大河ドラマ「義経」第47回の感想です。
マツケン弁慶の演技は期待通りでした。とにかく感動しました。
また、弁慶と富樫左衛門尉の息詰まるやりとりも十分堪能できました。
でも、やっぱり義経は役不足ですね……。
勧進帳についてはあとでゆっくり述べるとして、まずその他のシーンの感想を書きますね。
☆義経の行き先がどこなのかしっかりわかっている鎌倉方
「九郎殿の行く先は奥州なのでは」と真っ先に発言したのが大江広元だったことは、かなり当を得ていると思いました。冷徹な広元なら、そのあたりをしっかりわかっているはずですよね。
なぜならば、義経を追討するという目的での守護や地頭の設置を初めに提案したのは広元なのですものね。
☆生きていた巴
これにはびっくりしました。それに、巴役の小池栄子さん、すっかり別のキャラクターになっていましたよね。私、一瞬彼女が誰なのかわかりませんでしたもの。
第25回の感想(2005年6月29日)でも書きましたが、巴の後半生には色々な伝説があり、はっきりしたことはわからないようです。しかし、木こりの妻になったという今回の話は聞いたことがなかったです。多分これは、ドラマのオリジナルストーリーなのでしょうね。
けれども、巴が木こりの妻になって子供を産み、平穏な後半生を送った……というストーリーは、夢があって良いなと思ったりします。彼女が幸せな後半生を送ったなら、私も嬉しいですもの。
さて、そんなこんなで安宅の関所に着いた義経一行……。いよいよ「勧進帳」の始ま
りです。この話の真偽のほどはともかく、物語『義経』を描くのには欠かせない話ですよね。
感想を述べる前に「勧進帳」について調べたことを書いておきますね。
勧進帳とは、歌舞伎の演目の一つで、天保十一年(1840)江戸の河原崎座で、初演。能の演目安宅を歌舞伎化したものだそうです。この話、元々は能として演じられたものだったのですね。と言うことは、室町時代にはもう民衆の間で広まっていたことになります。
なお、「勧進帳」の本来の意味は、寺院、仏像等の建立などに必要な費用の寄付を求める際に使用した趣意書のことです。義経一行は「東大寺の大仏を再建するための寄付を集める」という目的で出羽まで旅をする……ということになっていましたよね。
では、感想に移りますね。
最初の方でも書きましたが、弁慶と富樫左衛門尉の息詰まるやりとりは見事だったと思います。
そして偽の勧進帳を読む弁慶、「とにかく義経様の命を守らなくては…」という必死の思いが伝わってくるようで感動してしまいました。それと義経を殴るシーン、私、弁慶が主人で義経が弟子に見えてしまいましたよ。でもその裏には、弁慶の辛い気持ちが込められているのですよね。弁慶の心情を思うと涙が出てきそうでした…。
それにしても……、弁慶が義経を殴っている姿を見て辛そうにしている他の郎党達、「あなた達、顔にそんなに表情を出したら関守に疑われてしまうよ。」とつっこみたくなってしまいました。
そして、相変わらず存在感がないのが義経です。今回も、ただぶたれているだけでしたものね。
それに義経は、関所で自分の偽の名前を名乗ったときからすでに富樫に疑われていたのではないかと思います。郎党達はみんな、「伊勢坊!」「駿河坊!」というような感じで名乗っているのに、「和泉坊でござります。」とは……。「ござりますは余計じゃないの?こんなしゃべり方では関守に怪しまれるよ。」と私はここでもつっこんでいました。だんなさんにいたっては、「評価する以前!」「こんな義経など、観たくない。」と画面を一顧だにしませんでした。
それから、富樫が義経を怪しいと見とがめた理由は、「彼が色白で女のような顔をしていたから」と「人相書きの義経と似ていたから」だったのではなかったでしょうか。義経が笛を持っていたから疑われた……という話は今回初めて聞いたのですが…。でもこれは、「静の笛を肌身離さず持っていた義経の心情」と、「その笛を壊さざるを得なかった弁慶の哀しみ」を描きたくてこのような設定にしたのでしょうね。だんなさんは、小さい頃に笛の件は聞いた覚えがある…(自信なさそう)と、言っていましたが。
