『ヴェラの祈り』 アンドレイ・ズビャギンツェフ監督 ☆☆☆☆
ズビャギンツェフ監督が2007年に発表した二作目の映画、『ヴェラの祈り』を日本版ブルーレイで鑑賞。私はこの監督の映画は『エレナの惑い』がとても好きで『裁かれるのは善人のみ』はまあまあ、他は観ていない、という程度の初級ファンなのだが、この確信犯的にゆったりしたテンポ、計算し尽くされた精密な映像、ミステリアスで多義的な物語、という組み合わせにはとても惹かれる。タルコフスキーの後継者と言われているようだが、タルコフスキーほど芸術的な敷居の高さを感じない。もっとリラックスして観れるし、エンタメ的な見方も十分にできると思う。
さて、そんなズビャギンツェフ監督の『ヴェラの祈り』だが、またしてもため息が出るほどに美しく、精緻きわまりない映像である。なんでも今回はアンドリュー・ワイエスの絵画世界にインスパイアされたらしいが、確かにワイエスの「クリスティナの世界」あたりを思わせる映像美の世界が繰り広げられる。どっぷり酔える。加えて、例のゆったりしたテンポと張りつめた水の如き静謐。子供が登場する家族の物語にもかかわらず、無言の間がやたらと多い。
ストーリーはというと、これもやっぱり謎が多い。途中まではどんな話かよく分からない。冒頭のシーンに銃で撃たれた兄が出てくるが、なぜそうなったかは分からないし、説明もない。その続きがあるかと思うとそういうこともなく、次のシーンでは弟家族が田舎へ行き、そこの別荘らしき場所で夏を過ごすことになる。家族で森を散歩したり、近所の人々と旧交を温めたりとのどかな場面が続いた後、奥さんが「子供ができた。あなたの子じゃない」と告白する。なるほど、これが本題か。と思いながら観ていると、当然ながらどんどん重たく憂鬱な映画になっていく。夫は悩み、妻も悩む。夫は妻が許せず、冷たく接し続ける。やがて、子供の父親らしき男も登場する。そして終盤、突然病気で奥さんが死ぬ。
ふーむ、このままどんよりと終わってしまうのかなあと思っていると、どんでん返しがやって来る。最後に謎解きがあり、意外な真相が判明するという意味で、これは一種のミステリ映画と言ってもいいかも知れない。しかしながらズビャギンツェフ監督の常で、細かい謎解きはあっても一番肝心な謎は説明されない。なんで妻はあんな嘘をついたのか、そして妻の死は自殺なのか。
回想シーンで、妻が「このままでは破滅よ。二人で考えなければ、なんらかの方法で」と言う場面があるが、その方法というのがあれだったのだろうか? 大体、このままでは破滅するというほどふたりは破綻した関係だったのか? 正直、私にはどうもよく分からない。ブルーレイについてきた解説書によると、この映画のテーマは母性のミステリー、という言い方がされている。だからやっぱり母としての彼女の期待に夫がこたえられなかったということなのだろうが、といっても母親が死んでしまっては何にもならないはずだし、夫にしてもあんな嘘をつかれたら普通キレるだろう。聖人になれというのは無茶だ。
多分この話はリアリズムで観てはいけないのだろう。どうしても辻褄が合わなくなる。ではこの話をいわば一種の寓話として、神話として読み解くとすれば、妻は夫を覚醒させようとテストしたが、夫は最初に堕胎を望み、次に世俗的な「母として」の義務を妻に求めたことで生命の源=神秘なる母性に近づけなかった、だから彼女は去った、ということになるのかも知れない。
とはいえ、やはりこの物語では夫アレックスの「罪」がなかなか実感しづらく、結果的にかなり不条理感が強い物語になっていると思う。こう思うのは私だけだろうか。愛と嫉妬は表裏一体であり、それが引き起こす過ちも含めて永遠に人間らしさの一部だと思うがどうか。過去にアレックスがどんなことをしたのか分からないが、妻の「テスト」はあまりに一方的で、理想主義的、教条主義的ではないだろうか。
という腑に落ちない部分がある一方で、私がズビャギンツェフ監督に期待した神話的映像、ひんやりした静謐、象徴性、立ち込める霧のようなミステリーは存分に堪能できた。アンドリュー・ワイエスの「クリスティナの世界」は美しいと同時に見る者に不安感を抱かせる絵だが、そういう部分も含めて、あの絵をそのまま映画に移し替えたような、心をざわつかせるフィルムである。
