくて格好悪い。」と思ってしまうのですよね。

 さて、今回のドラマでお亡くなりになった平家の主要人物は時子と守貞親王、知盛の他は資盛だけなのですよね。しかし、ドラマには登場しなかった人物がたくさんお亡くなりになっていますよね。

 資盛はドラマでは矢に当たって自刃してしまったようですが、「平家物語」によると弟の有盛、いとこの行盛と仲良く手を取り合って入水しています。なお、資盛については第29回の感想で私は、「維盛と共に屋島から南海へ去ったという兼実の伝聞が残っているため、壇ノ浦で入水したかどうかは疑わしい。」と書きました。しかし、義経による壇ノ浦合戦の報告書(吾妻鏡に全文が記載されているようです)の中に、自殺者の名前が記されているようですが、資盛の名前もその中にあるため、どうやら「壇ノ浦で入水した。」という可能性が強いようです。

 清盛の弟の教盛と経盛も、錨を背負って入水しています。
 そして、忘れてはならない人物がもう一人います。言うまでもなく能登守平教経です。

 義経を追いかけ回している知盛を見て「かっこいい!」と思いながら、「これは本当は知盛ではなく教経なのに……。」と思っていた私です。そして、32回の感想に続いて今回も、教経特集を組みたくなってしまいました。

 では、「平家物語」巻十一、「能登殿最期」に描かれた、教経の活躍について書かせていただきたいと思います。

 これが最後だと思った教経は、弓矢で源氏の兵を傷つけ、射殺し、弓矢がなくなると太刀を持って敵陣に斬りかかっていきました。それを見た知盛は、「雑兵を相手にあまり罪作りなことをしないように。」と使者を通して教経に言ってきたのでした。
 それを聞いた教経は、「さては大将と組めということだな。」と思い込み(そのように思ってしまうところが教経らしくてほほえましくもありますが。)、敵陣の中を義経を捜し回ります。教経が自分を捜していることに気がついた義経も、組み敷かれてはたまらぬと思ったのか逃げ回っていました。
 そのうち教経は義経を見つけ、あわや一騎打ちということになったのですが、義経はさっと他の船に飛び移ったのでした。これが有名な「八艘飛び」です。

 義経を見失った教経はもはやこれまでと思ったのか、弓も太刀も海に投げ捨ててしまいました。そして、「我こそはと思う者は誰でもかかってこい。」と言います。
 すると、土佐の住人で安芸太郎という三十人力の者が、「我こそが…」と郎党一人を引き連れて教経に挑んできたのでした。そして太郎の弟の次郎も加わり、三人は一気に教経に襲いかかります。
 すると教経はまず、郎党を海に突き落としてしまいました。そして、太郎を左腕で、次郎を右腕で抱え込み、「我の死出の共をせよ!」と言って海に飛び込んだのでした。
 この教経最期の部分は、哀れさよりも勇猛な武将を感じさせて、何となくすがすがしい気持ちになります。この時教経は、26歳だったとも27歳だったとも言われています。彼の一生は短かったけれども、壮絶で激しく、それ以上に何かさわやかなものを私は感じてしまいます。

 こうして彼の最期の部分を書いていると、せっかく源平合戦をドラマ化したのに教経を出さないなんて、絶対に失敗だったと強く思ってしまいます。
 確かに、義経を追いかけ回している知盛は格好良かったです。でも、やはり知盛には指揮官に徹して欲しかったです。指揮官だけでも、知盛の格好良さは充分描くことができたのではないでしょうか。
 何よりも前にも書いてきた知盛の勇猛ぶりに加えて、義経を追いかけ回している知盛の格好良さを見せられると、今までは温情があり悲運の名将として多くの人が感じていた義経のイメージ。その義経が、能子を探し回り、知盛に追いかけられて逃げ回っているシーンを見せられると、彼のイメージはどんどん薄くなってしまうように思えてなりませんでした。
 
 さて来週は、壇ノ浦で助け出された平家の女性達についてが描かれるようですね。
壇ノ浦合戦が終わっても、平家は完全に滅んでしまったのではありません。捕虜になった宗盛・清宗親子、時忠を初め、まだまだ生き残っている一門の者もたくさんいます。頼朝の許に送られた重衡もまだ生きています。これらの方々の今後についても、しっかり描いてくれることを期待したいです。

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