このように義経に関してはつっこみ所はありましたけれど、今回の勧進帳の場面の描き方は◎です。そして弁慶率いる山伏の一行が義経主従だとわかっていながら見逃した富樫の最後の一言、「九郎殿…」は胸に迫ってくるものがあってじーんとなりました。富樫はこの時きっと、義経の無事を祈っていたのでしょうね。厳しいけれど情のある人だと感じました。
しかし……、今回の「勧進帳」に感動した皆様に水を差すようなことを書いてしまって申し訳ないのですが、実際の義経は安宅の関は通らなかった……という説が現在では有力のようなのです。
義経の逃亡経路は一説によると、吉野から伊賀、伊勢を通り、そこから美濃を抜けて白山に至り、日本海に抜けて船で出羽に渡ったと言われています。また、吉野から伊賀、近江に至り、そこから比叡山の庇護を受けつつ近江を抜けて越前から船に乗って出羽に渡ったという説もあります。どちらにしても安宅の関は通っていないことになります。
角田文衞先生の著書『平家後抄』でも、義経一行は敦賀あたりから船に乗って日本海を沿岸づたいに北上し、出羽国に至ったのではないかと記述されており、先生は「戦略にたけた義経が危険の多い北陸道を通ったとは考えにくい。」という意見を述べられています。
確かに今回のドラマの設定、「義経は近江を半年もうろうろし、北陸道を早足で通る」は不自然なところがありますよね。だんなさんも、義経一行が陸路平泉に向かうことに対しては、『バカ!』と、吐き捨てていました。なぜかと聞きましたら「今まで半年近く何をしていたのかわからない。このドラマで言うなら、もっと早く向かうべきだ。」さらに、「もし平泉に向かうなら、海路を使うのが当然。もし俺なら伊勢から、太平洋上を平泉に向かう。しかし決断がなさ過ぎる。!」と、私に吐き捨てました。
義経を今まで英雄として慕っていただんなさんにすれば、今回のドラマでの義経の言動と行動には、失望と反発がかなり強くなって来ているようで、何となく可哀想になります…
それはともかくとして……、ところでこの『平家後抄』には、角田先生による「義経の行動についての大変興味深い説」が記述されていましたので、ここに紹介させていただきたいと思います。
義経は、「船で能登半島沖を通ったときに夜陰に紛れて上陸し、当時能登国珠洲郡に流罪になっていた平時忠に会いに行ったのではないか」というのです。
このことは角田先生もおっしゃっていますが、進出気没の義経ならそのくらいやってのけたかもしれませんよね。
以前にも書きましたが、時忠は自分の機密文書を取り返すため、娘を義経の許に差し出しています。時忠の娘は、一時義経の正妻という待遇を受けていたとも考えられます。つまり、時忠は義経の舅になるわけです。
また時忠は文治元年六月にはすでに能登国への流罪が決まっていました。しかし彼が能登に向けて都を出発したのはその三ヶ月後です。これは時忠が最後まで流罪を逃れようとしていたということもありますが、義経が時忠出発の時期を一日延ばしにしていたことも充分考えられると思います。このように義経と時忠は不思議な縁で結ばれていたのでした。
また、能登の珠洲神社にはこんな伝説も残っているようです。
珠洲神社には、「義経が奉納したと伝えられている笛」が残っているそうです。
これは義経一行の船が能登半島沖で暴風雨にあったため珠洲神社に祈願したところ、難を逃れたのでそのお礼として神社に奉納した笛とのことです。
もちろんこれは史実ではないようですが、「伝説の中には何らかの真実が隠されているのではないか。」という私の考えから推察すると、義経は珠洲に上陸したのではないかと思うのです。そしてもし、義経と時忠が会っていたとしたら……、2人はいったいどんな話をしたのでしょうか?もしかすると頼朝討伐の話とか……。
いずれにしても2人が会っていたという説は、色々想像力をかき立てられて夢のある話ですよね。
さて来週はいよいよ、義経一行は平泉に入るようです。秀衡と3人の息子たちの再登場に期待です。
でも、秀衡さんはすぐにお亡くなりになってしまうようですね…。秀衡さんを失って
義経のいる場所が果たして平泉にあるのでしょうか?