ズビャギンツェフ監督が2007年に発表した二作目の映画、『ヴェラの祈り』を日本版ブルーレイで鑑賞。私はこの監督の映画は『エレナの惑い』がとても好きで『裁かれるのは善人のみ』はまあまあ、他は観ていない、という程度の初級ファンなのだが、この確信犯的にゆったりしたテンポ、計算し尽くされた精密な映像、ミステリアスで多義的な物語、という組み合わせにはとても惹かれる。タルコフスキーの後継者と言われているようだが、タルコフスキーほど芸術的な敷居の高さを感じない。もっとリラックスして観れるし、エンタメ的な見方も十分にできると思う。
さて、そんなズビャギンツェフ監督の『ヴェラの祈り』だが、またしてもため息が出るほどに美しく、精緻きわまりない映像である。なんでも今回はアンドリュー・ワイエスの絵画世界にインスパイアされたらしいが、確かにワイエスの「クリスティナの世界」あたりを思わせる映像美の世界が繰り広げられる。どっぷり酔える。加えて、例のゆったりしたテンポと張りつめた水の如き静謐。子供が登場する家族の物語にもかかわらず、無言の間がやたらと多い。
ストーリーはというと、これもやっぱり謎が多い。途中まではどんな話かよく分からない。冒頭のシーンに銃で撃たれた兄が出てくるが、なぜそうなったかは分からないし、説明もない。その続きがあるかと思うとそういうこともなく、次のシーンでは弟家族が田舎へ行き、そこの別荘らしき場所で夏を過ごすことになる。家族で森を散歩したり、近所の人々と旧交を温めたりとのどかな場面が続いた後、奥さんが「子供ができた。あなたの子じゃない」と告白する。なるほど、これが本題か。と思いながら観ていると、当然ながらどんどん重たく憂鬱な映画になっていく。夫は悩み、妻も悩む。夫は妻が許せず、冷たく接し続ける。やがて、子供の父親らしき男も登場する。そして終盤、突然病気で奥さんが死ぬ。
ふーむ、このままどんよりと終わってしまうのかなあと思っていると、どんでん返しがやって来る。最後に謎解きがあり、意外な真相が判明するという意味で、これは一種のミステリ映画と言ってもいいかも知れない。しかしながらズビャギンツェフ監督の常で、細かい謎解きはあっても一番肝心な謎は説明されない。なんで妻はあんな嘘をついたのか、そして妻の死は自殺なのか。
回想シーンで、妻が「このままでは破滅よ。二人で考えなければ、なんらかの方法で」と言う場面があるが、その方法というのがあれだったのだろうか? 大体、このままでは破滅するというほどふたりは破綻した関係だったのか? 正直、私にはどうもよく分からない。ブルーレイについてきた解説書によると、この映画のテーマは母性のミステリー、という言い方がされている。だからやっぱり母としての彼女の期待に夫がこたえられなかったということなのだろうが、といっても母親が死んでしまっては何にもならないはずだし、夫にしてもあんな嘘をつかれたら普通キレるだろう。聖人になれというのは無茶だ。
多分この話はリアリズムで観てはいけないのだろう。どうしても辻褄が合わなくなる。ではこの話をいわば一種の寓話として、神話として読み解くとすれば、妻は夫を覚醒させようとテストしたが、夫は最初に堕胎を望み、次に世俗的な「母として」の義務を妻に求めたことで生命の源=神秘なる母性に近づけなかった、だから彼女は去った、ということになるのかも知れない。
とはいえ、やはりこの物語では夫アレックスの「罪」がなかなか実感しづらく、結果的にかなり不条理感が強い物語になっていると思う。こう思うのは私だけだろうか。愛と嫉妬は表裏一体であり、それが引き起こす過ちも含めて永遠に人間らしさの一部だと思うがどうか。過去にアレックスがどんなことをしたのか分からないが、妻の「テスト」はあまりに一方的で、理想主義的、教条主義的ではないだろうか。
という腑に落ちない部分がある一方で、私がズビャギンツェフ監督に期待した神話的映像、ひんやりした静謐、象徴性、立ち込める霧のようなミステリーは存分に堪能できた。アンドリュー・ワイエスの「クリスティナの世界」は美しいと同時に見る者に不安感を抱かせる絵だが、そういう部分も含めて、あの絵をそのまま映画に移し替えたような、心をざわつかせるフィルムである。
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