goo blog サービス終了のお知らせ 

平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
管理人えりかの趣味のページ。歴史・平安文学・旅行記・音楽、日常などについて書いています。

閑院流藤原氏の系譜 第1回

2007-06-07 11:55:27 | 系譜あれこれ
 今年の4月にUPした「藤原多子」「藤原実定」を調べてみて、お二人が属する閑院流藤原氏に興味が出てきました。この一族は魅力的な人が多いですし、天皇の外戚にもなっている重要な一族、その後は3つの系統に分かれ、それぞれ有名な方々を多数輩出しています。

 そこで、閑院流藤原氏の系譜を3回に分けて紹介することにしました。今回、第1回は閑院流の祖、公季から彼の孫の代までを取り上げます。例によってややこしい話ですが、お付き合いいただけますと幸いです。

 では、閑院流の祖、藤原公季から話を始めさせていただきますね。

☆藤原公季(957~1029)

 藤原師輔の十一男。母は醍醐天皇皇女康子内親王。伊尹・兼通・兼家・高光・為光の異母弟ということになります。

 公季は生まれて間もなく、母を失い、4歳で父を失います。そこで、姉の安子(村上天皇皇后)に養われ、親王たちと同じように内裏で育てられたと伝えられています。ただ、お食事をなさる御台だけは親王たちより低いものを使っていたとか。
 内裏で育ったため、彼は、「自分は高貴な生まれだ。」という自負があったようで、妻も皇族、有明親王(醍醐天皇皇子)の女です。

 康保四年(967)に叙爵し、永観元年(982)に参議、長徳元年(995)に大納言となり、その後、道長政権下で内大臣を長く勤めました。最終的には太政大臣となっています。居住していた邸宅にちなみ閑院と号し、その後裔が「閑院流」と呼ばれることとなるのです。

 この閑院第は、二条大路南、西洞院大路西に所在し、もと左大臣藤原冬嗣第で、巨勢金岡が水石を配した名所であり、これを公季が伝領したと伝えられます。(『拾芥抄』中)。
 公季は、孫に当たる実成女が当時の大納言藤原能信(道長男)と結婚した際、この第宅を能信に譲り、彼自身は息子の実成の第に移っています。藤原実資はこのことに関し、太政大臣たる者が旧居を捨て、小宅に移るのは後代の謗りを忘れたものとする深覚(公季の同母兄)の非難に同調し、たとえ譲るにしても同居し、一生閑院を去るべきではないと日記に書き遺しています。意地悪評論家の実資さんらしい意見ですね。



藤原実成・藤原義子

 公季は有明親王女との間に実成・義子などをもうけています。では次に、彼らについて見てみましょう。

☆藤原実成(975~1044)

 藤原公季男。

 永延二年(988)、叙爵し、寛弘五年(1008)に参議となり、最終的には中納言になっています。
彼に関するエピソードとしては、大宰権帥在任中の長元九年(1036)三月、大宰府において曲水宴の折、安楽寺僧と闘乱事件を起こし、寺訴により翌長暦元年推問使が派遣され、除名されたことでしょうか。結構血の気が多い人だったのかもしれませんが、当時の寺社勢力の強大さを痛感させられる事件でもあります。しかし、翌年には本位に復しているようです。

☆藤原義子(974~1053)

 藤原公季女。

 長徳二年(996)七月、一条天皇に入内、翌月女御となり、「弘徽殿女御)と呼ばれました。その後、位も従三位、さらに従二位と進みますが、定子や彰子の陰に隠れ、天皇の寵愛も薄く、修正子供を宿すことはありませんでした。



藤原公成・藤原実成女(藤原能信室)

 では次に、実成の子供である上の二人を見てみることにします。

☆藤原公成(999~1043)

 藤原実成の一男。母は藤原陳政女。

 寛弘八年(1011、叙爵し、万寿三年(1026)に参議となり、最終的には権中納言となりました。長和四年(1015)に藤原知光女と結婚、知光の滋野井第に住んだので、当時の官職にちなみ「滋野井の頭中将」「滋野井の別当」と呼ばれました。また、小式部内侍の恋人としても知られています。

 公成は祖父の公季に大変可愛がられ、彼の養子となっています。おじいちゃんの孫に対
する可愛がりようには様々な話が伝えられています。

 公季は、参内するときにはいつも、公成を車に乗せて連れて行ったと言われています。

 また、治安二年(1022)、法成寺無量寿院金堂供養に行啓する東宮(敦良親王、のちの後朱雀天皇)と公成を同車させ、道すがら、「どうか公成にお目をかけて下さい。お目をかけて下さい。」と何度も言ったそうです。敦良親王は、「祖父が孫を思う心根はほほえましかったが、同じ事を何度も言うのでおかしかったよ。」とおっしゃったそうです。(『大鏡』)

 さらに、公季は、公成の蔵人頭任命を道長に断られながら、重ねて陳情したこともあったようです。公季の祖父ばかぶりが伝わってくる話ですね。

☆藤原実成女

 藤原能信(藤原道長男 母は源高明女明子)の妻となった女性です。二人は祖父の公季から閑院第を譲られます。二人の間には子がなかったため、公成の娘の茂子を養女としました。茂子は長じて後朱雀天皇皇子の尊仁親王と結ばれ、何人かの子に恵まれました。

 茂子については次回に詳しく記述することになると思いますが、彼女こそ、閑院流藤原氏に大きな転機をもたらすこととなる女性なのです。次回は、閑院流藤原氏が天皇の外戚となって繁栄していく様子をお話ししたいと思っています。

第2回に続く


☆参考文献
 『平安時代史事典 CD-ROM版』 角田文衞監修 角川学芸出版
 『大鏡 全現代語訳』 保坂弘司 講談社学術文庫


☆トップページに戻る

最新の画像もっと見る