来週もしっかり観ようと思っています。
マツケン弁慶の演技は期待通りでした。とにかく感動しました。
また、弁慶と富樫左衛門尉の息詰まるやりとりも十分堪能できました。
でも、やっぱり義経は役不足ですね……。
勧進帳についてはあとでゆっくり述べるとして、まずその他のシーンの感想を書きますね。
☆義経の行き先がどこなのかしっかりわかっている鎌倉方
「九郎殿の行く先は奥州なのでは」と真っ先に発言したのが大江広元だったことは、かなり当を得ていると思いました。冷徹な広元なら、そのあたりをしっかりわかっているはずですよね。
なぜならば、義経を追討するという目的での守護や地頭の設置を初めに提案したのは広元なのですものね。
☆生きていた巴
これにはびっくりしました。それに、巴役の小池栄子さん、すっかり別のキャラクターになっていましたよね。私、一瞬彼女が誰なのかわかりませんでしたもの。
第25回の感想(2005年6月29日)でも書きましたが、巴の後半生には色々な伝説があり、はっきりしたことはわからないようです。しかし、木こりの妻になったという今回の話は聞いたことがなかったです。多分これは、ドラマのオリジナルストーリーなのでしょうね。
けれども、巴が木こりの妻になって子供を産み、平穏な後半生を送った……というストーリーは、夢があって良いなと思ったりします。彼女が幸せな後半生を送ったなら、私も嬉しいですもの。
さて、そんなこんなで安宅の関所に着いた義経一行……。いよいよ「勧進帳」の始ま
りです。この話の真偽のほどはともかく、物語『義経』を描くのには欠かせない話ですよね。
感想を述べる前に「勧進帳」について調べたことを書いておきますね。
勧進帳とは、歌舞伎の演目の一つで、天保十一年(1840)江戸の河原崎座で、初演。能の演目安宅を歌舞伎化したものだそうです。この話、元々は能として演じられたものだったのですね。と言うことは、室町時代にはもう民衆の間で広まっていたことになります。
なお、「勧進帳」の本来の意味は、寺院、仏像等の建立などに必要な費用の寄付を求める際に使用した趣意書のことです。義経一行は「東大寺の大仏を再建するための寄付を集める」という目的で出羽まで旅をする……ということになっていましたよね。
では、感想に移りますね。
最初の方でも書きましたが、弁慶と富樫左衛門尉の息詰まるやりとりは見事だったと思います。
そして偽の勧進帳を読む弁慶、「とにかく義経様の命を守らなくては…」という必死の思いが伝わってくるようで感動してしまいました。それと義経を殴るシーン、私、弁慶が主人で義経が弟子に見えてしまいましたよ。でもその裏には、弁慶の辛い気持ちが込められているのですよね。弁慶の心情を思うと涙が出てきそうでした…。
それにしても……、弁慶が義経を殴っている姿を見て辛そうにしている他の郎党達、「あなた達、顔にそんなに表情を出したら関守に疑われてしまうよ。」とつっこみたくなってしまいました。
そして、相変わらず存在感がないのが義経です。今回も、ただぶたれているだけでしたものね。
それに義経は、関所で自分の偽の名前を名乗ったときからすでに富樫に疑われていたのではないかと思います。郎党達はみんな、「伊勢坊!」「駿河坊!」というような感じで名乗っているのに、「和泉坊でござります。」とは……。「ござりますは余計じゃないの?こんなしゃべり方では関守に怪しまれるよ。」と私はここでもつっこんでいました。だんなさんにいたっては、「評価する以前!」「こんな義経など、観たくない。」と画面を一顧だにしませんでした。
それから、富樫が義経を怪しいと見とがめた理由は、「彼が色白で女のような顔をしていたから」と「人相書きの義経と似ていたから」だったのではなかったでしょうか。義経が笛を持っていたから疑われた……という話は今回初めて聞いたのですが…。でもこれは、「静の笛を肌身離さず持っていた義経の心情」と、「その笛を壊さざるを得なかった弁慶の哀しみ」を描きたくてこのような設定にしたのでしょうね。だんなさんは、小さい頃に笛の件は聞いた覚えがある…(自信なさそう)と、言っていましたが。
このように義経に関してはつっこみ所はありましたけれど、今回の勧進帳の場面の描き方は◎です。そして弁慶率いる山伏の一行が義経主従だとわかっていながら見逃した富樫の最後の一言、「九郎殿…」は胸に迫ってくるものがあってじーんとなりました。富樫はこの時きっと、義経の無事を祈っていたのでしょうね。厳しいけれど情のある人だと感じました。
しかし……、今回の「勧進帳」に感動した皆様に水を差すようなことを書いてしまって申し訳ないのですが、実際の義経は安宅の関は通らなかった……という説が現在では有力のようなのです。
義経の逃亡経路は一説によると、吉野から伊賀、伊勢を通り、そこから美濃を抜けて白山に至り、日本海に抜けて船で出羽に渡ったと言われています。また、吉野から伊賀、近江に至り、そこから比叡山の庇護を受けつつ近江を抜けて越前から船に乗って出羽に渡ったという説もあります。どちらにしても安宅の関は通っていないことになります。
角田文衞先生の著書『平家後抄』でも、義経一行は敦賀あたりから船に乗って日本海を沿岸づたいに北上し、出羽国に至ったのではないかと記述されており、先生は「戦略にたけた義経が危険の多い北陸道を通ったとは考えにくい。」という意見を述べられています。
確かに今回のドラマの設定、「義経は近江を半年もうろうろし、北陸道を早足で通る」は不自然なところがありますよね。だんなさんも、義経一行が陸路平泉に向かうことに対しては、『バカ!』と、吐き捨てていました。なぜかと聞きましたら「今まで半年近く何をしていたのかわからない。このドラマで言うなら、もっと早く向かうべきだ。」さらに、「もし平泉に向かうなら、海路を使うのが当然。もし俺なら伊勢から、太平洋上を平泉に向かう。しかし決断がなさ過ぎる。!」と、私に吐き捨てました。
義経を今まで英雄として慕っていただんなさんにすれば、今回のドラマでの義経の言動と行動には、失望と反発がかなり強くなって来ているようで、何となく可哀想になります…
それはともかくとして……、ところでこの『平家後抄』には、角田先生による「義経の行動についての大変興味深い説」が記述されていましたので、ここに紹介させていただきたいと思います。
義経は、「船で能登半島沖を通ったときに夜陰に紛れて上陸し、当時能登国珠洲郡に流罪になっていた平時忠に会いに行ったのではないか」というのです。
このことは角田先生もおっしゃっていますが、進出気没の義経ならそのくらいやってのけたかもしれませんよね。
以前にも書きましたが、時忠は自分の機密文書を取り返すため、娘を義経の許に差し出しています。時忠の娘は、一時義経の正妻という待遇を受けていたとも考えられます。つまり、時忠は義経の舅になるわけです。
また時忠は文治元年六月にはすでに能登国への流罪が決まっていました。しかし彼が能登に向けて都を出発したのはその三ヶ月後です。これは時忠が最後まで流罪を逃れようとしていたということもありますが、義経が時忠出発の時期を一日延ばしにしていたことも充分考えられると思います。このように義経と時忠は不思議な縁で結ばれていたのでした。
また、能登の珠洲神社にはこんな伝説も残っているようです。
珠洲神社には、「義経が奉納したと伝えられている笛」が残っているそうです。
これは義経一行の船が能登半島沖で暴風雨にあったため珠洲神社に祈願したところ、難を逃れたのでそのお礼として神社に奉納した笛とのことです。
もちろんこれは史実ではないようですが、「伝説の中には何らかの真実が隠されているのではないか。」という私の考えから推察すると、義経は珠洲に上陸したのではないかと思うのです。そしてもし、義経と時忠が会っていたとしたら……、2人はいったいどんな話をしたのでしょうか?もしかすると頼朝討伐の話とか……。
いずれにしても2人が会っていたという説は、色々想像力をかき立てられて夢のある話ですよね。
さて来週はいよいよ、義経一行は平泉に入るようです。秀衡と3人の息子たちの再登場に期待です。
でも、秀衡さんはすぐにお亡くなりになってしまうようですね…。秀衡さんを失って
義経のいる場所が果たして平泉にあるのでしょうか?
来週もしっかり観ようと思っています。